(ハァ…ハァ…いやっ…やめて…もう許して…)
 
ガツン…バキッ…ゴキッ…
 
その少女は今、金網のリングの中にいた。そして一人の男によって全裸状態のままコーナーポストの金具に額を叩きつけられ、その愛くるしい顔を額から流れ出た鮮血で真っ赤に染めながら必死に許しを請いていた。
 
「カンカンカン…」
 
少女の意識が朦朧としていく中でゴングが打ち鳴らされていく。グッタリとマットに横たわった少女の傷口を相手の男が踏みつけて観客に向けてアピールしていた。
 
「二度と俺に喧嘩売ってくるんじゃねぇよ…」
 
そう言いながら男は更に少女の傷口を踏みつけていく。そして更に少女の顔に踵を落とそうと足を持ち上げ、その踵を勢い良く落としていった。
 
(いやっ…お願い…やめてぇぇぇぇぇぇっ…!!)
 
「はっ…」
 
少女が目を開けると、そこは真夜中の部屋のベッドの上であった。今までの事は少女の見ていた夢だったのだ。いや、正確にはそうでは無い。少女の見た夢はかつて、彼女自身が身を持って体験した忌まわしい記憶の再現であった。
 
「まただ…これで三日連続…どうして…」
 
少女の名は市河由衣。そのスレンダーな体に不釣合いな巨乳でグラビアで人気を博し、今ではグラビアのみならず、歌手、そして女優としても活躍しており、まさしくトップアイドルの一人に数えられていた。しかしその陰には地下プロレス初期からの酷い目に遭いながらの奮闘があった。幾多の修羅場を経験しながらも着実に実力を着け、先日のグラビアアイドルトーナメントでも強敵根元晴美との死闘を制して見事優勝し、今ではジュニアヘビー有数の実力者に数えられ次期ジュニアヘビー級チャンピオンの呼び声も高い。しかし彼女はその地下プロレスでそれ以上に大きなトラウマを抱える目に遭っていた。今彼女が苦しめられている悪夢もそこに起因していた。
 
「何よ…もう昔の事じゃない…それに私は…あの時とは違うんだから…」
 
忌まわしい過去を振り切る様に由衣は再び布団を被った。しかし彼女はもうすぐその過去と真正面から向き合わされる事になるのをまだ知らなかった。彼女の見た連夜の悪夢は、その序章でもあった。
 
 
「おはようございます!今日は宜しくお願いします!」
 
その翌日、由衣は仕事でテレビ局のスタジオに入っていた。昨夜の悪夢が嘘の如く、由衣は元気にスタッフに挨拶していた。
 
「市河さーん!もう少ししたらリハーサル始めますんでー!」
 
「はーい!宜しくお願いしまーす!」
 
そう伝えに来たスタッフのが楽屋を去ると、由衣はリハーサルが始まる前に共演者に挨拶しておこうと楽屋を出た。
 
(挨拶はちゃんとしておかないとね…え?あれ…あいつは…!!)
 
由衣の目に一人の男の姿が映った次の瞬間、由衣は言い様の無い恐怖感に襲われた。そしてその脳裏には連日由衣を苦しめ続けるあの悪夢の光景が蘇ってきた。そして由衣は無意識の内にトイレの中に駆け込んでいた。
 
「ハァ…ハァ…ううっ…おえっ…おえぇぇぇぇっ…」
 
堪らず気持ち悪くなって胃の中の物を戻してしまう由衣。それは先程までの元気が嘘の様な姿であった。
 
(何で…何でいきなり…まさか…あの夢を見たから?)
 
由衣を襲った恐怖感の原因、それは由衣の目に飛び込んできた男にあった。その男こそ、由衣が見た悪夢の中に出てきた人物、そう、かつて地下プロレスの金網デスマッチで由衣を全裸にした挙句、大流血KOに追いやった滝本秀明であった。
 
(どういう事…?私…あいつを…滝本を無意識の内に恐れてる…!?)
 
そもそもの滝本と由衣の因縁の事の発端は、由衣が地下プロレスデビュー戦で当時滝本の彼女で引退状態に追い込まれていた鈴本亜美(当時はあみ)を藤原瞳、末長遥と3人がかりで失神KOに追いやった事まで遡る。とりわけ瞳と遥はそれ以前に滝本によって幾度と無く痛めつけられており、その憂さ晴らしとばかりに亜美を攻め立てた。由衣も自分をアピールしようと当時出演していたプロレスドラマでの経験を生かして亜美を痛めつけ、それを見ていた滝本が由衣達3人に食って掛かり因縁が勃発したのだ。そして、その決着戦として組まれたのが、現在由衣が苦しめられている悪夢の出来事であった。3人の代表として滝本に挑んだ由衣は大流血全裸失神KOと言う屈辱を味わう事になったのだった。そしてその後は滝本とのカードも組まれること無く現在まで来たのだが。
 
「由衣〜っ!リハーサル始まるよ〜!どこにいるの〜!」
 
自分を探すマネージャーの声に気づいた由衣は、胃液で汚れた口を洗って表情を確認すると、マネージャーの所へ戻っていく。
 
「大丈夫か?少し顔が青いよ?」
 
「あっ…いえ!大丈夫です!さっ…早く行きましょう!」
 
自らの異変に気づかれまいと由衣は無理やり笑顔で振る舞いながら、心の中で自分に言い聞かせていた。
 
(気にしちゃ駄目…あんな夢を連続で見たせいよ…もう昔の事なんだから!今は仕事の事に集中しないと!)
 
