某月某日。

  多くの映画関係者が集まった秘密クラブのリングで、「女優プロレス」世紀の一戦が始まろうとしていた。


  若手女優最強の称号、A−1王座のかかったこの試合、
  リング上で試合開始のゴングを待っているのは、
  現在、連続防衛を続けている“最凶王者”佐和尻えりかと、
  「女優プロレス」初登場ながら“最強の挑戦者”との声が高い、永沢まさみの二人である。



  「ただ今より、A−1王座決定戦を行ないます!青コーナー、挑戦者、ながさわ〜まさ〜み〜!!」


  コールを受けたまさみは右手をあげ、その場で深々と頭を下げる。

  まさみのリングコスチュームは、鮮やかなイエローの競泳水着で、
  以前出演した青春映画で着用したものと同じタイプのものである。

  「女優プロレス」出場にあたって、主催者側からの熱烈なリクエストで、このリングコスチュームになったようだ。



  「赤コーナー、現A−1王者、さわじり〜えり〜か〜!」


  えりかはまさみとは対照的に、コールをされても、ニュートラルコーナーにもたれかかったまま、何の反応も見せない。


  リングコスチュームは派手な柄のTシャツに、デニムのショートパンツという「ストリートファイト」仕様で、
  そのふてぶてしい佇まいと見事にマッチしていた。



  リング中央に呼び寄せられた二人は、レフリーから指示を受けている間も、お互いから視線を外そうとしなかった。


  身長160センチのえりかに対し、まさみは168センチと、8センチも上回っている為、
  必然的にえりかがまさみを見上げるような格好になっている。

  しかもまさみは、そのスタイルを強調するような競泳水着を着用しているので、
  はた目にはまさみの方が威圧しているかのように映って見える。


  しかしリング上のまさみは対峙して初めて分かる、えりかの独特の“オーラ”を感じていた。


  決してなめているわけではないのだが、目の前のえりかは自分よりも小柄で華奢で、
  顔立ちもあどけなさを残していて、とても連続防衛中の王者とは思えない。


  なのに、自分がえりかを倒す、という事が全くイメージできないのだ。


  それは自分の経験の無さとか、えりかが王者であるという事実がそうさせているのではなく、
  別の“何か”があるのではないか、とまさみは感じていた。



   “まさみに王者になってほしいと思っている人が沢山いるんだ!”



  まさみは、女優プロレス出場にあたって社長に言われた言葉を思い出していた。

 
    弱音を吐いている場合ではない。

   自分がえりかを倒さなければ!



  まさみが自分にそう言い聞かせながら、レフリーの指示に従ってニュートラルコーナーに向かった瞬間、
  それを見計らってえりかが、まさみの背中にドロップキックを放っていった。



   “カーン!!”



  ゴングの瞬間、まさみの背中に衝撃が走り、まさみはよろめきながらコーナーに激突していく。



   『???』


  あまりに突然の出来事に、まさみは事態が把握出来なかった。

  コーナーに激突したまさみがふらふらとリング中央に歩いていくと、
  ロープに走っていたえりかが絶妙のタイミングで飛び付き、まさみを顔面からマットに叩きつけていく。



    “ズバアアァーーン!!!”


   『あうううぅ・・・・・』


  フェイスクラッシャーが見事にきまり、まさみは顔を押さえて苦悶している。

  えりかはまさみの髪をつかんで顔をあげさせると、チョーク気味にスリーパーホールドをきめていく。



    『あぐぐぐ・・・・・・』


  スリーパーをきめられたまさみは、うめき声をあげながら、必死に首に巻き付いたえりかの腕をほどこうとするが、
  えりかが体を揺すぶってこれを防いでいる。

  キャリアの無いまさみに対し、えりかが試合巧者ぶりを存分に発揮して完全に試合の主導権を握っている。



    『苦しい・・・何とかしなきゃ・・・・』



 スリーパーから脱出しようと必死にもがくまさみは、背後にいるえりかの頭を捕まえると、
 力任せに首投げのようにして前方に放り投げていく。




    『???』



  マットに投げ出されたえりかは、まさみの強引な脱出方法に驚きながらも、スッと立ち上がって体勢を整えようとするが、
  スリーパーを逃れたまさみが、すかさずえりかに胴タックルをみまい、小柄なえりかを逆コーナーまで弾き飛ばしてしまう。



   『とにかく攻めなきゃ!』


  まさみは休む間もなくコーナーにもたれかかっているえりかに、無我夢中になってエルボーを叩き込んでいく。



    “ドスッ!!ドスッ!!ドスッ!!ドスッ!!”



