“全ての諸悪の根源は私です。”
人気女優、佐和尻えりかがある番組のインタビューで語ったその一言は、
あらゆるメディアで取り上げられ、業界に大きな波紋を及ぼしていた。
きっかけは、彼女が主演を務めた映画の舞台挨拶での出来事だった。
インタビュアーから向けられたその様々な質問に対し、えりかは明らかに不機嫌そうな表情を浮かべたまま、
まともに受け答えしなかったのである。
感情をストレートに表現する事で知られているえりかのそのキャラは、業界ではもはや周知の事実で、
それほど大騒ぎするような事ではない
というのが周囲の見方だったが、このえりかの舞台挨拶が、
彼女をCMで起用している大手スポンサー各社の逆鱗に触れる事になってしまう。
彼女の発言によって企業イメージが大きくダウンした
と、スポンサー数社が彼女の起用取り止めと損害賠償請求を事務所側に申し立て、
さらには映画の配給元からも同様の対応を求める声が上がり、事務所は已む無くえりかに、
マスコミを通じて大々的に謝罪コメントを発表するよう、命じたのである。
これまでは「売れっ子女優の一つの持ち味」として、えりかのその「傍若無人キャラ」を容認していた事務所も、
さすがに今回の事態は重く受けとめたようで、えりか自身もそれを理解し、不本意ながらも事務所の指示に素直に従った。
謝罪インタビューを終えたえりかを乗せた車は、彼女の所属事務所に向かっているところだった。
無事謝罪を終えた事を報告するためなのだが、えりかはその車中で様々な事を考えていた。
休みの日は何してるんですか?
今大人気のナカアンドヨシですが、えりかさんは二人のうち、どちらがタイプですか?
撮影現場では、スタッフに手作りクッキーを差し入れされたと聞いたんですが?
えりかは最近、映画のプロモーションのため、色々な番組に顔を出す機会があった。
しかし聞かれる事といえば、どれもこれもありきたりの下らない質問で、
正直まともに答えるのがバカらしいと思うものばかりだった。
そんな他の番組で積もりに積もった鬱憤が、あの舞台挨拶で爆発してしまったのだ。
ファンの人が知りたがっている
なんて言葉をよく耳にするが、本当にそんな事を知りたがっているのか?
自分にそういう質問をキチンと答えて欲しいと思っているのか?
自分に正直でいたい
そう思えば思うほど、えりかの発言に対する批判の声は大きくなっていく。
永沢まさみは、こんな事思わないんだろうなあ・・・
えりかは以前、「女優プロレス」でタイトルを賭けて戦った、永沢まさみの事を思い出していた。
その時、えりかは「A―1王座」のタイトル保持者で、「最強の挑戦者」という触れ込みでえりかの前に現れたのが、まさみだった。
キャリア不足は否めないものの、ずば抜けた身体能力を持つまさみに、えりかは後一歩のところまで追い詰められた。
最後はその驚異的な精神力だけで、どうにか勝利を収めたものの、えりか自身まさみに勝ったという実感は全くなかった。
さらに試合後、リングに姿を見せた“一人の女”から追い討ちをかけるような言葉がえりかに浴びせられる。
あなたはいつか、まさみさんに負けるわ。プロレスでも・・・・・女優としても・・・・・
自分が抱いていた不安を見透かされたかような女の一言に、この時えりかは平静を保つ事が出来なかった。
それどころか今になっても、その言葉がえりかの脳裏から消え去る事はなく、
えりか自身を追い込む事になる、今回の一連の騒動の呼び水となっている気がしてならなかった。
しかしえりかは、女の言葉に素直に従うつもりもなかったが、決して反発しているつもりもなく、
むしろえりかなりにその言葉を理解しているつもりだった。
自分が“永沢まさみ”になるつもりはないし、あの女も決してそういう意味で自分に声をかけた訳ではないだろう。
私は佐和尻えりか・・・永沢まさみじゃない・・・
車の中でえりかはポツリと、そう呟いた。
一連の騒動で、メディアから佐和尻えりかの姿が消えてから数日後、えりかはあるテレビ局を訪れていた。
それは仕事ではなく、個人的な用件で“ある女優”のところを訪ねる為であった。
えりかがスタジオに入ると、前方から歩いてくる一人の若い女性の姿が目に入った。
その女性は帽子を目深に被っていて、顔はよく分からないが、遠目にもえりかの“同業者”らしいオーラが感じられた。
俯き加減のままこちらに歩いてくる女は、えりかの存在に気付いていない様子で、えりかが避けなければすれ違う事は難しそうである。
しかしえりかが構うことなく歩を進めると、案の定女が肩にかけていた大きなバッグと
えりかの肩がすれ違い様にぶつかり、 二人とも通路に尻餅をついてしまう。
「あっ、すいません!!」
女は尻餅をついたまま、困惑した様子でえりかに向かって声をかけてきた。