「お待たせしてすいません!宜しくお願いします!」
 
スタジオに入るなり、そう言って必死に頭を下げる由衣に、ディレクターが少し驚きながら声を掛ける。
 
「いいよ由衣ちゃん。大遅刻って訳じゃないんだからそんな頭下げないでよ!あ、そうそう!丁度一緒にリハーサルやる子が来てるんだ。彼女もこの手の番組出るのは久しぶりみたいだからね〜仲良くしてあげてね。」
 
しかしその共演者は、由衣が必死に抑え込んでいた恐怖心を爆発させる事になる人物であった。その人物を見た時、由衣は自らの体が震えだすのを感じていた。
 
「おはようございます!今日は宜しくお願いしま…い…市河さん…!?」
 
「…いや…いや…いやぁぁぁぁぁっ…!!」
 
その瞬間、由衣の悲鳴がスタジオに響き渡る。由衣の脳裏に再び悪夢の光景がフラッシュバックし、由衣が必死に隠していた恐怖心が一気に暴発したのだ。由衣の目の前に現れた人物、それこそ滝本との抗争のきっかけを作った鈴本亜美であった。
 
「由衣!どうしたの!?何があったの!?」
 
思わずマネージャーが駆け寄ると、由衣の顔は青ざめ、その体は周りから見ても分かる位震えていた。只ならぬ状況にスタッフも由衣の元に駆け寄るが、由衣の震えは尋常なものでは無かった。
 
ちょっと鈴本さん!由衣に何をしたの!あなた何かしたんでしょ!言いなさい!」
 
「いえ…私…その…」
 
由衣のパニックが亜美に原因があると考えたマネージャーは亜美に食ってかかる。しかし亜美も突然の事に説明など出来る訳も無かった。
 
「ハァ…ハァ…いや…いやっ…」
 
由衣のパニックは一向に収まる気配が無く、とりあえずリハーサルは中止され由衣は楽屋へ戻る事になった。スタッフが見守る中マネージャーが由衣を連れて行く。そしてスタジオには複雑な表情でそれを見送る亜美と、その亜美をを怪訝そうに見やるスタッフが残された。
 
(市河さん…ひょっとして…)
 
スタッフの視線を受けながら、亜美の頭の中にも由衣同様に過去の記憶が徐々に蘇っていた。
 
 
結局、その日のリハーサルは由衣の体調不良を理由に後日改めて行われる事となり、由衣はそのまま病院へと直行した。検査の結果体の異常は見つからず、とりあえず由衣は数日自宅で療養する事となった。
 
(私…どうしちゃったんだろう…何で…あんなに怯えたりするなんて…)
 
その夜、由衣はベッドに横になりながら自問自答していた。彼女自身、自分の怯え様が未だに信じられずにいた。そしてそれ以上に滝本と亜美に対して怯えた自分自身にショックを受けていた。
 
(私…あれから必死に強くなろうと思って頑張ってきたつもりだった…情けない自分から生まれ変わったと思ったんだけどな…)
 
由衣にとって、かつての滝本との試合での敗戦はあまりにも屈辱的な出来事であった。全裸にされた挙句、大流血での失神KOという無惨な結果に終わった事は彼女の心に大きなトラウマとなって残っていた。そのトラウマを振り払うかの様に由衣はその後ひたすらに戦い続けた。そしてそれはいつしか彼女に力を与え、今や由衣は押しも押されもせぬ実力者へと成長していった。しかしその一方で由衣自身、いつしか無意識のうちにそのトラウマを記憶の彼方へ無理矢理押しやっていた。思い出したくなくて、滝本・亜美・そして瞳と遥、忌まわしきトラウマを連想させるものから全て目を背ける様になっていたのだ。
 
(私…どうすればいいの…このまま一生怯え続けなくちゃいけないのかな…)
 
言い様の無い苦悩を抱えながら、由衣は眠りについた。
 
 
その数日後、由衣はドラマの収録スタジオにいた。しかし尚も悪夢は由衣を苦しめ続けていた。それをどうする事も出来ぬ由衣ではあったが、いつまでも仕事を休む訳にも行かず苦悩を必死に抑えながら仕事を続けていた。しかしここにも運命のいたずらが待っていた。まるで由衣に悪夢との決着を迫るかの様に。
 
「由衣ちゃん。今日一緒にする子を紹介しておくね。この子…松永優子ちゃん。」
 
次の瞬間、由衣は自らの目を疑った。スタッフが松永優子として紹介したその人物こそ、由衣が会うのを避けて来た藤原瞳であった。由衣は思わず尋ねる。
 
「ひ…瞳ちゃんだよね…?」
 
しかし、松永優子と名乗る瞳はどこか複雑な表情を浮かべ、由衣の事を直視出来ずにいた。
 
「由衣ちゃん…」
 
2人の間には気まずい空気が流れるが、それも無理の無い話であった。滝本との一戦以来、由衣は無惨な姿を晒して敗北した後ろめたさから瞳と遥を避け、一方の瞳もまた由衣が無惨な姿にされるのを黙ってみているしか出来なかった事から由衣を避ける様になり、互いにギクシャクしたまま今の今まで顔を会わせる事が無かったのだから。
 