  決して格好はよくないが、まさみの連打するエルボーが、コーナーのえりかに確実にダメージを刻み込んでいく。



    『ちょっと何だよこの馬鹿力・・・・“最強の挑戦者”って、こういう事かよ・・・・』



  まさみのエルボーがヒットする度に、えりかの表情が歪む。

  タイミングもフォームもむちゃくちゃなのだが、まるで丸太か何かで殴られたような衝撃が体に走るのである。

  おそらく練習云々以前の、まさみの潜在的な身体能力の為せる技だろう。



   『こんなのずっと受けてたら、体が保たねえよ・・・・』



  えりかは隠し持っていた“メリケンサック”を装着すると、まさみの鳩尾あたりにボディブローを見舞っていく。



     “ドスッ!!!”



   『あぐうううぅ・・・・・』



  “メリケンサック”の一撃を受けたまさみは、変なうめき声をあげて鳩尾を押さえている。

  全く予期していなかったところへの“凶器攻撃”だけに、そのダメージも大きい。


  さらに、“メリケンサック”でまさみの動きをとめたえりかは、何とここでまさみの額に噛み付いていく。



   「いやああああぁーーーっ!!!」



  リング上にまさみの悲鳴が響き渡ると、観客達からも一斉に驚きの声があがる。

  えりかの反則攻撃自体はいつもの事なのだが、これだけ早い段階で駆使するとは予想外である。



  えりかは序盤のわずかな時間の攻防の中で、まさみが持つ“驚異の潜在能力”を感じ取っていた。

  ありえない体勢で投げ飛ばされた上、単なるエルボーに自分の体が悲鳴をあげている。

  技術や組み立ては全くなっていないのに、感じる圧力が並大抵のモノではなかった。

 小柄な自分がどれだけ優位に立っていても、スタン・ハンセンのラリアットのように、
  一撃で試合をひっくり返す力を、まさみは持っている。


  このえりかの狂乱ファイトは、かつて同じA−1 王座戦で、芝咲コウがえりかに奇襲を仕掛けた時と同じで、
  まさみの“力”を見抜いたえりかが下した“英断”だった。



 えりかの息も尽かせぬ連続攻撃で、まさみはパニックに陥っていた。

  確かにえりかが「まともなファイターではない」という予備知識はあったものの、
  初めての実戦で、まだエンジンかかかってないような状態のところに、
  立て続けに反則技でこられては対処のしようもない。


  やがてえりかが噛み付いていた額が切れ、まさみは早くも流血してしまう。



   『うっ、うう・・・・・』



  えりかがようやく噛み付き攻撃をやめると、まさみはコーナーからふらふらと後退り、
  よろけるようにしてロープにもたれかかる。

  まさみは切れた額に手をやり、ここで自分が流血している事に気付く。

  えりかはそんなまさみに近づいていくと、まだメリケンサックをはめたままの拳を、まさみの額に打ち付けていく。



    “ガスッ!ガスッ!ガスッ!ガスッ!”