このコ、確か・・・
えりかとぶつかったのは、人気女優の荒垣結衣であった。
えりかが舞台挨拶で批判を浴びたのとは対照的に、結衣はハードスケジュールによる体調不良を推して、
主演映画の舞台挨拶をこなした事で、関係者の評価がうなぎ登りになっていた。
「大丈夫ですか?!」
結衣はあわてて立ち上がると、既に立ち上がろうとしていたえりかの手をとって引き起こそうとするが、
肩にかけたバッグの重みで再びよろめいてしまう。
その様子を見てえりかは反射的に結衣の手をとり、倒れそうになりながらも踏みとどまって逆に結衣を引き起こした。
この時に結衣も、相手がえりかだという事に気付いた。
「あっ、あの・・・ホントにすいませんでした!!」
これがえりかとの初対面である結衣は、その挨拶をしなければ、と思いつつも
えりかを転ばせた事でパニクっていて、謝罪の言葉を絞り出すのが精一杯の様子である。
何だよ・・・自分が一方的に悪いみたいに・・・
避ける事ができたにもかかわらず、避けようとしなかった自分も悪いのに、
ただただ一方的に謝ってくる結衣に、えりかは軽い苛立ちを感じていた。
結衣は一旦頭を上げた後、無表情のままのえりかに対してもう一度深々と頭を下げ、
その場を立ち去ろうとするが、そんな結衣を見てそれまでずっと黙っていたえりかが思わず口を開いた
「ねえ・・・・」
踵を返して歩き出していた結衣は、足を止めて自分を呼び止めたえりかの方を振り返る。
「アンタ・・・・ちゃんと休みとかもらってんの?」
結衣は最初えりかの言葉の意味が解らず、キョトンとした表情を浮かべていたが、
すぐにそれが自分に対する気遣いの言葉だと気付き、慌てた様子で口を開く。
「あっ、そんな・・・・ワタシなんかまだ全然ヒヨッコっていうか、自分の言い分聞いてもらうような大した女優じゃないし・・・
まだまだ覚えなきゃいけない事で一杯っていうか・・・・・」
先輩女優からの言葉に恐縮したのか、結衣はちょっと怯えたような表情を浮かべている。
きっとこのコは“佐和尻えりか”ではなく“永沢まさみ”なんだろうなあ・・・・
目の前の結衣を見てえりかはそんな事を考えていた。
きっと今の彼女の周りにはには、彼女の事を悪くいう人間は一人もいないのだろう。
「あのさあ・・・そうやって無理して倒れたりしたら結局困るのはアンタ自身でしょ?
周りに迷惑かけられないって思ってんのかも知れないけど、
現場はアンタがいなかったら代役を用意する、それだけの話なの!
無理してやりたくない仕事まで引き受けて、自分がホントにやりたい仕事が来た時に倒れてたりしたら、
頑張ってる意味がなくなるんじゃないの?!」
結衣の控えめな発言にイラついたえりかは、思わずそんな言葉を発していた。
それを聞いていた結衣も、えりかのクールなイメージとは裏腹の熱い語り口調に、驚きを隠せない様子である。
そんな結衣の表情を見てえりかはハッと我に返り、たちまち気まずそうな表情を浮かべた。
「・・・・じゃあ・・・・」
えりかは驚いたような表情を見せたままの結衣に対してそれだけ言うと、すっと結衣に背を向けて足早にその場を立ち去っていく。
あっけにとられていた結衣はようやく我に返り、立ち去るえりかの背中に向かって深々と礼をした。
チッ・・・・
結衣の元から離れたえりかの口から思わず舌打ちがこぼれた。
それは後輩女優に“らしくない”説教をした、自分自身に対してのものであった。
でもあのコ・・・・かなり疲れてるみたいだったけど・・・・
この時えりかは、結衣に隠された“ある重要な秘密”を、直感的に見抜いていた。
えりかは結衣と別れた後、ある女優の楽屋の前に立っていた。
この日スタジオにやって来た本来の目的を果たす為である。
そしてえりかがドアをノックしようとした瞬間、
「ちょっと、何か用?」
えりかに声をかけてきたのは、若手女優井上真緒だった。
主演ドラマが高視聴率をマークし、先程会った荒垣結衣に並ぶ注目株の女優である。
「入んなよ・・・・」
この日が初対面とは思えない、横柄な口調でえりかに声をかける真緒。
しかしえりかは表情一つ変えずに、真緒に続いて楽屋に入っていった。
「・・・・それで、“えりか様”が一体ワタシに何の用なんですか?」
楽屋に入るなり真緒は、明らかに“喧嘩腰”の口調でえりかに声をかけてくる。
端から見ればヒヤヒヤものの光景であるのだが、当のえりかはさほど驚いている様子ではなかった。
今日が初対面だというのに、えりかはまるで真緒の無礼な態度を予測していたかのようである。
実は最近、関係者の間で“井上真緒の天狗ぶり”が大きな話題となっていた。
それというのも真緒の事務所の、看板女優真緒に対する徹底した“過保護ぶり”に原因があるのだという。