「何?2人は顔見知りだったの?」
 
事情を知らないスタッフが尋ねるが、由衣は堪らずその場を離れようとするが、優子を名乗る瞳は勇気を振り絞る様に由衣を呼び止めた。
 
「…待って…待って由衣ちゃん!少しだけ…少しだけ話せない?」
 
 
その後、由衣と瞳(優子)はスタジオ内の食堂にいた。相変わらず2人の間には気まずい空気が流れていたが、瞳が徐に口を開き始めた。
 
「久しぶりだね…元気?…って、あんまり元気そうじゃないね…ごめん…」
 
重い空気の中、瞳が必死に言葉を発しているのを感じた由衣も何とか言葉を搾り出す。
 
「瞳ちゃん…改名してたんだ…びっくりしちゃったよ…」
 
「う…うん…この前までちょっと仕事休んでて…最近また仕事を始めたんだけど、心気一転改名したらどうかって言われてさ…」
 
「へぇ…そうなんだ…でもいい名前だね…」
 
場の空気が変わらない中、必死に言葉を絞り出す2人。だが、意を決した様に由衣が言葉を発した。
 
「瞳ちゃん…私、謝らなきゃいけないね…あんな情けない負け方して、ホントは瞳ちゃんにも遥ちゃんにも会う資格ないのに…ごめん…」
 
そう言って頭を下げる由衣の姿に、瞳は驚きを隠せなかった。
 
「そんな…頭上げてよ由衣ちゃん!由衣ちゃんは私と遥ちゃんの代わりに戦ったんじゃない!それに由衣ちゃんがあんな目に遭ったのは元はといえば私に責任があるんだし…由衣ちゃんは悪くない!謝らなきゃいけないのは私の方だよ…ごめんね、由衣ちゃん…」
 
謝る瞳の目にうっすらと涙が光っている事に由衣は気づいた。
 
「私…あの時由衣ちゃんがやられるのを黙って見てる事しか出来なかった…由衣ちゃんは私達のために戦ってくれたのに…それなのに私は何も出来なくて…悔しくて情けなかった。」
 
「瞳ちゃん…」
 
瞳の意外な言葉に由衣は言葉を無くすが、続けて瞳の口から語られた真実は由衣に衝撃を与えることになった。
 
「実はね…私、あの試合の後暫くしてからまたタッキーと戦ったの。」
 
「瞳ちゃんが…タッキーと!?」
 
「うん。でも結果は散々な位のボロ負け。由衣ちゃんや遥ちゃんの為にも勝ちたかったんだけど、いざタッキーと向き合ったら血まみれの由衣ちゃんの姿が頭に浮かんできて物凄い怖くなって足が竦んじゃって、結局何も出来無いで一方的に負けちゃった。しかもその試合、タッキーが私を何分で倒せるかってお客さん達が掛けてた、いわば賭け試合でさ。最初から私が勝つ事なんか誰も期待してなかったのよ。」
 
初めて知らされた事実に由衣は言葉を失う。
 
「でも賭けにされてた事以上に、私にとってはタッキーにまた負けたって事の方がもっとショックだった。元々、全て私とタッキーが戦った事から始まった事で、由衣ちゃんや遥ちゃんはそれに巻き込まれただけで…本来なら私がタッキーに勝って由衣ちゃんや遥ちゃんの仇を取らなきゃいけないのに…私はいつまで経っても変わらないのかって考えたら、物凄い自分の事が嫌になっちゃって…それで暫く仕事を休んでたんだ。」
 
「そっか…そんな事があったんだ…」
 
由衣はそう言うのが精一杯だった。
 
「由衣ちゃん…ごめんね。由衣ちゃんや遥ちゃんの為にも勝たなきゃいけなかったのに…でも私にはタッキーに勝つ事は無理なんだよね…こんな情けない私じゃ。でも私思うんだ。今の由衣ちゃんならタッキーに勝てると思う。聞いたよ、グラビアトーナメントで優勝したんでしょ?凄いじゃない。あの根元晴美さんにも勝てたんだからきっとタッキーにだって勝てるよ。頑張って。こんな私だけど、由衣ちゃんの事応援してる。」
 
必死に笑顔を作りながらそう言う瞳に、由衣は複雑な感情を抱いた。
 
「瞳ちゃん…実は私、この前…」
 
しかしその言葉を遮る様に、瞳が言う。
 
「ごめんね由衣ちゃん。こんな情けない話しちゃってさ。でも私、どうしても由衣ちゃんに謝りたかったの。それだけは分かって欲しいんだ。さ、スタジオに戻らないと。」
 
そういって背を向けて去ろうとする瞳だったが、しかし由衣は勇気を振り絞る様に瞳に語りかけた。
 
「瞳ちゃん…私、戦えない!今の私…凄い臆病者だから…」
 
その言葉に瞳も思わず振り向く。
 
「瞳ちゃん…私も…瞳ちゃんに話さなきゃいけない事があるんだ。聞いてくれる?」
 
その由衣の表情に何かを感じた瞳は、再び腰を下ろした。
 
「由衣ちゃん…臆病者って…どういう事…?」
 
「瞳ちゃん…私…怖いの、タッキーの事が。タッキーを見ると、体が勝手に竦んじゃうの…瞳ちゃんが思ってる程、私は強くないんだ…」
 
「由衣ちゃん…やっぱりあの事が…」
 
「うん。私、あの試合の後、もう二度とあんな目に遭いたくないって思って必死に頑張ってきた。そして自分でも強くなったつもりだった。もうあの時とは違うんだって思った。でも私、ここ最近ずっと同じ夢を見るの。あのタッキーに負けた時の試合。その夢を見る度に怯えている自分がいるの。それでももう昔の事なんだから気にするなって自分に言い聞かせてた。でも、この前偶然タッキーを見かけた時、物凄く怖くなった。思わずトイレに駆け込んで戻しちゃった。それでも自分のがタッキーを恐れてるのを認めたくなかった。でもその後今度は鈴本亜美さんに会ったの。そしたら夢で見た光景が目の前に拡がって来て、また物凄い恐怖感が襲ってきた。そして皆がいるっていうのに私、大きな声で悲鳴を上げて震え上がってた。そして私もやっと自分の中でタッキーや皆との事がトラウマになって残ってるんだって認めざるを得なくなったの。」
 