  ワンパンチ毎に血飛沫が飛び散り、まさみの顔面がだんだん真っ赤に染まっていく。

  最初は悲鳴をあげていたまさみだったが、今は声もあげる事ができない。


  試合開始からさほど時間が経っていないにもかかわらず、
  リング上にまさみの敗色ムードが早くも漂いだし、会場が大きくどよめきはじめる。



   「ああああぁ・・・・・・」


  額を割られたまさみは、激痛と出血で意識が朦朧としていた。



   『駄目・・・このままじゃ、負けちゃう・・・・』


  まさみは遠のいていきそうな意識を必死に繋ぎとめていた。

  一方、まさみを流血させたえりかは一旦まさみから離れて、その様子を伺っている。



   「オラァ、どうした、シンデレラガール!!!」



  ロープにもたれたまま動かないまさみを挑発するえりか。

  それでもまさみが動かないので、えりかは再びまさみに歩み寄り、メリケンサックパンチを見舞おうとするが、
  その瞬間まさみが両手でえりかの髪をつかみ、流血した頭でえりかにヘッドバットを見舞う。



    “ゴツッ!!!”



  鈍い音がリング上に響き渡り、えりかはふらふらとまさみから後退っていく。


  すると今度はまさみの方からえりかに近付き、えりかの頭を捕まえてヘッドバットを連発できめていく。



    “ゴツッ、ゴツッ、ゴツッ、ゴツッ!!”



  流血しているにもかかわらず、とりつかれたようにヘッドバットを連発するまさみ。

  最初はまさみの血でえりかの顔が赤くなっていたが、あまりに強烈なヘッドバットに、えりかの額も割れてしまう。




   「ぐああああぁ・・・・・・」



  まさみのヘッドバットの衝撃はすさまじく、えりかは頭から爪先まで瞬時に痺れていくのを感じていた。


  まさみは、えりかが棒立ちになっている事に気付くと、背後に回ってえりかを抱えあげていく。



    “ズバアァーーーン!!!”



  まさみのバックドロップが豪快にきまり、マットに叩きつけられたえりかは、頭を押さえてうずくまっている。

  しかしまさみも、ダメージを負っているので、なかなか動く事が出来ない。




   “みんながワタシに期待してるんだ・・・・・”



  まさみがようやく立ち上がろうとすると、それに合わせるかのようにえりかも起き上がり始める。

  立ち上がったまさみは、えりかが起き上がるのを見てロープに走り、渾身の力でえりかの喉元にラリアットを放った。




    “バキイイイィィーーーー!!!!”



  まさみの右腕が物凄い衝撃でえりかの首を狩り、小柄なえりかが一回転してマットに落ちていく。

  あまりに衝撃的なダウンシーンに、会場中が驚きの声に包まれる。



  ラリアットを放ったまさみは、インパクトの瞬間、右腕に十分過ぎる程の手応えを感じていた。

  そのラリアットを食らったえりかは、おそらくただではすまないだろう。

  まさみの視線の先には、俯せの“逆大の字”状態でマットに倒れたままピクリとも動かないえりかの姿が。



   『お願い・・・・これで、終わって・・・・・』


  ラリアットの後、自身もマットに崩れ落ちたまさみは、そのまま這うようにしてえりかに近づいていく。

  もはや力の感じられないえりかの体を何とか反転させると、力尽きて崩れるように覆いかぶさった。




   “ワン!・・・・・ツー!!・・・・・”


  
  レフリーのカウントが入り、両者大流血という壮絶なこの試合が幕を閉じようとした瞬間、
  観衆達は信じられない光景を目の当たりにする。




    “スッ、・・・・???”



  レフリーがカウントスリーを入れようとした瞬間、えりかの体が反応し、スリー直前でえりかの肩があがったのだ。



   『ええっ????』



  まさみはえりかの反応に驚きを隠せなかった。

  ここでまさみはフォールを返したえりかの姿を確認するが、どう見てもそのダメージは半端なモノではない。

  まさみは再度えりかに覆いかぶさり、レフリーが再びカウントを数えるものの、
  まるでリプレイのように、えりかはスリー直前で肩をあげる。



   『どうして・・・・』



  まさみはえりかの驚異の粘りに言葉を失っていた。

  自惚れではなく、自分の放ったラリアットの威力は相当のモノだったはずである。
 
  小柄なえりかがあれだけまともに食らったら、どう考えても無事なはずがない。



   『えりかさん・・・・・』


  まさみは試合前にえりかから感じた「勝てる気がしない」という感覚を思い出していた。

  えりかを支えているモノが何かは分からないが、少しでも意識が残っていたら、
  えりかは同じようにスリーカウントを拒否するだろう。

  それはギブアップを狙ってもおそらく変わらない。



   “意識を断ち切るしかない!”



