ここは都内某所の地下にあるイベントスペース。
大勢の招待客が見守る中、会場の中央に設けられた特設リングでは、二人の女性タレントによるキャットファイトが繰り広げられていた。
キャットファイトイベントにタレントが出場するというのはさほど珍しい事ではないのだが、驚くべき事に今リングで戦っている二人は、ドラマやバラエティで活躍中の、誰もが知っている有名タレントであった。


「お願い、和歌さんもうやめて!」

リング上で泣きながらそう叫んでいるのは、最近人気お笑い芸人マッシュルーム北との婚約を発表した音葉だった。
赤いワンピースの水着に身を包んだ音葉はコーナーにへたりこんでいて、その可愛らしい顔に対戦相手の井上和歌がグリグリとリングシューズを押しつけている。


「ちょっと!アンタこの世界ワタシより先輩でしょ!!泣きべそかいたりして恥ずかしくないの?!音葉センパイ!!」

SMの女王を連想させるような黒のエナメル水着に身を包んだ和歌はそう声を荒げながらコーナーの音葉を嘲笑し、蔑みの眼差しを向けている。

試合の方は既に勝負はついていて、試合開始から数分で音葉が和歌のハーフボストンクラブの前にあっけなくギブアップしていたのだが、あまりに腑甲斐ない音葉に対し、怒りの収まらない和歌が試合終了のゴングが鳴らされにもかかわらず、音葉に対して攻撃を続けているのだ。
普通ならば第三者が止めに入る状況であるのだが、この和歌の行動が、早い結末に消化不良気味の観衆の思惑と一致していた為に、主催者側もそのまま放置して和歌を暴れさせていた。

和歌はコーナーにへたりこんだままの音葉の髪をつかんで無理矢理立たせると、ヘアーホイップでリング中央に投げ飛ばしていく。
マットに転がされた音葉は四つんばい状態でリングから逃げ出そうとするが、ダメージのせいで早く動く事ができない。
和歌は余裕の表情で音葉の方に近づくと、その脇腹あたりを爪先で思い切り蹴りあげる。


「ぐふっ!!」

和歌のトーキックを受けた音葉は奇妙なうめき声をあげ、その場にうずくまってしまう。
和歌は亀のように丸くなった音葉の背中に何発かストンピングを見舞った後、一旦リング下に下りて試合前に用意していた竹刀を手にして再びリングに上がっていく。
音葉にとってはリングから逃げ出す絶好のチャンスだったのだが、もはや彼女にはその場から動く力は残っていなかった。
意気揚揚とリングに戻った和歌は、手にした竹刀を高々と頭上に振り上げ、音葉の背中目がけて思い切り振り下ろしていく。
音葉は抵抗するどころか、声をあげる事も出来ず、タレントの命である顔に傷が付かないようにと、頭を抱え込んでうずくまるのが精一杯であった。
しかし和歌はそんな音葉に容赦する事無く何度も竹刀を振り下ろしていく。


「なんでワタシが・・・アンタみたいな人妻や・・・あの天然に・・・負けなきゃいけないのよ・・・」

和歌はそんな事をつぶやきながら、何かにとりつかれたかのように音葉を竹刀で殴り続けていた。



和歌の怒りの原因となっていたのは、自分がレギュラー出演している番組がインターネット上で行なったとあるアンケートであった。

その番組とは、平日の昼間放送している人気長寿番組「笑ってフレンド」の事で、和歌は○曜日に出演している。
「笑ってフレンド」は番組の公式サイトの中で不定期的にレギュラーメンバーの人気投票を行なっていた。
「全レギュラー」「男性レギュラー」「女性レギュラー」の3部門があり、さらにそれぞれ「総合」「男性人気」「女性人気」という3通りのランキングがある為、全部で9通りのランキングが毎回発表されている。

先日その投票結果が発表され、和歌は「女性レギュラー陣」の「男性人気」部門で3位にランクされていた。
和歌は以前ある雑誌のアンケートで「女性が嫌いな女性タレントナンバーワン」に選ばれていて、女性人気が無い事は本人も十分自覚している。

その為、必然的に「男性人気」のランキングが一番高くなる訳だが、この時に限らす「笑ってフレンド」のレギュラーになって以来、ずっと3位のままで、1位はおろか、一度も2位になった事はない。
そしていつもそのランキングで1位になっているのが、和歌曰く「人妻」の音葉で、2位になっているのが「天然」の大倉優子であった。