「由衣ちゃん…」
 
以前よりずっと強くなったと思っていた由衣の真実を知った瞳もまた、大きなショックを受けていた。
 
「私は自分が変わったって必死に言い聞かせて、あの事から目を背けていただけなんだ。情けないのは瞳ちゃんだけじゃない。私だって同じだよ。情けない者同士だよ私達。」
 
そう言って由衣は自嘲的な笑みを浮かべた。瞳もどうしたらいいのか分からなくなって苦笑いを浮かべていた。
 
「由衣ちゃん…私達…ずっとこのままなのかな…ずっと情けなくて、怯えたまま生きていかなきゃいけないのかな…」
 
重い沈黙が続く中、意を決した様に瞳が口を開いた。
 
「瞳ちゃん…」
 
「私達…自分の弱さと向き合わないといけないんじゃないかな?由衣ちゃんがずっとあの時の夢を見るのも、自分の弱さから目を背けてちゃいけないっていう意味なんじゃないかな?」
 
「弱さと向き合うって…もう一度タッキーと戦えって事?でも今の私にそんな事…」
 
「うまく説明できないけど…私達が倒さなくちゃいけないのはタッキーじゃなくて、過去の事に決着を付けないで目を背けてる自分自身の弱さだと思う。でもその弱さがタッキーに負けた事が原因ならもう一度タッキーと戦う事は避けられない。もう一度タッキーと戦って…今度こそ勝つしかない!そうしないと…私達、ずっと先に進めないよ…由衣ちゃんは…ずっとそれでもいいの?」
 
「私だって…私だってそんなの嫌だよ…でも私、タッキーと戦えるか分からない…戦ったところで、また前の様に酷い目に遭うかも知れない…それを考えると…凄く怖いの…」
 
「それは…私だって同じだよ。勝てる保障なんてどこにもないし…でも私思うんだ。この前の試合の時、私は何も出来なくてただ由衣ちゃんがやられるのを黙って見てるしかなかった。その結果、由衣ちゃんは一人で戦う事になっちゃって負けちゃった。でもあの時私達が協力してれば、もしかしたら勝てたのかもしれない。だから今度は私も一緒に戦う。由衣ちゃんとなら…自分の弱さを乗り越えていける、そんな気がするの。だからお願い、力を貸して。私が前に進むには由衣ちゃんが必要なの。お願い…」
 
「瞳ちゃん…」
 
瞳の言葉が、由衣の心を覆う闇に一筋の光を差した。こんな自分を瞳は必要としてくれている。その事実が由衣には何より嬉しかった。そして由衣も言う。
 
「瞳ちゃん…私にだって…私にだって瞳ちゃんが必要だよ。こんな私だけど、瞳ちゃんが必要としてくれるなら頑張れる気がする。私こそ…力を貸してもらっていい?」
 
その言葉を待っていた様に瞳の顔に笑顔が浮かぶ。
 
「もちろん!よろしく由衣ちゃん!」
 
そう言って瞳は手を差し出す。由衣もまた、その手に自らの手を差し出した。
 
「瞳ちゃん…頑張ろう!」
 
互いの手を握りながら、微笑み合う2人。長きに渡って2人を覆っていた氷が解け、二人はようやく前に向かって進みだした。しかし、ここで瞳がひとつの事に気付いた。
 
「由衣ちゃん…私達…2人じゃ駄目だ…3人じゃないと…」
 
「そっか…遥ちゃんの事か…」
 
「この事は私と由衣ちゃんと遥ちゃん、3人の問題なんだもん。私達2人だけでタッキーに勝てたとしても、全然問題は解決しないよ!」
 
「うん…そうだね…遥ちゃんもいてくれなきゃ駄目だよね。でも…遥ちゃん私達に会ってくれるかな…私達だってお互いに今の今まで会うのためらってたんだし…」
 
「それは…そうかもしれないけど、でも私ダメ元で連絡取ってみる。遥ちゃんに会って…私達の気持ちをぶつけてみようよ。」
 
そう言う瞳の姿が、由衣には昔よりずっと大きく見えた。
 
「瞳ちゃん…何か見違えたよ。昔よりずっと強くなった。私…見習わないとね。」
 
微笑みながらそう言う由衣に、瞳も恥ずかしそうに答えた。
 
「そう見えるなら、それは由衣ちゃんのお陰だよ。由衣ちゃんに会って私、決意が固まったんだからさ。」
 
二人はそう言って、また微笑み合った。
 
 
そして数日後、2人は末長遥と会う為にとある店に来ていた。由衣の予想した通り、瞳が連絡を取った時遥は2人と会うのを激しく拒絶した。やはり遥としてもあの試合の事が引っかかっていたのだ。しかしそれでも、由衣も瞳も懸命に会って話したいと頼み込み、遥も折れて会う事を了承したのだった。
 
「遥ちゃん…来てくれるかな?」
 
「大丈夫よ。遥ちゃんは約束をすっぽかす様な子じゃないって。」
 
不安げになる由衣を励ます瞳も、しかし内心ではずっと会うのを避けてきた遥と会う事に緊張の色を隠せないでいた。そして待つ事30分。遂に遥が2人の前に現れた。
 
「由衣ちゃん…瞳ちゃん…」
 
複雑な表情を浮かべながら、遥が2人を見た。
 
「遥ちゃん…良かった…元気そうで。」
 
微笑みながら由衣は遥に優しく声を掛けた。しかしその由衣の態度が遥が抱いていた複雑な感情を抱爆発させてしまった。
 
「…やめてよ由衣ちゃん!優しくなんかしないで!私は…由衣ちゃんが酷い目に遭うのを黙って見てた最低な奴なのよ…そんな私に…何の用があるの?もしかして今更恨み言でも言いに来たの!?」
 