  まさみはそれが最善の方法だと考えた。

  ためらっている場合ではない。

  いたずらに長引かせれば、お互いに危険が大きくなる。



  まさみは、ダメージを負った体に鞭打つように立ち上がり、倒れているえりかの体を起こしていく。

  まさみは「止めの一撃」となる技に、「ハイアングルパワーボム」を選んだ。






   「うあああああぁぁーーーっ!!!」



  まさみは大声をあげて気合いを入れると、えりかの体を高々と抱え上げる。

  しかしえりかの体がマットと垂直になった瞬間、それまで虚ろだったえりかの目が大きく開かれた。





   「!!!」



  自分がおかれた状況を察知したえりかは、まさみの髪をつかむと、メリケンサックが装着された拳をまさみの頭にたたき込む。


  
     “ガシッ!!!”



  このメリケンサックパンチでまさみの動きがとまり、えりかはまさみの肩口に乗ったまま、
  まさみの頭にメリケンサックパンチを連発していく。




     “ガシッ!ガシッ!ガシッ!ガシッ!!”



  まさみはメリケンサックパンチを受けながらも、えりかをマットに叩きつけようとするが、
  力が入らずえりかを放り出すようにマットに落としてしまう。


「うっ、ううぅ・・・・・・」

  
  パワーボムをきめられなかったまさみは、激痛でその場にひざまづいている。


  ピンチを逃れたえりかは直ぐ様立ち上がってロープに走り、
  朦朧としているまさみのヒザに飛び乗り、シャイニング・ウィザードを炸裂させる。




      “バキイイイィィーーーーッ!!!”




 勢いのついたえりかのヒザがまさみの顔面を捕えた瞬間、その衝撃な光景に会場中が大きなどよめきに包まれる。

  しかしその直後、リング上にさらなる衝撃が訪れる。





  『????』




  シャイニング・ウィザードを受けたまさみが、倒れずに同じ状態で踏みとどまっていて、
  きめたえりかがまさみに弾き返されてマットに投げ出されていた。




  『ちょっと・・・・何だよ、コイツ・・・・』




  マットに尻餅をついたえりかは驚きの表情を隠せなかった。

  えりかのヒザに激痛が走り、シャイニング・ウィザードの手応えは十分過ぎる程確認できた。

  しかしえりかの目の前では顔面血染めのまさみが、ひざまづいた状態からゆっくりと立ちあがろうとしている。




  『ダメ・・・・倒れたら・・・・もう立てない・・・・』



  まさみは驚異的な精神力だけでその場に踏み止まっていた。

  自分が受けたダメージの大きさを考えれば、倒れたら二度と立ち上がれないだろう。




  『みんなが・・・・ワタシに・・・・期待している・・・・・』




  多くの関係者達が、社長が、そして凛花が、「自分に勝って欲しい」といっている。

  強い責任感で倒れる事を拒否したまさみ。

  しかし倒れなかった事が、シャイニング・ウィザードによるダメージをさらに大きくし、
  立ちあがった姿が、えりかの闘争本能に火を点ける事になる。




  「この野郎・・・・潰す・・・・」



  えりかはそうつぶやくと、立ち上がって足をひきずりながらまさみに近づいていく。

  もはや立っているだけの状態のまさみの顔面に、えりかのメリケンサックパンチが炸裂する。



     “パシッ!!”



