水晶〜MISAKI〜第2章

コツコツ・・・と薄暗い廊下に靴音が響く。死への、いや地獄への階段を上っていく
ような寂寥感が水晶を締め付ける。そして今、闘技場への扉が開かれた。
ウオオォォォ・・・ン!という入場のBGMと歓声、そして目も眩むばかりの照明に
照らされたリングとそれを覆う満員の観客席・・・先ほど見た闘技場と同じとは思わ
れぬほどの絢爛さが水晶の身を震わせた。
(あたしが痛めつけられ苦しむのを、この人たちは待ち望んでいる・・・)
水晶は花道の手前で深呼吸をすると、そのまま一気にリングへと駆け込んだ。その瞬
間、更に大きなどよめきと歓声が沸き起こった。白い水着に身を包んだまだ幼さの残
る少女。愛らしい顔立ちに黒髪に色白の肌、そしてリングアナウンサーと並んでも小
柄ながら張りのある肢体、競泳タイプの水着で締め付けられながらも弾力を主張する
胸は観客の残虐な期待感を刺激した。
「今日の生贄は極上だな」
別の観客が手元に配られたパンフに目を通す。
「川村水晶 17歳 女子プロレスラー 157−91・63・89 53kg 
1ヶ月前にPWWAのベルトを奪取・・・か、どれだけ粘ってくれるか楽しみだな」