由衣に向かって凄い剣幕で怒鳴る遥に、瞳が間に割って入った。
 
「ちょっと待ってよ遥ちゃん!話も聞かない内にそんな言い方は無いでしょ!ちゃんと話を聞いてよ!」
 
「何よ!いい子ぶっちゃって…瞳ちゃんだってあの時由衣ちゃんがタッキーに痛めつけられるのを黙って見てたじゃない!今更になって由衣ちゃんを庇ったって遅いのよ!」
 
「酷い!そんな事言うなんて!折角仲直り出来るかなって思ったのに…見損なったよ遥ちゃんの事!」
 
再会も束の間、一気に険悪になる2人を見て堪らなくなった由衣が間に入る。
 
「やめて…やめて2人共!私達は喧嘩する為に会う約束したんじゃない!私も瞳ちゃんも、遥ちゃんに力を貸して欲しくて会いたいって頼んだんだよ!」
 
その由衣の言葉に2人はようやく我に返った。
 
「力を貸して欲しいって…どういう事!?」
 
我に返った遥が由衣に尋ねると、由衣は決意を固めた表情で答えた。
 
「私と瞳ちゃん…もう一度タッキーと戦う事にしたの。だから遥ちゃんに力を貸して欲しいの。」
 
その言葉に遥は信じられないと言った表情で聞き返す。
 
「由衣ちゃん…本気なの?だってあんなに酷い目に遭わされた相手なんだよ?また同じ目に遭わされたらどうするの!?」
 
「…普通に考えれば遥ちゃんの言う通りだよね。金網の中で素っ裸にされて、挙句の果てに血だるまなんて、ホントならもう忘れたいけど今だに忘れれられない。忘れたくても私の中でトラウマになってずっと私の事を苦しめ続けてる。」
 
先日瞳に話した様に、自らの弱さを瞳に告白する由衣は、しかし続けて自分の決意を語った。
 
「でもその後偶然瞳ちゃんと会って、瞳ちゃんも私と同じ様に苦しんでる事を知ったの。そして私達このままじゃいけない、ちゃんと自分の弱さと向き合わなくちゃいけないって話したんだ。その為にももう一度タッキーと戦わないとっていけないって。でもこれは私だけの問題じゃない。あの時、タッキーと関わった私と瞳ちゃん、そして遥ちゃんの3人の問題なんだ。だからこそ私達は協力してタッキーと戦わないといけない。だからこそ遥ちゃんに力を貸して欲しくて連絡したのよ。」
 
「由衣ちゃん…」
 
「それは…私だって遥ちゃんに会うのが怖かった。遥ちゃんの目の前であんな酷い負け方してどの面下げて会えばいいのか分からなかったし、瞳ちゃんだって私がやられてる時に遥ちゃんと一緒で何も出来なかったのに頼める身分じゃないんじゃないかって悩んでたの。それでも私も瞳ちゃんも、遥ちゃんに力を貸して欲しかったの。遥ちゃんが私を助けられなかったのを後悔してるなら、それはもう気にしないで。昔の事を忘れて協力して前に進むって私も瞳ちゃんも決めたんだから。お願い、力を貸して!」
 
由衣はそう言って、遥に頭を下げた。そして瞳もそれに続く。
 
「遥ちゃん…由衣ちゃんの言う通りだよ。私だって由衣ちゃんと同じ気持ちだよ。さっきは怒鳴ったりして悪かったけど、私だって由衣ちゃんと遥ちゃんと力を合わせて頑張りたいの。お願い遥ちゃん!」
 
頭を下げる2人に、遥はゆっくりと口を開いた。
 
「分かった…分かったから頭を上げてよ。由衣ちゃんと瞳ちゃんの気持ちはよく分かったよ。2人が私に力を貸して欲しいって気持ちは十分に伝わってきたよ。でも…でも私には2人に貸せる様な力なんか無い…私、怖いの…あの由衣ちゃんとタッキーの試合を見た時、もうこれ以上タッキーと関わるのはやめようって思った。これ以上関わったら私は由衣ちゃん以上に酷い目に遭わされるかも知れない。それを考えると物凄く怖いの…だから残念だけど、私は2人の力にはなれない。情けない話だけど、分かって欲しいの。ごめん…」
 
そう言って立ち去ろうとする遥に、由衣と瞳が叫んだ。
 
「待って遥ちゃん!貸せる力が無くてもいい!それなら私が遥ちゃんの分まで力を出す!だからせめて、私達の側にいて欲しいの!私もまだ心の何処かに恐い気持ちがあるのかもしれない…でも瞳ちゃんと遥ちゃんが側にいてくれるなら、私は強くなれる気がするの!だからお願い!」
 
「遥ちゃん!私達と一緒に戦って!私には、由衣ちゃんと遥ちゃんが必要なの!」
 
必死に呼び止める由衣と瞳の声を振り切るかの様に、遥は立ち去っていく。その遥の背中に由衣が再び叫んだ。
 
「遥ちゃん…私も瞳ちゃんも、絶対に遥ちゃんが戻ってきてくれるって信じてるからね!」
 
その言葉に遥は一瞬足を止めるが、程無くしてまた歩き出して去っていった。しかし、その目にうっすらと光るものがあった事に由衣と瞳は気付いていた。
 
 
その翌日、由衣と瞳はジムに来てトレーニングを行っていた。遥が自分達のところに来てくれる事を信じながら、来たるべきタッキーとの再戦に向けて少しでも強くなるべく今までに無い位厳しいトレーニングを自分達に課していた。
 
