デスマッチ(第一話)

 

 テーマ曲のイントロが始まると同時に由香梨は瞳を閉じた。ゆっくりと花道への扉が開かれる。会場に沸き起こる『由香梨』コールが胸の奥まで響き渡る。由香梨は全身に力をみなぎらせながら気持ちを高ぶらせる。そして全ての思いが無の頂点に達した瞬間、ゆっくりと瞳を開いた・・・・・。

 

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 高田由香梨、22歳。身長158cm、体重52kg、スリーサイズはB82W58H85。女子プロレスのメジャー団体のひとつであるJLW(Japan Lady’s Wrestling)に所属する女子プロレスラーである。高校卒業後18歳で入門してから4年目、リングデビューからは約2年、すでに美形アイドルレスラーとして団体内でもトップクラスの人気を得るようになっていた。

 

 サイズを見る限り、ごく普通の女の子と変わらない由香梨がここまでメジャーになり得たのか。ひとつはやはりそのルックスであろう。セミロングの黒髪、二重の大きな瞳、印象的なエクボに小さめの口、どちらかというと可愛らしいタイプの、アイドルや女優としてデビューしてもおかしくないような美貌で、団体としてもそのルックスを活かして、まだデビュー間もない頃からグラビア等で露出させるなど、アイドルレスラーとして積極的にプロモーションをかけていたのだった。

 そしてもうひとつはプロレスの実力である。小さくスレンダーな身体にも関わらず、中学、高校と続けてきた新体操で鍛えられてきた柔軟性と類まれなる運動神経と、そのまま行っても一流になれるであろう新体操を捨ててあえて選んだ格闘技に対する熱意と入門後の努力により、スピード感溢れる技巧派のレスラーとして、ファンの間でも認められるようになってきていた。

 そしてもうひとつの要因ともいえるのが、昨年から彼女が着用しているコスチュームである。デビュー当初はシンプルな水着、2年目からは典型的なアイドル風のやや派手なコスチュームを着用してきたが、昨年夏のシリーズにおいて、何とグラビア撮影会と間違えたかのようなビキニ風のコスチュームで現れてファンの度肝を抜いたのであった。現在もそのピンクのグラデーションがかかった、完全に普通の紐ビキニそのものと言ってもよい(もちろんワイヤ等で補強はされているが)、女子プロレス界でも最高レベルの露出度のコスチュームで、健康的なお色気を振りまいているのだった。

 高田由香梨の大ブレークの秘密、それは小柄で可愛いだけでなくそれなりの実力も持ったアイドルベビーレスラーが、これまでにない裸同然のセクシーなスタイルで、ヒールレスラー達の容赦ない攻撃に必死に耐え、必死に立ち向かう姿、このまさに女子プロレスの王道とも言うべきアングルにファンが飛びついた結果なのであった。

 

 

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「あああああああんん!!いやああああっっ!!!痛あああぁぁい!!痛い、痛ぁぁぁぁぁぁぁいっっ!!!」

 

 エビ固めに極められた由香梨の叫び声が会場に響き渡る。そしてその悲鳴とあられもない姿に反応するかのように観客の歓声が会場を埋め尽くす。

 

「ギブ? ギブ??」

 

「ノ・・・ノー・・・」

 

 可愛い顔を歪め、瞳に涙を溜めながらも必死に耐える由香梨。必死の形相で腕を伸ばし、そして辛うじてロープに逃れる、レフリーにより相手から引き離され、ふらつきながら立ち上がったところ、ロープからジャンプしてきた相手に丸め込まれ、あえなくスリーカウントを献上した。

 

 しばらくリング上に横たわり、腕を突き上げる勝者を横目に荒れた息を整える。そしてセコンドに抱えられるように立ち上がると、肩にもたれかかるようにしてゆっくりと花道を引き上げる。

 

「いいぞぉ!!由香梨ちゃぁん!!」

「我らが由香梨ちゃぁぁん!!!次もいいものみせてくれぇ!!!」

 

 メインの試合に匹敵する歓声と声援、高田由香梨の存在はまさにこの団体の人気の一躍を担っていたのだった。

 

 