  しかし、えりかのパンチには最初のような力はなかった。

  えりかはまさみの髪をつかむと、必死にメリケンサックパンチを連発していく。



     “パシッ!・・・パシッ!・・・パシッ!・・・”


  ゆっくりしたテンポで弱々しいパンチを繰り返すえりか。

  もはやえりか自身も、まさみに捕まっていないと立っているのが辛い様子である。

 




   『えりかさん・・・すごい・・・』


  まさみは棒立ちのまま、えりかのパンチを受けながら、最初にえりかに感じた感覚を思い出していた。

  えりかから感じた“何か”を。



  それは言葉で表すとすれば、


    “負けず嫌い”


  という言葉なのだろう。


  しかしえりかの“それ”は、そんな生易しいものではない。



  今は凶器を使っているが、仮に無かったとしても試合を捨てたりしないだろう。


  相当なダメージを抱えているにもかかわらず、なおも自分を攻撃してくるえりかに、
  まさみはある種の尊敬の気持ちを抱いていた。





   『でも・・・ワタシだって・・・負けるわけには・・・・』


  まさみは意識朦朧としながらも、えりかの頭を捕まえて脇に抱え込み、ブレーン・バスターの体勢に入る。



『ちょっ?!こっ、この野郎!!』


  頭をつかまれたえりかは、あわててメリケンサックを何度もまさみの脇腹にたたき込んで阻止しようとするが、
  まさみの力はハンパではなく、えりかは逃れる事が出来ない。


  まさみは最後の力を振り絞って、えりかの体を頭上へと抱え上げる。




   「うっ・・・うあああぁーーーーー!!」

  


  まさみとえりかの体がマットから垂直に伸びる一本の線となった瞬間、

  えりかが頭から真っ逆さまにマットに落ちていった。




      “ズドオォーーーン!!!”




