プロダクションバトルその6




都内某所にあるブルーキャブ主催の地下プロレス会場。 
 その控え室には、この日初めて地下プロレスのリングに上がる大須賀プロモーション所属のタレント、局山えりの姿があった。

これまで多くのタレントが、この地下プロレスのリングでブルーキャブの軍門に降っていて、大須賀プロも例外では無かった。

大池栄子から送られたビデオレターを見て、地下プロレス参戦を決意したえりは、この日の為にトレーニングを積み、万全のコンディションで自分の出番を待っている。

リングコスチュームとして用意した黒の競泳水着に身を包んだえりは、試合に備え入念にストレッチを行っていた。
 これまで参戦した大須賀プロモーションのタレント達と同じく、えりのセコンドにつく人間はいない。
 しかしそれだけではなく、えりはこの日地下プロレスに参戦する事を、事務所の社長にも、他の仲間にも言っていなかった・・・


 

 えりは栄子から送られたビデオを見て、一つの疑問を抱いていた。
peachの他のメンバーを始め、これだけ大須賀のタレントが出ているにもかかわらず、どうして自分には全く地下プロレスの話が来てなかったのか?


 えりちゃんは・・・優しい子だから・・・こんな野蛮なことさせられない・・・


弘美の言葉にはっとするえり。


 “自分には地下プロレスの話は伏せられている。”

 でもどうして?
 みんなが辛い思いをしているのに私だけが・・・

 
 “地下プロレスに出よう。”
 
 えりに迷いは無かった。

 しかし、自分が地下プロレスに出るといえば、社長やみんなに止められるかも知れない。
 仮に出る事になっても他のメンバーがセコンドにつくと言い出し兼ねない。
 二度と行きたくないと思っているはずのリングに、仲間を連れて行きたくは無い。


 えりは誰にも告げずに、自らブルーキャブの関係者に『地下プロレス参戦』を打診した。




えりが地下プロレスに出る事を知っているのは、スパーリングに付き合ってくれた先輩タレントの中島文恵だけである。
 しかしその文恵にも、この日リングに上がるという事までは言っていない。
 事務所的にはえりのオフの日であり、誰もえりが地下プロレスの会場に来ていることは知らない。

 しかし友美達の無念を晴らす事で頭がいっぱいのえりにとって、もはやそれは大した問題ではなかった。


 『みんな、絶対勝つからね!』

 えりが心の中で仲間達に呼びかけていると、控え室のドアがノックされる。
 

「局山さん、出番です!」

 ドアの向こうから、えりの出番を告げる声がした。

 
 
 
 「今夜ついに大須賀プロモーションのリーサルウェポンがこのリングに登場!青コーナー、局山えり入場!!」

リングアナの大袈裟な紹介アナウンスに会場がどよめく中、花道に姿を現したえり。リーサルウェポンとまでいわれたえりに、観客達は興味津々といった視線を送っている。しかし当の本人にはそんな雰囲気に動じることなく、リング一点だけを見つめて花道を歩いていく。 リングに向かうえりのその表情は、普段の穏やかな性格を全く感じさせない厳しいものであった。


 『これが地下プロレスのリング・・・』

 リング下にやってきたえりは、はやる気持ちを抑えようとゆっくりと深呼吸する。
 えりが気合十分の表情でリングインすると、リング周りを取り囲んだブルーキャブのタレント達の視線が一斉にリング上のえりに注がれる。
 しかしそんな事は意にも介さず、コーナー付近で瞑想するえり。
 そしてリングアナが、えりの対戦相手である『根元はるみ』の名前をコールする。
 



 ブルーキャブの事務所の一室で行なわれた今回の地下プロレス興行に関するミーティングで事件は起こった。
 きっかけは、そのミーティングに参加していた根元はるみが、何の前触れも無くいきなり栄子に向かって言い放ったこの一言だった。


 「栄子ちゃん、私がアイツとやるわ!!」

  
当初えりが地下プロレスに上がる場合、栄子がその対戦相手を努める予定であった。
 しかしえりの参戦が決まった途端、はるみがえりの対戦相手として名乗りをあげたのである。




えりが参戦を表明するきっかけとなった栄子からのビデオレター。そのビデオレターをえりに届けたのがはるみだった。
はるみは実際に会う前から、えりに敵意を抱いていた。
 自分達のグループ『XCT』に対抗するかのように、『peach』というユニットを組んでデビューした事が気に入らなかったのである。
そして、そのえりに対する印象は実際に会ってさらに悪化する事になってしまう。