観客のざわめきがまだ冷めやらぬ中、リングアナウンサーがマイクを持った。
「本日は当“エル・ドラド”へお越しいただき誠にありがとうございます!赤コー
ナー、本日、この闘技場デビューとなりますPWWAチャンピオン、川村ミサァ
キー!」
再び大きな歓声が鳴り響く。そして今度は対戦相手のコールが始まった。
「対します青コーナーより選手の入場です!」
GYAAAAA・・・・N!
大音量のBGMと共に花道よりフード付きのガウンをすっぽりと被った影がどよめき
の中リングインしていった。
「な、何?・・・何で・・・男?」
そうフードをすっぽりと被って顔さえ隠してはいるが、ガウンの上からでも鍛え抜か
れた格闘家でありその体躯は180cmはあるだろうか。女子の中に混じっても小柄
な水晶には一層の悲壮感が漂った。そうした中、リングアナが相手側の選手コールを
始めだした。
「青コーナー!180cm、95kg・・・ヘンセン井上!」
コールと同時にガウンを脱ぎ捨て、その巨体を誇示する大物ファイターの登場に沸き
立つ観客席。その男の姿に水晶は確かに見覚えがあった。
「そんな、まさか・・・・ヘンセン?」
ヘンセン井上・・・かつて総合格闘技界重量級のエースとしてその名を轟かせた男が
今リング上で水晶と反対側のコーナーにいる。闘うために鍛え抜かれた筋肉の鎧を纏
い、ブランクを一切感じさせない動きでコーナーを向いてウォーミングアップを繰り
返す・・・ありったけの勇気を振り絞ってリングへと上がった少女に今襲い掛からん
とする悪鬼、しかも、その悪鬼はかつて表の格闘技界で名の知られた猛者であり力の
差は歴然としている。観客席の歪んだ嗜虐心はいやが応にも高まっていった。その少
女と悪鬼達の狭間でリングアナは試合前のルール説明を始めた。
「ただいまより、川村水晶選手対ヘンセン井上選手によるスペシャルマッチをお送り
いたします!ルールは時間無制限ノールール・ノーレフリーマッチ、川村選手がこの
屈強なる戦士をKOするか、もしくは川村選手の口から我々の設定いたしましたギブ
アップワードが発せられた時をもって勝負ありとなります!」
「く・・・・」
水晶は呆然としながらも<こんなの無茶に決まってる>という言葉を飲み込んだ。そ
んな理屈や言葉が通る状況ではないことは既に思い知らされていたから・・・。そう
した少女の健気な決意を観客の残虐な期待感が飲み込んでいく。満場の期待が高まる
中リングアナの声が響いた。
「ではいよいよスペシャルマッチを開始致します・・・・FIGHT!」
カアァァァァ・・・・・・・ン!!
乾いた金属音が場内に鳴り響く。
「・・・・・・こんな奴らに・・・・」
水晶はリング中央へとポジションを取った。対する相手は意外にも体勢を低く取って
出てきた。
「クククク・・・たっぷりと楽しませてもらうぜ、俺は女の分際で格闘技にしゃしゃ
り出てくるヤツは大嫌いでな、覚悟しな!」
ヘンセン井上・・・ここ数年こそ消息が聞かれなかったが、かつては総合格闘技界で
その名を轟かせた男であった。黒いショートスパッツに両手には白いバンテージ、浅
黒い肌に短髪・・・180cm95kgの体格は小柄な水晶を優に圧倒する。
「・・・・・あたしだって、あいつらの思うようにやられるわけには・・・」
半身の態勢になり距離を取り警戒する水晶・・・しかし次の瞬間、ヘンセンの高速
タックルが襲い掛かった。
「はうっ!・・・・・・・」
ズダアァァァン!
一瞬の判断で水晶はヘンセンの背中を跳馬のようにして飛び越え、タックルを逃れ
た。そして素早く立ち上がり、尚も襲い掛かろうとするヘンセンと向かい合う。必殺
のタックルをかわされ、膝を突くヘンセン。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」(捕まったら終わっちゃう)
「ケッ!動きはなかなかなモンだ・・・」
得意のタックルをかわされ、軽く指先を舐めて再び構えを取るヘンセン・・・今度は
アップライトに構え、フットワークを使い始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」(今度は打撃でくる気・・・?)
ヘンセンは左ジャブを打ちながら水晶への距離を少しずつ縮め始めた。
シュッ!シュッ!シュッ!・・・ジャブといっても、その重さは水晶を一撃でKOす
る力を秘めた重量級の拳である。水晶もフットワークを使い懸命にかわしていく。し
かし充分に距離を測ったヘンセンの右のパンチが水晶のボディに飛ぶ!
「オラァ!喰らいな!」
バキイィィィ・・・・ッ!
「はうっ!・・・痛っ・・・・」
とっさに両腕でガードする水晶、更に自ら後ろに飛んで衝撃をやわらげようとした
が、後方へ大きく吹っ飛んでいった。
「はぁ、はぁ、はぁ、・・・・・・・」(すごい・・・・こんなのモロに喰らったら
・・・・)
何とか態勢を立て直し中腰の態勢でこらえる水晶・・・両腕には辛うじて骨折をまぬ
がれた痛みが残る。そして早くも肩で息をする水晶に再びヘンセンの高速タックルが
襲い掛かった。
「ウラアァァァァ!」
「くっ!」
今度は水晶の身体をがっちりと捉え両腕ごと抱え込んでいき、一気に押し倒した。
ズダアァァン!
「はぐっ!・・・・んうぅぅ・・・・」
背中から叩きつけられ一瞬息が止まる・・・だが、その態勢からヘンセンは尚も密着
したままバックへと回り込み、その太い両手両脚を水晶に絡みつかせていった。
「フフフフ・・・・これからだぜ、お嬢ちゃん」
「はう・・・・・・ぁああ・・・・・・・・」
胴締めスリーパー・・・両腕が水晶の首を絞めつけ、更に両脚は水晶のボディを押し
潰さんと締めつけていく。
メキメキメキメキ・・・・・
骨の軋む音が水晶の耳を衝く。
「ああぁぁぁぁ・・・・・・・・・」(く、このままじゃオトされる・・・うぅん、
身体ごと潰されちゃう・・)
懸命に身をよじって逃れようとするが、逆に身体を激痛が苛んでゆく。ヘンセンは水
晶のささやかな抵抗を楽しむように耳元で囁いた。
「クククク・・・貴様は殺しちゃあOUTって聞いてるんでな!」
「うあぁぁぁ・・・・・・ッ!」
ヘンセンはじわじわと力を強め尚且つオトしてしまわぬように、頚動脈のポイントを
外して顎の辺りを締めつけていく。顔全体がギリギリと軋み、激痛にアブラ汗が水着
をぐっしょりと濡らしていく。
「どうだ?自分の頭蓋骨の鳴る音は?んん?」
「んあぁぁ・・・・・・・・・・・」
「さあ・・・・もう、組織のデータとやらを渡す気になったか?」
組織の質問に対する答え、それさえ言えばウソか本当かはともかく今自分を襲い続け
る責め苦からは逃れることはできる・・・しかし、それは同時に、自分にとって一番
かけがえのない人を見捨ててしまうこと・・・。水晶は、小さな身体で耐えることし
か出来なかった。
「・・・あぁ・・・・・・・・・ぅぅ・・・・・・・・」
「どうしたァ?まだ、ヤラレ足りないか?」
ヘンセンは胴締めの態勢のまま片腕で水晶の腕を極め、更に空いている右腕で水晶の
脇腹へパンチを打ち込んでいった。
ドスッ!・・ドスッ!・・ボスッ!・・・
「あふっ!・・・げふぉっ!・・・はうっ!・・・んぶっ!・・・・」
少女の肉体を殴る鈍い音と呻き声が固唾を呑み静まり返った場内に響き渡る・・・圧
倒的な体格差と総合格闘技者にとって磐石の態勢は少女レスラーの反撃を1%たりと
も期待させない。ヘンセンの重い拳がダース単位で水晶の脇腹を抉り続け、血の混
じった涎が少女の口元から溢れ出す。
「うぶっ!・・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・んぐっ!・・・うぅっ!・・・・・」