「遥ちゃん…戻ってきてくれるよね?」
 
「うん…絶対戻ってくる!だからそれまで、私達は今出来る事をしてようよ。」
 
遥の事を信じながら、2人は必死に自分達を鍛え続ける。そしてそれを密かに遠くから見やる人物がいたのだが、しかし2人はそれに気付く由も無かった。
 
 
同じ頃、遥は2人の元に戻るべきか悩んでいた。あの一戦の後、3人の関係がギクシャクしたままになっている事は遥にとっても心残りであった。遥とて出来るなら由衣や瞳と仲直りしたかったが、やはりあの時、由衣がやられるのを黙視しているしかなかった事がネックになっていた。もし、由衣達のところへ戻ったとしても、自分はまた前と同じ様に何も出来ないんじゃないのか…それを考えると遥はどうしても決心がつかなかった。
 
(私だって…戻りたい。由衣ちゃんや瞳ちゃん達と一緒に戦いたい…だけど…)
 
遥が悩んでいたその時、事務所のスタッフが遥にある手紙を持ってきた。
 
「これ、遥ちゃん宛てに事務所に届いてたんだけど…何か普通のファンレターとは違うみたいなんだ…何か危ないものだったりしたらまずいから捨てちゃう?」
 
しかし遥はそれがもしかしたら由衣や瞳からのメッセージかもしれないと思い、それを受け取った。
 
「あっ…いえ…一応確認させてください。下らない悪戯とかだったらすぐ捨てるんで…」
 
受け取ったその手紙を早速開けてみる遥。しかしそこに書かれていたのは彼女が聞かされていなかった真実であった。
 
「こ、これって…そんな…そんな事が…」
 
 
そして、更に数日後。由衣と瞳は変わらずトレーニングに励んでいた。しかし昨日は遥の帰還を信じると語った2人であったが、日が経つ毎にもう遥は戻って来ないんじゃないかという気持ちが湧き上がり始めていた。
 
「遥ちゃん…やっぱりもう…」
 
「諦めちゃダメ…時間が掛かっても…遥ちゃんの事を信じようよ!」
 
弱気になる瞳を懸命に励ます由衣だったが、彼女も内心では不安で一杯になっていた。しかし次の瞬間、その不安を吹き飛ばす光景が2人の目に飛び込んできた。
 
「は…遥ちゃん!」
 
2人の前に遥が立っている。その光景に2人の顔に笑顔が浮かぶ。
 
「遥ちゃん!戻ってきてくれたね…良かった…」
 
嬉しさのあまり、瞳の目には涙がうっすらと涙が浮かんでいた。そして遥が口を開いた。
 
「由衣ちゃん、瞳ちゃん…2人に聞きたい事があるの。」
 
「何?何でも聞いてよ!」
 
嬉しそうに答える瞳に、遥は続けて尋ねた。
 
「瞳ちゃん…あの試合の後、またタッキーと戦ってたの?」
 
その質問に、一瞬表情を曇らせながらも瞳は答えた。
 
「あ…うん。そうよ。私とタッキーのカードが組まれたのはホントの話。由衣ちゃんや遥ちゃんの為にも勝ちたかったんだけど…」
 
「そっか…そうだったんだ…ホントの話だったんだね。瞳ちゃん、私や由衣ちゃんの為に…」
 
「でもさ…結果はまた無惨なKO負け。やっぱり私の力なんてたかが知れたものだったんだよね…情けない事にさ。」
 
瞳は自嘲気味に笑った。その瞳を見て複雑な表情を浮かべる遥は、続けて由衣にも尋ねた。
 
「由衣ちゃん…怖いんでしょ?今でもタッキーを恐れてるんでしょ?タッキーや鈴本亜美さんを見ると由衣ちゃん凄く怯えるって…」
 
「遥ちゃん…どうしてその事を…!?」
 
遥の質問に驚いた由衣は逆に尋ねる。
 
「この前…由衣ちゃんと瞳ちゃんに会った後、私の所に差出人の分からない手紙が来たの。その手紙には瞳ちゃんがまたタッキーと戦わされて負けて、しかもその試合が掛け試合でその事に瞳ちゃんがショックをうけて暫く休業してたって事と、由衣ちゃんがこの前テレビ局でタッキーや鈴本さんに会ったら信じられない位に怯えてたって事が書いてあったの。読んだ時は物凄いショックだった。どうしてそんな経験をしたのにまたタッキーと戦おうとするんだろうって…私、2人にどうしても聞きたかったの。」
 
「遥ちゃん…でも一体、誰がそんな手紙を…」
 
手紙の送り主に疑問を抱く瞳であったが、由衣はその事には興味を示さず、遥の質問に答えた。
 
「その手紙に書いてあった事は本当の事よ。瞳ちゃんはタッキーと戦って負けて、そのショックで暫く休業してたし、私の心の中には今でもあの試合の事がトラウマになって残ってて、タッキーや鈴本さんに会った時は恐ろしくなって皆の前で悲鳴を上げたのよ。」
 
由衣が答え終わると、遥が少し間を置いて答えた。
 
「凄いね…由衣ちゃんも瞳ちゃんも。辛い目に遭っても、2人は前に向かって進もうとしてるんだね…忘れたくて逃げてばかりいる私とは違うんだね。」
 
「…凄くなんかないよ。私だって…一人だったら遥ちゃんと同じ様に逃げてたと思う。でも、瞳ちゃんに会って、このままじゃ駄目だって気付かされたの。ちゃんと自分の弱さと向き合って、決着をつけないといけないって。そう思って私はもう一度頑張ってみる事にしたのよ。私一人じゃ駄目かもしれないけど、瞳ちゃん、それに遥ちゃんがいてくれるのならそれが出来るかもしれないって。」
 