確かにこういったアンケートの結果が、人気を測るバロメータの一つになる事に違いはないのだが、他のレギュラー陣は話のタネにする事はあっても、それほどこのランキングに固執している訳ではない。
しかし「女性レギュラー陣の中で自分が一番美人」だと自負している(それが女性に嫌われている原因なのだが)和歌には、既に婚約(よりによってお笑い芸人)をしている音葉や、自分の事を「りんこ星のプリンセス」と真顔でいっているような優子に、男性人気で負けているという事実が、どうにも我慢できないのだ。




無抵抗の音葉に対し、執拗に竹刀攻撃を続ける和歌。
全くやめる気配の無い和歌に会場がどよめきはじめ、それまで静観していた主催者側も、さすがにマズイとスタッフの男数人をリングに送り、錯乱状態の和歌を強制的にリングから引きずりだしていく。
しかし音葉は和歌がリングを去った後も、ダメージと恐怖心でマットにうずくまったまま、全く動こうとしなかった。





大倉優子はバラエティ番組の収録の為、とあるテレビ局のスタジオに来ていた。
優子が一人で廊下を歩いていると、「優子ちゃん。」と聞き覚えのある声が優子を呼び止める。


「あっ、音葉さ〜ん。」

声の主、音葉の姿を確認した優子は、鼻にかかった声をあげながら、小走りに音葉の方に近づいていく。
あいさつもそこそこにすませた後、音葉は神妙な面持ちで、優子に話を切り出そうとする。


「あのね、優子ちゃん。」

「ハイ!」

音葉の沈んだ声とは対照的な明るいトーンで返事をする優子。
しかし音葉がなかなか次の言葉を発しようとしないので、その黒目がちな丸い目をぱっちりと開けて小首を傾げていく。
音葉はそんな優子を同性でありながらも可愛らしいな、と思って見ていた。


「実は優子ちゃんに・・・」

音葉がようやく用件を切り出そうとすると、背後から音葉を呼ぶ別の声が聞こえてくる。


「ねえ音葉さん。」

その声に音葉はビクリと肩をすくめ、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには意味深な笑みを浮かべながら二人の方に近づいてくる井上和歌の姿があった。


「優子ちゃん、マネージャーさんが探してたわよ。そろそろ出番じゃないの?」

「あっ、いっけな〜い!」

和歌にそう言われた優子は音葉の事など忘れてしまったかのように、その場から小走りに去っていく。
和歌は優子の背中を見送った後、冷ややかな笑みを浮かべながらゆっくりと振り返り、優しい口調で音葉に語りかける。


「ちょっと来てくれる?」

その口調とは正反対の和歌の鋭い眼差しを見て、音葉は怯えた表情でコクリと頷いた。



スタジオの女性用トイレのドアには「清掃中」の札がかかっていた。
そのドアの向こうからは、水を流す音に混じって女性の罵声と悲鳴が聞こえてくる。


「んぶっ、もう、やむぇて、くだすわい!」

トイレの中では、和歌が水を張った洗面台に音葉の顔を押しつけていた。
音葉は目に涙を浮かべて抵抗しようとするが、和歌はそんな音葉の髪をつかみながら力任せに何度も音葉の顔を水の中に浸けていく。


「アンタあの天然に余計な事吹き込もうとしてたでしょ!!あんまりなめたマネしてると、今度はその可愛い顔を洗面台じゃなくって便器に突っこむわよ!!」

「ふぁい、もう、しむぁすぇんから・・・」

涙まじりの声で音葉がそう言うと、和歌は音葉を洗面台から離れさせて足払いで床に倒していく。
トイレの床にもかかわらず、音葉は泣きべそをかいて倒れたままなかなか起き上がろうとしない。
そんな音葉に苛ついた和歌は、小馬鹿にするように倒れている音葉の頭を軽く爪先で蹴り、音葉を置き去りにしてトイレから出ていった。




収録を終えた大倉優子は、マネージャーの運転する車で事務所に向かっていた。


「ねえねえ、この間発注した優子の衣裳、もう届いてるかなあ?」

「うん、事務所に電話したらさっき届いたって。」

「本当?うわぁ〜、早くみたいなあ・・・」


優子は無邪気な声をあげ、満面の笑みを浮かべている。
マネージャーはそんな優子の天真爛漫ぶりにしばしば辟易する事もあったものの、その笑顔を観た途端、いつも自然と穏やかな気持ちになっている事を感じていたのだった。


