DOLL HOUSE序章

1

その日の夕暮れは、やけに赤かったのを覚えている。

血のような、といったら陳腐な表現かもしれないが

とにかく赤かったのは覚えている。

数時間前「通告」を受けた。

通告享受書へのサイン。カウンセラーからの今後についての、各種説明。

通称「年金」と呼ばれる生活保障額の算定条件や受け取り手続き。

そしてサンプルセル(細胞)の定期的な供出方法についての段取り。

自分自身淡々と、軽く受け流していた様な気がする。

「本当に他人事みたいですね、先生は。いつもそう。」

最後の手続きを済ませた後、彼女がつぶやいた。かつては同じプロジェクトを共に構築した部下だった女性だ。現在はプロジェクト…いや、“実験”の主軸として、“中央”で指揮を執っていると聞く。本来このケースのカウンセリングは末端の仕事だ。若干の驚きはあったが、そう来るような予感はあった。こういう女なんだ、この娘は。

「ん?…そうかぁ?関わり過ぎていたからな、俺は。覚悟は当の昔に出来ているさ。」

暮れかかる空を窓越しにぼんやりと眺めながら呟いた。

「今日はきれいな夕焼けなんでしょうね。」

彼女の瞳が若干潤んでいたように見えたのは、多分気のせいだろう。

「私、夕焼けは嫌いです。ラボを思い出すから。」今度は彼女が、空を見ながら呟いた。

「良く“あれ”を見て吐いたり、泣いたりしていたからなぁ、お前さんは。でもなぁ、その姿がすんでの所で俺達を正気に留まらせてくれたんだ。感謝しているよ。」

「非道いですね。必死だったんですよ、あの頃は。」口元に笑みがこぼれた。

「“実験”は、今、第何段階なんだ?」

彼女は不意を突かれたようだった。当たり前だ。例えOBといえど、最高機密を簡単に話せる訳がない。すまんな、最後のお茶目のつもりだったんだけどね。

「第5段階です。16トライブ(種族)の選定が終了し、ケース1が進行中です。」

沈黙の後、彼女はこう答えた。…驚いたな。

「大丈夫ですよ、先生。この部屋の“耳”は切って在りますから。」

「…はは、そうだな。お前さん位の権限があればこの程度は容易いわな。でも、驚いたな。」

「何がです?」「いや、肝の据わった、いいオンナになったなぁと。」

二人の笑顔で場が一気に和んだ。そうだよ、この雰囲気だ。

せめて最後は笑顔で送って欲しいじゃないか。

「今だから言いますけどね、先生。」ひとしきり笑った後、彼女が話し始めた。

「本当は先生の子供が欲しかったんですよ」。 

…これは強烈なボディブローだ。

「さっきのお返しです。」

「今のは効いた、うん。…でも、もう無理だな。」

「ええ、分かっています。カルテと測定結果は理解してありますから。」

彼女の表情が曇った。彼女がこんなに豊かに感情を顔に出すのは、本当に久しぶりに見たような気がする。

XXXXXの出産は、そろそろ規制がかかる時期なんだろ?」

「…、ええ。ここ数年のXY出産は0ですから。正常値のXX出産も年々減少して来ています。もう、末期ですね。」

いや、違うんだ。恐らくこれは末期じゃない。始まりにしか過ぎない。そう言いかけて、止めた。こんな事は現役である彼女のほうが、嫌というほど感じているだろう。

煙草を取り出し、火をつけようとジッポを探した。

「煙草はダメです。」すかさず彼女が言い放つ。目が真剣だ。

「いいじゃねぇか、今日くらいは」硬いこと言うなよ、と言いかけた時、彼女が自分の

煙草を取り出してこう言った。

「いえ、ここ灰皿がないもので。…出ましょうか。」

部屋からロビーを抜け、正面玄関に向かう。

やはり…XY、男性の姿は無い。下は子供、上は推定20代迄。すべてがXX…、女性だ。

そして、微妙だが、何処と無く皆似た様な容姿。それならばと外に抜けるまでの間、別の期待を目で追った。陽気なおばさん、世間話に花を咲かせるおばあちゃん達。

…軽い期待は、打ち砕かれた。病室にも、エレベーターにも、食堂にも、ECUでさえも

何処と無く似ている娘達。そして皆美しい…。改めて現実を直視すると、やはりうすら寒い。体がはっきりと拒絶していくのを感じる。

「やっぱり見事に夕焼け。まるで血のようだわ。…あの娘達が流した。」

正面玄関前にある公園のベンチに腰掛けて、二人とも無言で一服してから、

沈黙を破るように彼女が切り出した。