  まさみの起死回生の垂直落下式ブレーン・バスターが炸裂し、えりかの体が脳天からマットに突き刺さる。



  マットに大の字になったまま動かないえりか。

  そしてまさみもまた、倒れたまま起き上がろうとしない。



  かつての“コウVSえりか”戦の再現のようなWノックダウン状態に、会場は興奮のるつぼと化していく。



  レフリーがゆっくりとノックアウトカウントを始め、両者の様子を伺うが、両者とも起き上がる気配が無い。

  えりかの王座陥落を願う関係者達は、何とかまさみに立ち上がってほしい、と祈るような気持ちでリング上を見つめている。



  レフリーはカウントナインまで数えた後、大声で両者に呼び掛け、その反応を伺っている。

  相変わらずまさみは動かない。


   そして・・・



  えりかがゆっくりと起き上がった。





  まさみは、ブレーン・バスターでえりかを抱え上げたところで既に、意識が途絶えていた。

  確かにまさみが狙っていたのは“垂直落下式ブレーン・バスター”だったのだが、
  えりかにきまった技は“偶発的”に生まれたものだったのだ。



  起き上がったえりかを見て、観客達は言葉を失っていた。

  まさみと同じように流血している上に、下手をするとまさみ以上にダメージを受けているはずである。

  しかしえりかは立ち上がり、よろめきながらも、倒れているまさみのところに歩いていく。

  そしてえりかは倒れたままのまさみの上にまたがると、メリケンサックの拳を振り上げた。






   「待ちなさい!!」





  突然、女性の声が場内に響き渡り、リング内にタオルが投げ込まれる。

  その声を聞いたえりかは、振り上げた拳を降ろして辺りを見回し、声の主を捜し出す。

  そして背後に気配を感じたえりかが振り返ると、そこに一人の女性の姿が。




   『・・・・・誰?』



  えりかの前に現れた女はすらりとした長身で、顔にサングラスをはめ、シックなスーツに身を包んでいる。

  サングラスのせいもあるが、えりか自身流血と試合のダメージで視界がぼやけていて、顔はよく分からない。

  出で立ちと身の振る舞いからしておそらく関係者の一人だろう。




   「えりかさん、あなたの勝ちよ・・・」



  サングラスの女はえりかにそう声をかけると、うっすらと笑みを浮かべる。



   「ねえ、本当ならもう少し早く試合は終わってるのよ・・・・

    まさみさんと、あなたの事を考えたら、もっと早く止めなきゃいけなかったのに、

    そうしなかった・・・・・・どういう事か分かる?」



  サングラスの女はえりかに問い掛けるが、えりかは女の事をにらんだまま黙っている。



   「みんな、あなたに勝たせたくなかったのよ・・・・・・

    あなたが凶器を使ったからっていって反則負けにしても、それじゃあ意味が無いの。

    あなたが・・・あなたが認めざるをえない“負け方”じゃないと・・・・・

    だから、まさみさんはある意味、馬鹿な関係者達の犠牲者なの。」



  女の言葉に、えりかの表情がだんだん険しくなっていくが、女は気にせずに言葉を続ける。



   「会場をごらんなさい・・・・・誰もあなたの勝利を祝福していないわ・・・・・

    あれだけ凄い試合したのにね・・・・・みんな、まさみさんを心配してる・・・・・

    今日はあなたの勝ちかもしれないけど、あなたはいつか、まさみさんに負けるわ。

    プロレスでも・・・・・女優としても・・・・・」



  女がそういい終えた瞬間、えりかは怒りを押さえ切れずに女の方に向かっていった。




   「説教くれてんじゃねえーーー!!」



  えりかはそう叫びながら、メリケンサックの拳を振り上げて女に向かっていく。

  女はその場で身を翻すと、向かってきたえりかの顔面にバックハンド・ブローを放つ。



    “バキイイイィィーーーーッ!!”



  強烈なバックハンド・ブローがえりかを襲い、小柄なえりかは一発で吹っ飛ばされてしまう。


  バックハンド・ブローがえりかの“歯”を直撃した為、女の右手の甲からは血がしたたり落ちていた。

  しかし女は全く意に介する事無く、倒れているえりかに近づいていく。




   「本当はあなたもわかってるはずよ・・・ワタシの言った事が・・・」




  サングラスの女は倒れているえりかに向かってそういうと、微かに笑みを浮かべる。

  えりかはバックハンド・ブローで半分意識を失いかけていたものの、その女の言葉に反応した。




   「ちょっと、まてよ・・・・」


  そうつぶやきながらえりかは、気力を振り絞って再び起き上がろうとしていた。

  サングラスの女は、表情には出さないものの、そのえりかの姿に内心驚いていた。


  あれだけのダメージがあって、さらに自分のバックハンド・ブローを受けて、どうして立ち上がれるのか?