「どうだぁ、白状する気になったかァ?!」
ヘンセンは拷問責めと共に水晶の耳元で囁いていく。しかし水晶は無言のまま僅かに
首を横に振る。
「チッ!・・・なら、これでどうだァ!」
ヘンセンは胴締めパンチからチキンウイング・フェイスロックへと移行していった・
・・そうして水晶の腕を極めたまま顔を捻っていこうとした瞬間、水晶はヘンセンの
バンテージの巻かれていない親指の先に噛みついた。
「な、痛てぇ!・・・・この、離せ!」
半死半生と思われた少女の反撃に思わず突き放すヘンセン。
「はぁ、はぁ、はぁ、ペッ!」
水晶の口から紅い塊が吐き出される・・・それはヘンセンの爪だった。
「この、痛てえぇ・・・・・・よくもやりやがったな!」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・げほっ!げふぉっ!・・・・うぅ・・・・」
「このガキィ!ぶっ殺してやる!」
噛まれた指を振りながらヘンセンが四つん這いの水晶を凶悪な目で見下ろす。よろよ
ろと立ち上がった水晶にヘンセンが大振りのロシアン・フックで襲い掛かっていっ
た。
「ウラアァァァ・・・・・ッ!」
「くっ!」
襲い来るヘンセンのふところへ水晶は間合いを詰め、そのまま腕を取り自らの腰を支
点に一気に巻き込んでいった。
バアァァァン!
ヘンセンの巨体が背中からマットに叩きつけられる。逆上したヘンセンの態勢の乱れ
を衝いた一本背負い・・・水晶も殆ど無意識で繰り出した技に投げた本人、ヘンセン
そして場内も呆然としていた。
「勇兄ちゃん・・・・・」
子供の頃、永沢勇そしてその父と一緒に警察の柔道場に通ってた頃の記憶が水晶の頭
をよぎる・・・<いいか、水晶、柔道っていうのは身体の大きさはカバーできるん
だ!どんな大男だってバランスを崩したら小石にだってすっ転んじまうだろ>・・・

「はぁ、はぁ、はぁ・・・ありがとう・・・勇兄ちゃん、おじさん!」
しかしヘンセンは一本背負いでのダメージなど微塵もない、逆にリング上で醜態を晒
したその憎悪を水晶へと向けていく。
「このクソアマぁ!」
ヘンセンは再度水晶をグランドの態勢に持っていこうと低空のタックルを仕掛けてい
く。
「くっ・・・・・」(こうなったら捨て身でいくしかない・・・見てて、勇兄ちゃ
ん)
水晶はサイドステップでかわすと、更にヘンセンの足首をカニ挟みで捕らえた。
ズダアァァァ・・・ン!
「ぐはっ!」
うつ伏せにダウンするヘンセン、すかさず水晶はその場飛びのバク宙で膝をヘンセン
の後頭部に突き刺した。
「ぐはっ!」
軽量とはいえ水晶の体重プラス遠心力の加わったダブルニードロップに頭を抱えてう
ずくまるヘンセン。
「はぁ、はぁ、はぁ、効いてる?!・・・・」
水晶は一気にコーナー最上段へと駆け上がり、切り札である<クリスタル・スプラッ
シュ>に打って出た。通常の試合と違い観客へのアピールもなく瞬く間に宙を舞う水
晶。
「エェェェェ・・・・イッ!」
水晶のしなやかな肢体が弧を描き、その両膝がヘンセンの首筋に叩きつけられた。
「がはっ!・・・・・痛ッ!」
「はぁ、はぁ、はぁ・・・やった?」
水晶はヘンセンのダメージを確かめようとよろよろと立ち上がった・・・が、その瞬
間水晶も膝から崩れ落ちる。
「い、痛ぁい・・・・・・」
ヘンセンの固い首筋への渾身の一撃は水晶の膝へも大きなダメージとなって返ってい
た。普段の試合ではサポーターをして、しかも脂肪の厚いボディにしか打ったことの
ない<クリスタル・スプラッシュ>、その代償はあまりに大きかった。しかし首筋を
押さえながらうずくまるヘンセンの姿に場内は騒然となる。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」(やった?・・・でもこれから一体どうする
の?)
コーナーにもたれながら痛めた脇腹を押さえ肩で息をする水晶、通常のルールならば
カウントが数えられ試合の終了がコールされるがそれを裁くレフリーはこのリングに
は存在しない。相手の意識のある限り闘い続けなければならない・・・
(でもあいつが最初からあたしを潰す気でやってたらいくらでもできたはず・・・グ
ランドの態勢で腕を折るのも絞め落とすのも、それこそ首を一気に折っちゃうこと
だって・・・)
場内の騒然とした雰囲気の中、花道奥では黒い巨大な3つの影が囁きあっていた。
???「あのチビ、膝をヤッたな」
???「ああ、この闇の闘技場で本気で勝つつもりだったのか?」
???「ククク、これからが本当の始まりだとも知らずにな」

inserted by FC2 system