「ああ、その感情は大切だ。あいにくと俺はその感情を持ち合わせていなかった。だから第二段階終了と共にトンズラしたのさ、精神不調、とか適当な理由作ってな。」

「で?結論は出たんですか?」彼女はこちらをゆっくりと振り向いて、静かに、そしてはっきりとした口調で言葉を突きつけた。…まいったな、お見通しかよ。

「バレてた?」当たり前です、と軽く笑って話し出す。

「先生から引継いだあと、第三段階からすべての“実験”に立ち会って来ました。広大な、あの地下のグルデン(暗室)で、蜂の巣の様に細かく仕切られたパーテーションの中ひとつひとつで、どことなく私に似たあの娘達が殺し合うのを、ひたすら見続けてきました。いたって冷静にね。…でも、この段階で“実験”が終わってくれるのを願わなかった日はありませんよ。今でも薬なしでは眠れません。立派なジャンキーですよ。」

ラッキーをもう一本取り出し、火を着ける。それに呼応するかのように、彼女もハイライトを取り出す。そして火のついたラッキーの先端にハイライトの先端を近づけ、火を灯す。

前はマルメンライトだったのになぁ…と言い出そうとして、止めた。

大きく煙を吐き出してから、彼女は続ける。

「先生ならこの悪夢を終わらせてくれると信じていたんですよ。消されると分かっていながら、あそこを離れて…多分何か企んでいるな、と思ったので、休職扱いにしておきました。ストーカー(追尾者)はつけませんでした。どうせ巻かれるだろうと思いましたし。先生絶対『逃げない』って分かってましたから。」

更に増して濃くなって行く夕焼けを眺めながら、ぼんやりと、あの「黒山」の事を思い出していた。そしてそこにある、すべての始まりの場所、あの井戸の事を。

「九州へ行ってきたよ。」そう、あの呪われた家だ。

「…裔家(すえ)へ?」

「ああ、釣りは鮒に始まり鮒に終わるって言うじゃないか。…でもな、俺たちが釣り上げたのは鮒じゃなかった。ピラルクだよ。それも飛び切り獰猛で、したたかに狡猾で、はっきりと“意志”をもった…。あれは俺達レベルが扱える代物じゃなかったんだな、これが。」

「…。辿り着いたんですか?」

「多分…ね。」自分の体の中で、なにかがざわめくのがはっきりと分かる。語りたがっているのだ、俺を蝕む奴らの遺伝子が。こうしている間にも体の中で殺し合いが起こっているのがはっきりと解かる。XYYからXY、そしてXXと、本来なら到底ありえないフォーマットの書き換えが行われているのがはっきりと。…ただ、すべてが完了するまで、この体は持たないだろう、他の男達と同じように。俺ももうすぐだ。

「いやぁ、おかしいとは思ったんだよ。本来ならレベルSだろ?あの場所の封鎖クラスは。

まさか捨てずにおいた認識証でフリーパスだとはね。」

「先生と私を含め、10枚しか発行されてないんですよ。超が着く程の特別製なんです、あれは。…でも、先生もともと確信犯だから、“11枚目”を作っていたんでしょ?」

ほんとにこの娘は、まったく…。しぶしぶ胸ポケットから“11枚目”を取り出して、彼女に手渡した。そうだよ、こいつは更に特別製だ。これを使って『中央』に照会されたとしても絶対にばれない、そういう仕掛けがしてある。今度使ってみるといい。何せ『中央』のホスト本体にも、そういう仕掛けをしてあるからな。

「真実を知りたいか?」

「…ええ。」

「ならば俺達が今迄やって来たことを初めから、かなりひねくれた視点を持って、もう一度検証してみるんだな。…なぜ、俺を含めた男供だけが死んでいく?環境ホルモン?精子の枯渇やXY及びXXXのみの出産はホルムアルデビド等で説明は出来るかも知れんが、なら何故本体まで蝕まれにゃならんのだ?メス化というオマケつきでね。」

「それが突然変異体“α(アルファ)1421”の特性じゃないですか。」

「では、女達のケースは?確かに女性の成長ホルモンに抑制力がある事は事実だ。分泌が終わった者から死んでいく事も。そしてそれは本人のモノでしか効果が無い事も実証されている。だから既に発症している者には効かない。もちろん男にも。…では何故、生き残って健在な女性は、似た様な姿に変貌していくんだ?まったく良く出来ているよ。」

「何か意図的な活動をしていると?」

「ああ、奴らにははっきりとした意志を感じる。」

「α1421…」

「違う。それが大きな的外れだったんだ。α1421はあくまで副産物だよ。」

「もしかして…“原体”……。そんな、あれは!!