  何とか立ち上がったえりかは、ふらふらした足取りでサングラスの女に歩み寄っていく。

  しかし立ったとはいえ、どう見ても人と戦える状態ではない。

  それでも自分に向かってくるえりかに、女はある種の“感動”を覚えていた。



  えりかはサングラスの女に前に来ると、まるでスローモーションのような弱々しいパンチを出していく。

  女はそのパンチを難なく避けると、えりかの背後にまわり、チョークスリーパーの体勢に入る。

  しかし腕には全く力は入れておらず、女はえりかの耳元でこう囁いた。




  「あなたきっと・・・いい女優になれるわ・・・」



  女は腕に軽く力をこめた後、えりかから手を離していく。

  解放されたえりかはそのまま力なく、マットに崩れ落ちた。




  サングラスの女はえりかから離れた後、まだ倒れたままのまさみのところに歩み寄っていった。

  顔面血まみれのまさみは目を閉じたままで、相変わらず動く気配は感じられない。

  女はまさみの傍にひざまずくと、倒れたままのまさみに声をかけた。




   「まさみちゃん・・・」



  女の口調はえりかと相対した時と違い、どこか親しみがこもっていた。



   「ワタシね・・・あなたの“笑顔”が大好きなの・・・

    中学生だったら『こんなお姉さんがほしい。』

    高校生や大学生だったら『こんな彼女がほしい』

    若いサラリーマンだったら『こんな妹がほしい』

    中年のオジサンだったら『こんな娘がほしい』って・・・・

    あなたの“笑顔”を見ていたら、沢山の人がそう思うわ・・・・」


 
  女が語りかけていても、まさみには相変わらず反応がない。

  しかし女はまさみに向かって話を続ける。



   「でも・・・この世界にはそんなあなたを疎ましく思っている人達もいるの。

    『あのコがいなかったら、ワタシが主役なのに。』

    『あのコがいなかったら、ワタシがあのドラマに出れるのに。』

    『あのコがいなかったら、ワタシがあの映画に出れるのに。』

    『あのコがいなかったら、ワタシがあのCMやってるのに。』って・・・・

    今のままだったら、いつかそういうコ達に足元をすくわれてしまうわ・・・・・・・」



  女は血だらけのまさみの顔をじっと見つめている。



   「この世界で生き残るには『相手を蹴落とす』事も必要なの。

    これはとっても大事な事だけど、今のあなたに欠けているモノなの。

    でも、えりかさんにはそれがあるの。

    あなたがえりかさんに“無いモノ”を持ってるように、

    えりかさんも、あなたに“無いモノ”を持っているの・・・・・・」



  女は優しい笑みを浮べながら、意識を失っているまさみに最後の言葉をかけた。



    「これからも彼女と競い合いなさい・・・・・・

     きっと、二人とも素晴らしい“女優”になれるわ・・・・・・・」



  女がそういってまさみの元を立ち去ると、女と入れ代わるようにして、
  まさみを病院に搬送する為の救急隊員達がリングに上がってくる。

  女はすれ違いざまに一人の救急隊員の肩に手をかけ、そっと声をかける。



   「彼女の事、お願いね!」


  女の言葉に、救急隊員は硬い表情を崩さずに、黙って頷いた。







  試合後、当然の事ながら両者とも病院直行となった。

  えりかは比較的軽傷で、入院も2、3日程度でOKという事だった。

  小柄な体で連続防衛を続けているだけあって、想像以上の強靱な肉体の持ち主である事が、今回の試合で証明された。



  一方まさみの方はかなりの重傷であった。

  幸い精密検査での異常はなかったのだが、えりかが凶器を使っていたので外傷がひどく、
  数週間の入院が必要、という事であった。





  A−1王座戦から数日後、女優プロレスを主催している秘密クラブに、一通のFAXが届いた。

  FAXを見た関係者達はその内容に驚き、急遽女優プロレスに関する臨時会議を開く事を決定する。


  FAXの送信者は、先日永沢まさみを相手にA−1王座防衛を果たした王者、佐和尻えりかだった。

  そこにはえりか本人の自筆でこう書かれていた。




   “私、佐和尻えりかはA−1王座を返上する事にしました。”





  佐和尻えりかが王座返上を表明した翌日。

  永沢まさみが入院している病院に、一人の若い女性が訪れていた。


  お見舞いの花束を手にしたその女は、サングラスをしている上に、キャップを深く被っているので顔はよく分からない。



  女は「永沢まさみ様」と書かれた病室の前で立ち止まり、軽く深呼吸した後、少しためらいがちにドアをノックする。

  しかし何も返事はなく、女はそっとドアを開けて中を覗いてみる。



  まだ明るい時間にもかかわらず、まさみはベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。

  頭には包帯が巻かれ、その姿は見るからに痛々しい。

  病室に入ったその女はまさみの傍に立ったまま、何も言わずにまさみの寝顔を見つめている。

  まさみに起きる気配はなく、結局、女はまさみに声をかけずに病室を後にした。




  まさみの病室にいた女は、病院から出て来るとすぐにポケットから自分の携帯を取出した。

  院内に入る際に電源を切っていたので、女は電源を入れると、早速どこかに電話をし始めた。




   “あっ、もしもし・・・佐和尻です・・・・・”