「そうだよ遥ちゃん。私も今まで散々酷い目にあってきたけどさ、由衣ちゃんと遥ちゃんが力を貸してくれるならそれを乗り越えて頑張れると思うの。心の中に同じ傷を持ってる私達だからこそ、お互いの気持ちが分かり合えるし、力を合わせられるんじゃないかなって。3人一緒なら怖いもの無しだ、なんてね。言いすぎかな?」
 
由衣と瞳の言葉に、遥はやがて自分の本当の思いを打ち明けた。
 
「由衣ちゃん…瞳ちゃん…本当は…私も2人と仲直りしたかった…また3人で仲良くしたいってずっと思ってた…私だって…2人と一緒に前に進みたい…あの事からずっと逃げ続けるなんて嫌だよ…」
 
そこから先、遥は涙で言葉にならなかった。そしてそんな遥を由衣はそっと抱き寄せた。
 
「…お帰り遥ちゃん。これでやっと3人揃ったね。また一緒に頑張ろう。」
 
そして瞳もまた2人にしがみついた。
 
「良かった…こうやってまた3人仲良く出来る日が来るなんて夢にも思わなかった。こうなったらもう何でも出来る気がするよ。何か夢見たい。」
 
そう言って微笑む瞳の目にも涙がうっすら浮かんでいた。
 
「由衣ちゃん…瞳ちゃん…ごめんね…この前は冷たく当たって…こんな私だけど、また仲良くしてくれる?」
 
「何言ってるのよ!言ったでしょ、私達は3人揃ってないと駄目なんだって。その代わり…もう二度と私達から離れないでよ。」
 
「…うん。絶対離れない。どんなに辛い事があったって…絶対2人と一緒にいるから。」
 
「約束よ。もし約束破ったら私達が遥ちゃんの事泣かせちゃうからね。その上で、また私達のところに連れ戻しちゃうから。」
 
ここにようやく由衣、瞳、遥の3人が揃った。そして目標である滝本秀明へのリベンジに向けて早速動き出す事になった。
 
「さ、いつまでも泣いてないでトレーニング再開!私達は少しでも強くならないといけないんだから!キツイトレーニングになるけど、2人共逃げ出したりしないでよね!」
 
由衣はそういって2人にハッパを掛けた。瞳と遥も顔を見合わせて微笑んでそれに応えた。3人共、ずっとそれぞれの心に掛かっていた暗雲が少し晴れた事に久しぶりの充実感を感じていた。しかし、
その光景を安心した表情で見つめている人物がいた事には3人共気付かなかった。そしてその人物は満足そうな表情を浮かべながらその場を去った。実はこの人物こそ、3人のリベンジの行方を大きく左右する事になるのだが、由衣達3人はその事に気付く由も無かった。
 
 
そして、それから3人の激しいトレーニングは続いた。3人の中で一番の実力者である由衣が中心となり、瞳と遥はそれぞれの持てる力を最大限に引き出すべく一心不乱に自らを鍛え続けた。そしてその結果、瞳も遥も徐々にその実力を着けていった。その姿を見た由衣はこれならリベンジも不可能では無いという確信を持ち始めていた。そして遂に3人は、地下プロレスの運営スタッフに滝本との試合を組んでくれる様にオファーを出した。そして由衣達3人に滝本との試合が正式に決まったとの連絡が入ったのはそれから程無くしてであった。
 
「遂に…遂に来たんだね。瞳ちゃん、遥ちゃん、覚悟を決めて!私達は絶対に勝つよ!」
 
「勿論!」
 
 
一方の滝本にも久々の地下プロレス参戦のオファーが届いていた。レギュラー番組やコンサート活動に加え、大河ドラマの主役まで抱え今までに無く多忙な日々を送っており、ストレスを溜め込んでいた彼にとって地下プロ参戦はそのストレスを発散するのに絶好の機会であった。
 
「面白れぇ…存分に暴れて、相手になる奴を叩き潰してやる…」
 
不敵な笑みを浮かべる滝本であったが、自分の相手が由衣達3人である事を知ると、不機嫌そうな表情を浮かべた。
 
「何だよ…あいつら、あんだけ叩きのめしてもまだ懲りねぇのかよ…だったらあいつら3人に思いっきり地獄を見せてやろうかな…もう芸能界に居れなくなる様な地獄をね…」
 
そう言って滝本は、3人をまとめて地獄送りにする策を練り始めた。
 
 
試合が正式に決まり、由衣達のトレーニングには一段と熱が入った。もう昔の様な屈辱には遭わない、そして今度こそ過去の因縁に決着を付ける、その思いが3人を駆り立てていた。そして今までの練習から由衣は瞳と遥の長所を見出し、そこを徹底して伸ばすのが得策だと考え始めた。
 