ブルーキャブは、どちらかというとサバサバした性格のタレントが多く、はるみも例外では無い。
それとは対照的に、大須賀プロモーションはお嬢様キャラが売りというところがあって、えりはその代表格のような存在である。
はるみは初めてえりに会って初対面にもかかわらず、挑発的な態度をとっていたのだが、元々おっとりした性格のえりは全くそれにのってくる気配が無かった。

当然えりに悪気は無いのだが、はるみにしてみれば、『なめた態度』としか映らなかったのである。


“こいつは私が潰す!!”

 この時はるみは、心の中でえりとの対戦を勝手にきめていた。




 「ちょっと、はるみ・・・」
 
 いきなりえりとの対戦を言い出したはるみに対し、栄子よりも先に北河友美が思わず不快感を露わにしてはるみに声をかける。
 しかしはるみは全く意にも介さずに言葉を続ける。


 「私はXCTのリーダーで、彼女はpeachのリーダー。やっぱリーダー同士、やるべきだと思うんだよね!」

 全く悪びれた様子も無く、自分勝手な理屈を展開するはるみ。

はるみは海外留学をしていたせいか、先輩に対しても物怖じせずに言いたい事をはっきりいうところがあった。
だから、はるみと行動を伴にする機会の多いXCTのメンバーなんかは仕事でヒヤヒヤする場面に遭遇する事はしょっちゅうであった。


「確かに栄子ちゃんも忙しいと思うけど、ワタシだって最近忙しくってまともに試合してないのよ!それともどっちがあのコと試合するかワタシと勝負する?!」

栄子への挑戦状ともとれるはるみの言葉に、その場にたちまち緊迫した空気が流れる。
しかし栄子はその大きな瞳ではるみをにらみつけた後、予想外の言葉を口にする。


「わかった。・・・じゃあアンタがやりな。」

「栄子ちゃん・・・」

意外な答えに、今度はXCTの他のメンバー達がはるみより先に口を開く。


確かに栄子もはるみの言動に時折腹を立てる事があるものの、栄子ははるみのそんな性格を決して嫌ってはいなかった。

元々えりを地下プロに呼んだのも、中島文恵と戦って以来やりがいのある相手が出てこない為、実際の実力はともかく、プロフィールやイメージビデオを見て、「こいつは結構強いんじゃないか?」というタレントをピックアップし、半ば期待をこめた気持ちで選んだのがえりだった、というだけの話で、はるみともめてまでえりと試合しようとは思わなかった。

同じ事務所の仲間同志で争ってもプラスにならないし、はるみがえりとの試合を熱望するなら自分は遠慮しよう、という栄子の大人の対応であった。



「はるみ、今回は譲ってあげる。絶対勝つのよ!!」

栄子に檄を飛ばされたはるみはニヤリと笑い、満足そうに頷いた。




 花道に姿を現したはるみは、えりやキャブの他のメンバーと同じような黒の競泳水着に身を包んでいた。
 しかし、水泳が得意だというえりがアスリートらしさを醸し出しているのとは対照的に、はるみの豊満な体つきと黒の水着の組み合わせは、昔の女子プロの悪役レスラーを彷彿とさせていた。
 そしてリング下には、他のメンバーに混じって腕組みしながら不敵な笑みを浮かべている大池栄子の姿が。

 はるみはリングインするなり、えりの方につかつかと歩み寄っていく。


 「局山さん、私達のリングにようこそ!!」

 両手を腰に当てたまま、えりに挑発的な口調で歓迎の言葉を口にするはるみ。
 えりははるみを一瞬にらみつけた後、その視線をリング下の栄子に向ける。


 「ごめんなさいね局山さん。ホントは私が相手するつもりだったんだけど、はるみがどうしてもあなたと試合したいっていうから譲ってあげたの。」

栄子は意地悪い笑みを浮かべながら、リング上のえりに向かって声をかける。
 えりはしばらく栄子の事をにらみつけた後、対戦相手のはるみに視線を戻す。


「よろしくね、局山さん!」

目が合ったはるみは、挑発的な口調で声をかけてくるが、えりは相変わらず無言のままはるみをにらんでいる。
しかしその視線は敵意に満ちたものというよりも、相手が栄子ではなく、はるみだという事に不満を感じているに見える。