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 とある日のJLWの本社会議室、「立入禁止」と仰々しく書かれた札がかかっている扉の反対側では、活発な議論が交わされていた。部外者完全シャットアウトのこの会議、これがいわゆるJLWの全てのマッチメイクを司っている「興行会議」であった。

 

「さて、次の議題だが、そろそろ新しいアングルが必要になってくるのではないかと思う。ひとつ皆で色々アイディアを出してほしい。」

 

 こう切り出したのはJLWの営業本部長である宅見哲人である。小柄な初老の男であるが、柔軟な発想力と実行力を持ち、この団体のマッチメイクにおいては絶大な権限を持っていた。

 

 会議のメンバーが色々なアイディアを次々と出してくる。しかしそのいずれも目新しさに欠けるのか、なかなか結論が出ることがなかった。

 

「方向性としてはそれでいいと私も思う。ただそれだけでは何かインパクトが欠ける気がするのだが・・・。」

 

 宅見が鋭い視線でメンバーを見渡す。さすがにアイディアも出尽くしたのか、皆うつむくように視線を逸らす。しばらく沈黙が続いたそのときであった。女性としては太い声が会議室に響いた。

 

「由香梨にやらせてみては・・・・。」

 

 端の方に座っていた大柄な女性、波多野響子であった。またの名をブラックカイゼル。178cm90kgの巨体にまさに悪の皇帝といった趣の黒を基調としたマスクとコスチューム、巨体を活かしたダイナミックなファイトと残酷な凶器攻撃で絶大な人気を誇るJLWのトップヒールである。現役選手の中で唯一興行会議メンバーとして参加するなど、選手の中でも絶大なる力を持っていた。最も今日はマスクも被らず、ノーメイクで私服であることもあり、大柄な身体以外普段のファイトを偲ぶものはなかった。

 

「由香梨は路線が違うだろう。彼女のお色気アイドル路線はウチの団体の柱の一つだろう、下手をしたらそれを壊してしまう可能性もあるんじゃないか。」

 

 異を唱えたのは審判部長でレフリーの橘高徹であった。

 

「彼女をいつまでもあのような邪道な路線に置いておくつもりですか?そろそろ次の段階へと進ませることも必要ではないですか?」

 

 波多野が食い下がる。メンバーの数人も頷いて同意を示す。

 

「しかしあの路線はまだまだ売れるぞ。それを失うリスクは大きいのではないのかね。それに第一、確かに彼女の実力は相当付いてきたとはいえ、その激しいアングルに耐えられるのか?」

 

 さらに激しく反対する橘高審判、再び会議室に沈黙が訪れる。

 

「彼女ならいけます。確かに身体は小さいですが、熱意と努力は並大抵のものではありません。きっといけます。」

 

 波多野ははっきりと言い切った。

 

「由香梨ならインパクトは申し分ないな。話題性も十分だろう。」

 

 これまで黙って議論を聞いていた大柄な男が口を開く。団体オーナーで元プロレスラーの柿崎元就だ。威厳のある低い声でさらに続ける。

 

「審判部長の言うリスクも確かに一理ある。しかしそれはストーリー作り如何によってはより大きな発展につながるだろう。私も彼女がいつまでもいまの路線でよいとは思わない。問題は彼女自身が本当にこのアングルをやっていけるかだ。」

 

「それについては大丈夫です。それに・・・・私が上手くやってみせます。」

 

 波多野が力強く言い放った。

 

「ストーリーについては任せてくれ。これは単発ではもったいない。もっと長い目で見たアングルが考えられる。付随してうまくプロモーションをかければ関連商品もいけるぞ。」

 

 これまで数々のマッチメイクを仕切ってきたアイディアマンの宅見営業本部長が唸る。そして柿崎の声が響き渡る。

 

「それでは今回のこのアングルは波多野と由香梨を中心として進める。審判部長、異論は無いな。」

 

「はい、ございません。」

 

「波多野、頼むぞ。それから営業本部長、ストーリーとプロモーションも十分に煮詰めてくれ。以上で解散する。」

 

 

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 そしてリング上では、恥ずかし固めに極められ、あられもない姿で悲鳴をあげる由香梨に対して、絶大なる声援が浴びせられていたのだった。

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