「そうさ、俺達があの裔家の、あの黒山の、あの井戸から採取した…、あいつらギガントロプスのDNA“原体”。人類救済などと大上段に構えて、極秘裏に進めている

FB(Fem Battler)実験』。そこから採取されて行く原体濃縮DNA“Ω(オメガ)

それこそが…。」

「……まさか…、そんな。じゃあ私達のしている…こと…は…。」

あ、ヤバイ。この娘マジになってきやがった。ちょっとクールダウンしておこう。

「…あ、ごめんなぁ。脅かしすぎたなぁ。大丈夫だ、“Ω(オメガ)”は多分現状打破には相当効果あるよ。」

そうでなければ……あの娘達は報われない。

「……………殴りますよ。」

「ああ、久しぶりだなぁ、殴られるのは()

「……その気も失せました。…で、結論は?」

「な・い・しょっ(はぁと)

………ああ、キミのアッパーは最高だ…。さすがは我らがアイドル、里美ちゃん…。

全然手加減しない所は、昔とちっとも変わってないねぇ。

「はは、懐かしいなこの感触。これを味わえるのは、もう俺一人だけみたいだけどな」

「……知っていたんですか…。溝呂木さんが亡くなった事を。」

知っていたさ、君以外では、俺が最後の一人だって事をね。でもね、里美ちゃん。ここまでの事はミゾロギと一緒に検証済みなんだよ。でも、俺が出した結論はあいつも辿りつけなかった筈だ。感謝しろよ、ミゾロギ。もし知っていたら、お前は正気を保ったまま死ねなかったんだからな。あとでゆっくり話すよ。もちろん地獄でな。

「ここから先は、君の仕事だ。自分の権限をフルに使って真実にたどり着いて欲しい」

俺の結論をいきなり聞けば、君は正気でいられなくなるからね。だから自分でじっくりと検証して、焦らず確実にここまでたどり着くんだ。そうすればまだ正気でいられる。

俺の場合は、目前に死が迫っていることがストッパーになっているが、君にはまだ先がある。何故なら君は………。

3

青が赤を明日に退けていく。もう夜の領分だ。こんな日は、多分星も綺麗だろう。

もう人気の無い公園に、2本の煙草が蛍火の様に、点滅を繰り返している。

「…まずはイメージするんだ。FBの最終段階を経て、抽出された最濃縮“Ω”が投与された人間達の行き着くその先を。」

「はい。」

「…そして裔家を洗いなおせ。時系列に沿って、徹底的にな。今は焼け落ちて跡形も無いあの家が、何故あのような方法で血をつないで来たかを、今度は自分の私観も交えて検証し直すんだ。何故?がポイントだ。何故あの家が黒山を管理できたのか?何故あの家では秘祭“山送り”が行われてきたのか?何故あの家には双子しか生まれなかったのか?何故その双子を殺し合わさなければならなかったのか?何故あの井戸でなければならなかったのか?そして何故、あの井戸から“原体”が採取できたのか…」

「…はい。」

そうすれば気付くはずだ。あの家に種をもたらす男の存在が、一切存在しないことを。これって今の我々が置かれている状況に酷似しているよねぇ?そしてこれは君自身のルーツにも深く関わることなんだ、里美ちゃん。だから、自分で調べるんだ。

「最後にひとつお願いがあるんだけど…、いいかなぁ?」

「何ですか、急に猫撫で声で!こういう時ってきっと…。」

「さすが、察しがいいな。じゃあアレを1セット回して欲しい。確か未使用のものが3セット残っていたはずだよな。きっちりシーリングされてさ。」

「アレって…、まさか第一段階の…。先生!」

「確かホームサイズまでコンパクト化されていたよな、装備一式含めてね。

サイズは1/20だけど、あれが最も“原体”に近い。持論の検証には、うってつけなんだ。香典代わりに頼むよ、橘一等主佐殿!」

「先生…。もう一度悪夢を見るおつもりですか!」

4

別れ際、彼女からしぶしぶではあるが、承諾を得た。

家への帰り道、しばし夜の散歩と洒落込もうか。

案の定、晩秋の夜空は澄み渡り、星座はもうすっかり冬に衣替えだ。

星々を名付け、星座を描いたのは他ならぬ人間だ。

だがその人間も、既に滅びかかっている。少なくとも俺達迄の世代はね。

俺達が滅んでも、結構無慈悲な神様は、いつもと変わりなく星座を回し続けるだろう。

知っているかい?里美ちゃん。昔神様が言った事を。

“私は始まり(アルファ)であり、終わり(オメガ)である。”

これから君がたどり着く事実は、もう覆せない。決まっている事なんだ。

だからせめてもの償いに、自分の生涯を血みどろの悪夢で締めくくろうと思う。

君達の未来を、思い描きながらね。

愛しているよ、里美ちゃん。

最後にありがとう。無理を聞いてくれて。

FBアーキテクト構成用ミニチュアプラント。通称…

DOLL HOUSEを、送ってくれて。

序章 了

第一夜に続く。

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