『何か気に入らないわねえ・・・』


えりの不満を感じ取り、苛立つはるみ。

レフェリーが両者をリング中央に呼び寄せ、注意事項の確認を行なうが、その間もえりはどこか『心ここにあらず』といった感を漂わせている。


『フザケやがって・・・』

はるみは、ゴングが迫っているにもかかわらず、今一つ覇気の感じられないえりに怒りを感じていた。


「さあ、お手並み拝見といきますか。期待してるわよ。局山サン!」


そんな独り言を言いながら、リング下の栄子ははるみと向き合っているえりに視線を注いでいる。
するとその視線に気付いたのか、えりは再びリング下の栄子に視線を向けている。
そんなえりの態度に、はるみの怒りが爆発した。



「オラア、どこ見てんだよー!!!」

はるみはそう叫ぶなり、栄子に気をとられているえりのボディ辺りを蹴りあげる。

「あうっ!」

はるみのキックを受け、ようやく我に返るえり。しかしはるみはそんな事はお構いなしにえりに襲い掛かっていく。


「カアーン!!」

はるみの奇襲がきっかけで、試合開始のゴングが鳴らされる。

はるみは、キックを受けて苦しんでいるえりを捕まえてロープにふり、返ってきたところにカウンターのヒザ蹴りを浴びせていく。

さらにはるみは、倒れたえりを起こしてコーナーに叩きつけると、反対コーナーから対角線上をダッシュしてボディスプラッシュを見舞っていく。

スイカを2個並べたようなはるみの103センチのIカップが顔面を直撃し、えりは朦朧とした表情を見せている。

「オラ、何ボーッとしてんだよ!」

はるみは朦朧としているえりに罵声を浴びせ、反対コーナーにふると今度はアクロバティックな動きからスペースローリングエルボーをきめていく。
その豊満なボディに似合わない華麗な動きを見せるはるみに、観客もすっかり魅了されている。
そんなはるみとは対照的に、ここまで全くいいところの無いえり。

 序盤は完全にはるみの押せ押せムードである。


「オラアどうしたあ、こんなもんかー?!」

 はるみは声をあげながら、コーナーにえりを釘づけにしてガードもお構いなしに得意の空手仕込みのパンチとキックを連発でみまっていく。全く手を休める気配のないはるみに対し、えりは完全に防戦一方の状態。


 「ちょっと大丈夫なの?」

 「ああなったら、はるみ止まんないよ。」

 「何か期待外れっぽくない?」

 全く手を出す事ができないえりを見て、はるみのセコンドについているブルーキャブのメンバー達は口々に好きな事を言っている。
ただ一人戦況を冷静に見つめていた栄子も、コーナーから動けないえりを見て、渋い表情を見せ始めている。

『あ〜あ。よそ見なんかしてっからこういう事になるんだよ。一応ガードはできてっけど、はるみのパワーは並じゃねえからなあ・・・あんなんじゃ時間の問題だぞ。まあ私が出るまでもなかったって事か・・・』


 栄子はえりを実力者だとにらんでいただけに、ここまでの戦いぶりに拍子抜けしている様子。
そして観客達の間にも『ちょっとダメなんじゃないの?』という雰囲気が漂い始めている。

リング上、攻撃を続けていたはるみが攻め疲れたのか、一旦えりから離れて呼吸を整えている。一方えりも、ガードしていたとはいえ、はるみの打撃を受け続けていたダメージからか、コーナーにもたれかかったまま、動こうとしない。

しばらくして呼吸を整えたはるみが再びコーナーのえりに歩み寄っていくと、えりがコーナーにもたれかかったまま、はるみのお腹の辺りを蹴りあげる。

この試合初めての反撃を見せたえりだが、はるみは頭を下げながらも、構うことなくそのまま肩からぶつかっていき、えりをコーナーから脱出させないようにする。コーナーから動くことができないえりは、はるみの頭を脇に抱え込んでいく。


 「あっ、バカッ!はるみ!!」


突然リングサイドの栄子が大声をあげ、静まり返った場内にその声が響き渡る。
しかしリング上は相変わらずはるみがコーナーにいるえりに体をあずけているだけで、特別変わった様子は無い。
すると、はるみのセコンドについているブルーキャブの集団の中にいた佐藤江利子が、思わず声をあげる。

 「あっ?!」


江利子が声をあげた瞬間、リング上ではえりがふらつきながらもはるみの頭を抱えたまま、体を入れ替えてコーナーから脱出していた。
 えりがそのままリング中央に向かって後向きに歩き出すと、捕まっているはるみは逆らう事ができずに、えりの後をついていっている。
えりはコーナー付近での攻防ではるみをフロント・ネック・ロックにきめていたのだ。
コーナーから離れたえりはネック・ロックをきめたままマットに尻餅をつき、ひざまづいたはるみに脚を絡めていく。
はるみが動かなくなったのを見て近づいてきたレフェリーは、ここでいきなりゴングを要請する。


“カンカンカンカン!”