「瞳ちゃんはジャンプ力が強いみたいだから、それを生かして戦うべきね。でも驚いた。まさか瞳ちゃんがシャイニング・ヴィザードを身に付けてるなんてね。」
 
「へへっ…実はこれ、友達に教わった技なの。その子物凄い体が柔らかくて、私よりずっとジャンプ力がある子なの。由衣ちゃんも良く知ってる子よ。」
 
「体が柔らかい子…ひょっとして…」
 
「そう。私と同じ『ヒトミ』ちゃん、伊藤仁美ちゃんよ。」
 
「えっ!?仁美ちゃんの事知ってるの?」
 
驚いた表情で由衣が尋ねる。由衣はかつて仁美と同じ事務所に所属しており、仁美の事は良く知ってたのだ。
 
「うん。仁美ちゃんとは前にあるイベントで一緒になった事があって、その時に仲良くなったの。」
 
「そうだったんだ…どうりでピョンピョン飛び跳ねる様になったと思ったら、仁美ちゃんの直伝だった訳ね。流石同じ『ヒトミ』ね。」
 
厳しいトレーニングが続く中で、由衣と瞳は久々の笑顔を見せた。そして由衣は続けて遥にもアドバイスをした。
 
「遥ちゃんは極め技がすごく上手くなったよ。試合の時は下手に打撃とかに持ち込もうと考えちゃ駄目!チャンスを伺って、技を決める事を考えるようにした方が良いわね。」
 
「うん、分かった…由衣ちゃん…」
 
「ん、何?遥ちゃん、どうした?」
 
「…ありがとう。こんな私を信じてくれて。由衣ちゃんと瞳ちゃんが信じてくれたからここまで頑張れたの。本当にありがとう…」
 
目に涙を光らせながら2人に感謝する遥に、由衣は言った。
 
「遥ちゃん…お礼を言うならタッキーに勝ってからにしてよ。まだ始まったばかりなんだよ。それまでは泣いちゃ駄目!私達の戦いはこれから始まるんだからね!」
 
由衣の叱咤激励に、遥も涙を拭って答える。
 
「…そうだね!これからなんだから頑張らなきゃね!由衣ちゃん、瞳ちゃん、改めて宜しくね!」
 
手を差し出す遥。由衣も瞳もその手の上に自分の手を重ねた。そして3人はまた微笑んだ。
 
 
一方、その頃滝本は相変わらず3人に地獄を見せる為の策を巡らせていた。そんな中で滝本は由衣がグラビアアイドルトーナメント優勝等の実績を残す等以前よりも実力を付けている事を知り、今の由衣は一筋縄で倒せる相手ではない事を思い始めていた。ましてや由衣には瞳と遥も付いており、状況的には自分が不利なのだ。しかし因縁ある3人相手だけにどんな策を使ってでも勝利しようとする滝本は彼女達の因縁について調べあげ、やがて一つの策を思いつき、滝本はある人物に連絡を取った。
 
「もしもし…実は事情があってアンタの力を借りたいんだ。アンタの力で地獄を見せてやって欲しい女共が3人いる…そいつらはアンタも良く知ってる奴等だからさ…昔以上にボロボロにしてやってくれよ…お礼はタップリ弾むからさ…」
 
電話の先の人物は滝本の申し出をスンナリと了承した。電話を終えると滝本は狂気に満ちた笑みを浮かべた。
 
「さぁ〜てと…準備完了、地獄へのカウントダウンの始まりだ。もうすぐリングの上には血の雨が降る…今から楽しみだよ…」
 
由衣達3人の知らないところで、彼女達のリベンジを水泡に返そうとする滝本の恐るべき罠が動き始めていたのだが、由衣達3人がそれを知る事の無いまま、遂に運命の試合の日がやってきた。
 
 
控え室で準備を進める由衣達。用意されたコスチュームに着替え終わり、3人は軽くウォームアップをしていた。由衣は白のビキニ、そして瞳と遥は白のワンピース水着を身にまとい、押し寄せる緊張と必死に戦っていた。
 
「あっ、仁美ちゃんからメール来てる!勝つ事を信じてるから頑張ってって!由衣ちゃんや遥ちゃんにも頑張れって伝えてって書いてあるよ!」
 
「ホントに!?仁美ちゃん、今日私達が戦う事知ってるの?」
 
驚いた表情で聞き返す由衣に、瞳は答えた。
 
「…うん。お互い何でも話すって、仁美ちゃんと約束してるの。タッキーや由衣ちゃんや遥ちゃん達との事も前に話したんだ。」
 
「そっか…仁美ちゃんも知ってるのか…いずれにせよ、ますます私達は負けられなくなったね。」
 
「私達だけの為じゃなく、応援してくれてる仁美ちゃんの為にも頑張らないとね。」
 
由衣と遥のその言葉に、仁美は力強く頷いた。そしてそこへ黒服が試合が近い事を告げに来た。
 
「瞳ちゃん、遥ちゃん。私達は今まで散々酷い目に遭ったんだ。もうそろそろそこから抜け出さないといけない。それにその事を考えればもう何も怖くは無い筈よ。私達は3人一緒に戦ってるの。その事を忘れないで。」
 
由衣に続き、今度は瞳と遥が答える。
 
「由衣ちゃん、遥ちゃん…私に力を貸して。私、今度こそ3人でタッキーに勝ちたいから!」
 
「私…今までの事を無駄にしたくない!もう辛い思いはしたくないから…だから絶対に勝とう!」
 
そう言って、3人はそれぞれの決意を確認した。
 
 
一方の滝本の控え室。黒いスパッツに着換えた滝本は連絡を取った人物が未だに到着しない事に苛ついていたが、程無くしてその人物が控え室に入ってきた。
 
「遅かったじゃねぇかよ…いい?いつでも出れる様にスタンバイしててくれよ。俺が合図を出すまで絶対に出てきちゃ駄目だからな…心配しなくてもアンタの活躍の場はちゃんと作ってやるよ。アンタがいないと今夜のショーは成り立たないからね…」
 
それを聞いてその人物の顔には不気味な笑みが浮かんだ。そして滝本の元にも時間を告げに黒服がやってきた。
 
「さぁ〜て、ショーの始まりだ…」
 
そう言い残し、滝本は控え室を後にした。依頼を受けた人物はその滝本を狂気に孕んだ視線で見送った。
 
 
「絶対に勝つぞ!」
 
「おう!」
 
由衣達もまた気合を入れて会場へと向かう。その姿を遠くから見つめる視線があった事に気が付かない由衣達を、滝本の仕掛けた地獄の罠が待ち受けていた。
 
 
 
−『悪夢との決着』(後編)に続く−
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