第三話 カンパイ
「君には期待しているよ。
そのために、我々も色々援助はしたつもりだ。
…こちらの目的を果たしてくれれば、報酬も…もちろん例の件も揉み消そう。」
高層ビルの一室に、向き合って座っている二人の男女。
日がまさに落ちようとしている夕暮れ時だが、部屋には明かりがついておらず、
男の顔は見えなかった。
男はふいに立つと、窓際に向かい、ブラインダーの隙間を指で広げて外を眺めた。
「狩りの時間が来たようだ。
裏切り者達に制裁を…」
パッと光が消え、既に盛り上がっていた会場が静寂に包まれる。
ロック調のテーマが鳴り響く中、一筋の光が集まると、その中に一人の黒い修道女の姿が浮かび上がった。
光の中で、グローブを胸の前で合わせるその姿は祈りを捧げているかのよう。
「さあ、青コーナーから、仲村華緒璃選手がシスターの格好で登場です。
これは二年前に出演したドラマの中での格好とのこと。
仲村選手は体操選手として、インターハイにも出たことがあり、運動神経には定評があります。
芸能界デビューは2006年と、まだまだキャリアは浅いですが、今回の大会の台風の目となれるか。
さあ、迷える子羊達の間をぬって、闘うシスターが、裁きの場へと…
今、導かれます。」
修道服を脱ぎ、純白のスポーツブラとショーツ姿になると、観客に手を振る。
しかし…仲村の眼には不安と迷いの色がみてとれた。
と、そんな仲村の耳に、聞いたことのあるコミカルな音楽がなり響く。
仲村をはじめ皆の視線が赤コーナーの花道へと集まると…
そこには、セクシーで艶めかしい、しかし、怪しい女の姿があった。
まるで狐のような長い耳がついている黒いフードの仮面、黒いスポーツブラと、
ショーツに黒いマント…まさに某アニメの悪役ヒロインそのものの姿。
その女は、これまた、お馴染みの手下二人が前後でかつぐ輿に乗り、高笑いをしながら、リング下まで入場した。
「深多選手のこのコスプレは説明する必要はないでしょう…。
あいかわらず、妖しい雰囲気が漂っていますね。
さて、その深多選手ですが、試合前の合同会見では、高らかに優勝宣言をいたしました。
よっぽどの練習を積んできたのでしょうか、かなり自信があるようですが…
どちらにしろ、仲村選手との一戦、ナイスファイトを期待しましょう。
さあ、リング中央ではレフリーの注意が終わり、両選手、自陣のコーナーへと戻りました。
あとはゴングをまつばかりです」
両手でロープを握り、一、二度、スクワットしながら…仲村はこの期に及んでまだ悩んでいた。
結局、台本なんて貰わなかった…ってことは本気で殴りあうってこと?
芸能界…こんな世界だから何があってもおかしくないけど。
先輩を殴るなんて…
仲村がそんなことを頭で巡らしていると、ゴングが打ち鳴らされた。
…どうしようか。
悩みながら、後ろを振り返った仲村の眼に、ガードを固めた響子が身を屈め、一直線に走ってくる姿が飛び込んできた。
へ?
とっさに背中を丸め、両腕を上げてガードする。
その上から、体重をのせた、重い、明らかに本気のパンチがぶつかる。
「キャー」
その小さい叫び声を聞き、響子が微笑んだ。
「愛ちゃんじゃなくて良かったかしら?」
響子はガードにかまわず、パンチを浴びせ続ける。
怖い。
そう思うと、余計に体は縮こまっていく
背中にコーナーポストを感じる。
…逃げ場はない。
…どうにか顔にパンチをもらうのは避けないと。
「グハァッ…」
と、突然お腹に言いようもない痛みが走る。
両手でお腹を押さえるが、胃の中のものが逆流し、マウスピースを吐き出しそうになった。
柔らかいお腹に深多のパンチがめりこんでいる。
「精神面も未熟ね…」
がら空きになった顔面に響子の右フックがつきささると、仲村の顔がふっとんだ。
そのまま無抵抗の華緒璃の顔面へ、右、左とパンチを無数に叩き込んでいく響子。
「ああっと、深多選手の奇襲成功!
仲村選手、立ち上がり緊張していたのか。
必死にガードしようとしますが…
しかし…深多選手、そのガードをパンチで強引にこじ開けようとしている。
おおっと、強烈な右が入りました。
これは、足に…足にきているのか。
また、左…右が顎をとらえました。
これはいけません。
危険な状態です」
…意識がなくなったのか、だらりと両腕が垂れ下がる仲村。
既にサンドバック状態…
それでも、殴るのをやめない響子を、レフリーがあわてて制止に入る。
芸能界って恐ろしい…
仲村はそんなことを最後に思いながら、完全に意識を失い、倒れていく。
白目をむき、体を痙攣させ…
意識が無いのを確認し、レフリーが両手を頭上でクロスさせると、試合を止めるゴングが打ち鳴らされた。
響子はグローブについた敗者の血をペロリと舐めると、その腕を高々とあげた。
片足を仲村の体に乗せながら、観客に勝利をアピールする。
予想外に早い、しかも一方的で凄惨な決着に、薩掘側の観客席からはブーイングの嵐が、反対に貴倫の観客席からは、賛美の声と拍手の嵐が巻き起こった。
その喧騒の中で悪女の高笑いがなり響く。
「早すぎて、物足りないんで、一曲歌いまーす」
トーナメント一回戦 1ラウンド 1分20秒 KO
○ 深多響子
× 仲村華緒璃