  その日の夜、映画ファン注目のイベントである「東洋国際映画祭」が都内某所でその初日を迎えていた。

  国内はもちろん、海外からも多くの話題作が参加する映画祭だけに、マスコミの関心も高く、
  その模様は衛星放送で生中継されていた。




  まさみは病室のベッドでその中継を見ていた。



   『でも・・・誰がお見舞いに来てくれたんだろう・・・』



  まさみの視線は画面を離れ、花瓶に飾られた花に向けられている。

  まさみが目覚めた時に、病室に置かれていた花束だ。


  花束にはカードも何も添えられていなかったので、誰が持ってきたのかも分からず、
  困っていたところに、看護士が花瓶を持ってやってきた。

  まさみがまだ寝ている時にその花束を見て、わざわざ用意してくれたのだという。

  看護士も持ってきた人物には会ってないらしく、『そういう事なら処分しますか?』と聞かれたが、
  まさみはその花を飾ってくれるようにお願いした。





  『お礼も言わなくてごめんなさい。きれいなお花をありがとうございます。』


  まさみはそうつぶやきながら、正体の分からない送り主の代わりに、花瓶の花に向かってお辞儀をした。


  さすがにまさみも、この時点で「その人物」と「死闘を繰り広げた相手」を結びつける事は出来なかった。




  まさみが再び画面に目を向けると、今回の映画祭の目玉と言われている話題作、『大上家の一族』が紹介されていた。


  30年前に大ヒットした名作のリメイク版で、監督と主演が当時と同じという事も大きな話題となっていた。

  当然他のキャスティングにも注目が集まり、物語のキーパーソンとなるヒロインには
  人気女優、松島奈々子が選ばれるなど、大作の名にふさわしい豪華な共演陣が顔をそろえていた。



  会場の壇上には、『大上家の一族』の出演者が続々と登場し、しんがりには御年90を超える、
  日本映画界の重鎮と呼ばれる監督が車椅子姿で表れ、会場は大きなどよめきに包まれていた。




   「わあ〜、奈々子さん和服だぁ!綺麗だなあ・・・」


  まさみが中でも注目していたのは、ヒロインを努めた松島奈々子だった。

  モデルから転身しただけあって、顔もスタイルも抜群の奈々子は、まさみの憧れの女優でもある。

  普段はドレス姿が多い奈々子だが、今日は劇中の衣裳でもある着物姿で、髪も日本髪にしている。

  隣には主人公の探偵役を努めた大御所俳優が、これまた役通りのぼさぼさ頭で立っていて、
  そのコントラストは滑稽ではあるものの、奈々子の美しさを一層際立たせていた。



監督のあいさつが始まると、その重みのあるコメントに、会場全体が引き締まった空気に包まれていく。


監督のあいさつが終わると、続いて主役を努めた大御所俳優が、
軽妙な語り口調で映画の見所を紹介し、緊張感の漂っていた会場を和ませた。


主演俳優のスピーチが終わり、マイクがヒロイン役の松島奈々子に手渡されるが、
大御所二人の後を受けてのスピーチだけに、その表情にはかなりの緊張が伺える。


そしてこの時、テレビを見ていたまさみがある事に気付く。




  「あれっ?奈々子さん、右手・・・・・・」


スピーチをはじめようとした奈々子の、マイクを持った右手に、包帯が巻かれている。



   『あれえっ?!!ちょっと奈々子ちゃん、どうしちゃったの、その右手!!!』


突然隣にいた大御所俳優がオーバーに声をあげ、スピーチしようとした奈々子を驚かせると、
奈々子は「もうやだ〜!」といいながら大御所の肩を叩く。

どうやら大御所は奈々子の緊張を解そうと、悪ふざけしたようだ。


  『奈々子さん、瓦の試し割りでもしたのかい?ダメだよ、女優さんがそんな事しちゃ!』


さらに二人のやりとりを見ていた大物監督の口からジョークが飛び、会場からドッと笑い声が沸き起こる。

壇上に揃った出演者達も皆笑顔になり、カメラは恥ずかしそうに笑う奈々子の姿をとらえていた。




するとその時、




“まさみちゃん、ワタシ、あなたの笑顔、大好きよ・・・”



  『えっ?!』



突然聞こえてきた声にまさみは驚き、キョロキョロと辺りを見回すが、病室にはまさみ一人しかいない。



  『気のせい・・・かあ・・・』



まさみが再び画面に目を向けると、ようやく松島奈々子のスピーチが始まったところだった。



  『でもさっきの声・・・・・奈々子さんの声とよく似てた・・・・・』



  まさみがテレビの前でそんな事を考えていると、スピーチを終えた奈々子が、

  まるでテレビの前のまさみに呼び掛けるかのように、カメラ目線でニッコリと笑った。

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