「マネージャー?」

「ん?」

「なんか元気ないみたい・・・体調悪いんですか?」

「えっ、あっ、そんな事無いよ!それより届いた衣裳、ちゃんとサイズが合ってるか、事務所に帰ってから確認しなきゃ・・・」

「ハ〜イ!」

優子はそう返事すると、窓の外の景色を観るともなく眺めだす。
マネージャーはその時、優子が自分に関心を示さなくなった事に、安堵の表情を浮かべていた。



その日の夜、自分のマンションに帰った優子は、ベッドに入りながらもなかなか眠りに就こうとしなかった。


「エヘヘヘッ・・・」

優子は仰向けに寝そべりながら、両手で掛布団の裾をつまんでニコニコと笑っている。
その優子の視線の先には、今日事務所に届いたばかりの新しい衣裳が部屋の壁にかけられていた。

その衣裳は白いワンピースタイプの水着で、ウエスト周りに可愛らしいフリルがあしらわれており、その昔、プロレスラーとは思えない可愛らしいルックスで一世を風靡した人気アイドルレスラー、ビューティー鈴木が試合で着用していたコスチュームによく似ている。

優子は今度ゲスト出演するバラエティ番組の企画でプロレスに挑戦する事になっていた。
どうやら人気グラビアアイドルや女性芸人等を集めてプロレスをやらせるという企画らしく、優子は出演がきまるとすぐ、そのコスチュームを自分で発注したのである。

優子はこの日届いたそのコスチュームを見てひどく気に入ったらしく、事務所が「当日まで大事に保管しておくから」と言っているにもかかわらず、「ウチに持って帰る!」と言いだし、なかば強引に持って帰ってきてしまったのだ。


ベッドの中から飽きもせずにそのコスチュームを眺めている優子だが、さっきまでとは違い、その表情からは笑みが消えている。


「音葉さん、何の話だったのかなあ・・・」

優子は今日スタジオで声をかけてきた音葉の事を思い出していた。
何か優子に話がある様子だったのだが、出番が迫っていた為に聞いてあげる事が出来なかった。


『何か元気無かったなあ・・・そういえばマネージャーも最近変だし・・・』

この日もそうだったのだが、ここ最近のマネージャーはどこか様子がおかしかった。
優子が事務所に向かう車中で声をかけた時も、本人はとぼけていたが、明らかに何かを隠している様子だった。


「ねえ、何か優子に出来る事があるのかなあ?」

優子はまるで壁にかかったコスチュームに話かけるかのように、そうつぶやいた。



それから一週間後、優子は例のプロレス企画の番組収録の為に、都内某所を訪れていた。
優子は既にあのお気に入りのコスチュームに着替え、控え室で出番を待っているのだが、普段のバラエティ番組の時とは違ってその表情はどこか硬い。
わざわざスタジオとは別の場所で収録を行なう事。
マネージャーが現場についた途端、「別の仕事があるから」と優子をおいて出ていってしまった事。
優子は何かおかしいと思う反面、このプロレスの仕事が来た時から漠然と感じていた周囲の異変が、自分の思い違いでは無い事を感じていた。


「大倉さん、出番です!」

スタッフに呼ばれた優子は口を真一文字に締め、凛とした表情で控え室を後にした。



「今日登場するアイドルは何と・・・ワタシ達と同じ地球人ではありません!りんこ星のプリンセス、ゆうこりん姫こと、大倉優子ちゃん入場!!」

リングアナのコールを受けて、純白のコスチュームに身を包んだ優子が花道に姿を現わすと、地球人ではない、という紹介に爆笑していた観客達も一斉に優子に声援を送りはじめる。


「優子ちゃーん!!」

「ゆうこりーん、こっち向いてー!!」

「可愛いー!!」

声援を受けた優子は反射的に笑顔を作り、両手を振ってこれに応えていたが、観客の一人が発した言葉を聞いた瞬間、優子の表情から笑みが消えた。


「音葉の二の舞いになるなよ〜!」

“えっ・・・”


音葉の名前を聞いて優子は花道の途中で一瞬立ち止まってしまう。
しかし天然キャラで有名な優子だけに、観客も優子の行動を異変とは感じずに声援を送り続けている。
数秒後、我に返った優子は再び笑顔で手を振り始め、何事も無かったかのようにリングにあがっていく。


『音葉さんもこのリングに・・・じゃあ今日の相手ってもしかして・・・』

ニュートラルコーナーの優子は、音葉とスタジオで逢った時の事を思い出していた。するとその時、リングアナが優子の頭に浮かんだ名前をコールした。


「今や活躍の場はドラマやバラエティだけではありません。地下プロレスでも女王の座に君臨、井上和歌入場!!」

『!!!』

優子が見つめている正面の花道に姿を見せたのは紛れもなく優子と同じ、グラビアアイドルの井上和歌だった。
黒のエナメル水着に身を包んだ和歌はまさに女王の貫禄を漂わせている。
そんな和歌の姿を見て優子はこれがバラエティ番組の収録では無い事を確信していた。

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