真緒はドラマの現場でほとんど他の共演者と言葉をかわす事がないらしい。
それは事務所からの指示で、真緒を“大物女優”だと周りに認識させる為の演出なのだという。
真緒と話をした人物を出来る限り作らないようにして、昔の女優のような“神秘的”なイメージを作り出そうとしているのだ。
そして真緒自身、子役時代から活躍していて、同年代の女優に比べてキャリアを重ねている、という自負があるので、
そんな事務所の方針を何の抵抗も感じずに自然に受け入れている感がある。
しかし周りの関係者達にしてみれば、こういった真緒と事務所の一連の行動は“何様のつもり”という風に映るのが
自然な流れで、真緒の人気が上がれば上がる程、そういった外野からの声もうるさくなる一方であった。。
えりかにしてみれば、今真緒が置かれている状況が、とても他人事には思えなかった。
業界では既に、「真緒は第2のえりかになる」というのが専らの評判である。
えりかは自分と似た境遇の真緒と、「忠告」の意味で一度話をしてみたい、とこの場を訪れたのだ。
「アンタ・・・・最近随分と調子に乗ってるみたいだけど・・・・」
えりかがようやく口を開いた直後、真緒はえりかの言葉を遮るように大声で話を初める。
「あ〜あ!元A―1王者も随分とヤキが回ったねえ!」
元A―1王者という真緒の言葉にえりかの表情は険しく変化した。
しかし真緒は、そんなえりかの様子に構う事なく、言葉を続ける。
「あの天下の“えりか様”が、後輩女優に優しくアドバイスしちゃったりしてさ・・・笑っちゃうよねえ・・・」
えりかは気付いていなかったが、どうやら真緒は先程の“結衣とのやりとり”の一部始終を見ていたらしい。
「それで今度はワタシに“お説教”って訳?あんまり調子に乗ってると、自分みたいに仕事干されるわよ、とでも言いにきたのかしら?」
完全に小馬鹿にしたような口調でえりかに喰ってかかる真緒。
確かに真緒が言っている事に間違いはなかった。
「アンタは所詮、A―1のタイトルからも、女優の仕事からも逃げたした“負け犬”なんだよ!そんなヤツに偉そうに説教をされる覚えはないね!」
真緒の言葉に腹が立たなかったといえば嘘になるが、えりかはそれ以上に自分の心が醒めていくのを感じていた。
多分、今の真緒に何を言っても通じる事はないだろう。
「ねえ・・・ワタシはもうすぐA―1のチャンピオンになるわ・・・
アンタがもし、A―1のタイトルに未練があるんだったら、挑戦させてあげてもいいわよ?!」
真緒は目の前のえりかを挑発するかのように、高飛車にそう言いながら不敵な笑みを浮かべている。
真緒はえりかがA―1を返上した事を知っているだけでなく、どうやら近い内に「女優プロレス」のリングに上がる事が決まっているらしい。
それだけでなく、自分が新しい王者となる事を微塵も疑っていないようだ。
えりかはそんな真緒を冷ややかに睨み付けた後、
「・・・・邪魔したね・・・・」
とだけ言い残して、真緒の楽屋を後にした。
“ヤキが回った”か・・・・
真緒の楽屋を後にしたえりかは、真緒がいった言葉を思い出していた。
「第2のえりか」といわれているだけあって、確かに真緒は以前の自分によく似ている。
“ワタシはもうすぐA―1のチャンピオンになる”
そう強気に言い放った真緒だが、彼女もえりかと同じく決して体が大きい訳ではない。
それなのに、あれだけ自信に満ちた態度がとれるのは、それなりの準備をしているからであろう。
しかしA―1王者を決める試合となれば、そう簡単に勝てる相手が出てくるとは思えない。
真緒の自信を裏付けするものは何なのか?
単なる“怖いもの知らず”なのか?
それとも対戦相手が誰か分かっていて、“勝てる相手”だと思っているのか?
真緒が“勝てる”と思っている相手・・・・
もし“あのコ”が相手だとしたら・・・・
この時、えりかの頭の中に、ある一人の女優の顔が浮かんでいた。
この日の夜、えりかは都内のレストランで事務所のスタッフと夕食を共にしていた。
食事を終え、一息ついていたところでスタッフの一人が話を切り出した。
「あっ、そういえばさあ、えりかが返上して空位になってるA―1王座、今度新しいチャンピオンを決める決定戦やるらしいよ・・・・」
「ふーん・・・・」
えりかはあまり関心なさそうに相槌を打つものの、切り出したスタッフはそのまま話を続けた。
「それで対戦するのが確か、井上真緒ちゃんと・・・・あれっ、誰だっけ・・・・」
スタッフがなかなかその相手を思い出せずにいると、それまで黙っていたえりかがポツリと呟いた。
「・・・・荒垣結衣。」
「あっ、そうそう!あれっ、えりか知ってたの?!」
スタッフにそう問いかけられたものの、えりかはそれ以上何も言わなかった。