試合終了のゴングが鳴り響き、会場はたちまちどよめきに包まれる。
あまりにあっけない結末に、観客達はまさに『狐につままれた』といった感じの反応を見せている。
リング上では、レフェリーの指示ですでにえりの技は解かれているが、はるみはマットに崩れ落ちたまま、ぐったりとしている。

 かつてプロレスの人気団体『方舟』の旗揚げ戦で、人気レスラー秋山淳が社長兼レスラーの三澤を同じフロント・ネック・ロックで秒殺した事があったが、まさにその再現のようなシーンである。

リング上、レフェリーが勝者であるえりの手を挙げているが、観客達は声援というより、一撃で相手を仕留めた事に対する驚きの声をあげている。一方のはるみはすでにリング下に下ろされ、他のメンバーの肩を借りて花道を引きあげようとしているが、その表情は朦朧としていて、全く状況が把握出来ていない様子。


 
 『そんな・・・はるみがあんな簡単に・・・』

セコンドについていたブルーキャブのメンバー達は、はるみのよもやの惨敗に言葉を失っていた。

 はるみはブルーキャブの中では大池、佐藤に続く実力者といわれていた。しかも劣っているのはインサイドワークだけで、空手を経験しているだけに攻撃力だけでいえばナンバーワンとまでいわれている。
しかし、えりはそんなはるみを自分達の目の前で、ネック・ロック一発で沈めてしまった。
あまりにも衝撃的な地下プロデビューを飾ったえりに、キャブのメンバー達は底知れぬ恐怖を感じたのである。


『油断するからだよ馬鹿野郎・・・』

セコンドに肩を借りて退場するはるみの背中を冷ややかな眼で見つめる栄子。しかしその一方でえりが実力者である事を認めていた。
『結構ヤルじゃないの・・・局山さん・・・』


えりに対し、完全に萎縮してしまった他のメンバー達と違い、栄子ははるみの敗因を冷静に分析していた。 えりは確かに強い。しかしはるみを秒殺したとはいえ、はるみよりはるかに強いかといえば答えはノーである。おそらく実力差はそれほどないだろう。もし再戦しても、またえりが勝つとは限らない。今回の敗因は、レスラーえりのデータが無かった事とはるみの油断、それだけである。
とはいえ、今回の試合はえりが実力をアピールするには十分効果があったといえる。

 

 リング上、勝ったにもかかわらず憮然とした表情を見せているえり。試合の余韻でまだ会場がざわめいている中、えりはリングアナにマイクを要求し、手渡されたマイクでアピールを始める。


「ねえ、まだ時間は沢山残ってるんでしょう?!」

はるみとの試合が短時間で終わった事を暗にアピールするえり。えりの言葉に、観客達がざわめく。

「大池さん!佐藤さん!それと・・・そこのあなた!」

そういながらえりが指差したのはリング下にいる北河友美だった。さっきまではるみを秒殺したえりにびびっていた友美だが、自分だけ名前で呼ばれなかった事でムッとした表情を見せている。


「リングに上がりなさい!!」

普段の姿からは想像できない強い口調でえりが叫ぶと、ざわめいていた観客達が一気に沸き上がる。
宣戦布告とも言うべきこのマイクアピールに、名前を呼ばれた三人は互いに顔を見合わせた後、再びリング上のえりに視線を向ける。

 「ねえ、聞こえなかったの?!リングに上がりなさい!!」

リング上で叫ぶえりの表情は怒りに満ちていた。憎き相手を目の前にして沸き上がる感情が押さえきれなくなっているのだろう。


『ふざけやがって・・・』
 
 えりのアピールに栄子の表情が険しさを増していく。江利子と友美もじっとリング上のえりをにらみつけている。

 そしてえりのアピールと会場の歓声に動かされるように、栄子、江利子、友美の三人がリングに上がっていった。

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