某月某日都内某所。
ここは多くの業界関係者が集う『秘密クラブ』。
この日はクラブの目玉イベント、「女優プロレス」が開催されるとあって、数多くの関係者がクラブを訪れていた。
佐和尻えりかが返上して以来、空位になっている「A―1王座」の新王者を決める試合、という事でその注目度も普段以上に高い。
今回新王者を争って戦うのは、現在注目の若手女優、井上真緒と荒垣結衣の二人。
そして会場には、前王者の佐和尻えりかの姿もあった。
いよいよか・・・・
えりかが見つめるリング上には、先に入場をすませた荒垣結衣の姿が見える。
結衣は167センチのスレンダーな肢体を、シンプルな白の競泳水着に身を包んでいて、そのスタイルの良さを際立たせていた。
しかしその表情には、大一番への緊張と、売れっ子の宿命ともいえるハードスケジュールによる
疲労の色がにじみ出ていて、コンディションの悪さがうかがえた。
“ワタシはもうすぐA―1のチャンピオンになるわ・・・”
・・・なるほどね・・・
えりかは、真緒の自信に満ちた言葉を思い出していた。
“荒垣結衣がハードスケジュールでダウン寸前”
という噂は、既に業界でも広まっているので、その結衣が相手なら小柄な自分でも十分勝機があると思ったのだろう。
そしてえりかが花道に目をやると、結衣の相手である井上真緒が姿を見せていた。
真緒も売れっ子だけに、結衣ほどではないにしろ、厳しいスケジュールをこなしているはずだが、
リングに向かう真緒は顔色も良く、コンディション作りも万全、といった感じである。
入場のさなか、客席にえりかの姿を見つけた真緒は、えりかを挑発するかのように不敵な笑みを浮かべた後、
リングに向かって力強い足取りで再び歩き出した。
真緒はリングインするなり両手を腰に当て、ふてぶてしい態度で対戦相手の結衣を睨み付けている。
Tシャツとサスペンダー付きのデニムのショートパンツというコスチュームといい、
158センチという小柄な体といい、 どこか前王者のえりかを彷彿させる真緒と、
167センチの長身に競泳水着と、えりかと最後に戦った永沢まさみを彷彿させる結衣。
二人の姿はまるで、前回のA―1王座戦を思い出させるものであった。
そしてえりかをはじめ、全ての観客の視線がリング上に注がれる中、運命のゴングが鳴らされた。
“カァーン!!”
ゴングが鳴った瞬間、真緒がいきなり結衣に向かって白いパウダーを投げつける。
“!!!”
結衣は予想だにしなかった真緒のパウダー攻撃をまともに受けてしまい、試合開始早々から“視界を奪われる”というハンデを背負ってしまう。
一方、奇襲攻撃を仕掛けた真緒は、“してやったり”とばかりに、結衣の背後に回り込み、その長い脚にローキックを連発で見舞っていく。
“バシッ!バシッ!バシッ!バシッ!”
視界を奪われた結衣は、逃げる方向も解らず軽いパニック状態に陥っている。
そんな結衣を嘲笑うかのように、執拗にローキックを連発する真緒。
結衣は“このままではマズイ”とばかりに、破れかぶれにローリング水平チョップを繰り出すものの、
モーションが大き過ぎて真緒に難なくかわされてしまう。
この空振りでバランスを崩した結衣は、何とかその場に踏み止まろうとするが、
ここで真緒が狙いすましたようにドロップキックを放つ。
“ビシイィーッ!!”
切れ味鋭いドロップキックがきまり、結衣がキャンバスに倒れると、真緒はデニムパンツのポケットからバンダナを取り出し、
立ち上がろうとした結衣の背後から結衣の首にバンダナを巻き付けていく。
うぐぐ・・・
チョークを極められた結衣は呻き声をあげながら、必死に首に巻き付いたバンダナを解こうとしている。
しかもパウダー攻撃を受けた両目も相変わらず閉じたままで、試合序盤は完全に防戦一方の状態である。
一方、試合の主導権を握った真緒はいかにも女優らしく、普段テレビでは見せないような不敵な笑みを浮かべ、完全に悪役に徹している。
その間もバンダナを持つ手にはしっかり力を入れていて、相手にスキを与えないようにしている。
真緒はコスチュームだけでなく、小柄なハンデをカバーすべくラフファイトを盛り込んだ戦いぶりまで、
前王者のえりかを彷彿させていた。
“やはり結衣のコンディションは最悪である。”
リング上が完全に真緒のペースになったのを見て、多くの観客が、
「結衣が不利」
という前評判通りの結末を思い描いている中、えりかは全く違うことを考えていた。
なかなかやるじゃない・・・・でも・・・・そのコはそんな簡単に倒せる相手じゃない・・・・
真緒のバンダナチョークに苦しんでいた結衣は、パニック状態から少しずつ冷静さを取り戻していた。
両手でバンダナを掴んでいた結衣は、右手をバンダナから離すと
、そのバンダナを引っ張っている真緒の手首を掴み、爪を立てていく。
「あっ・・・痛えなこのヤロウ!!」
真緒はそう声をあげながらも、何とかバンダナを放すまいと頑張るが、その間に立ち上がりかけていた結衣が、
咄嗟の判断で自分から再びマットに尻餅をつく。
“!!!”
これが変型の「チン・クラッシャー」となり、真緒は顎を結衣の頭にしたたか打ちつけてしまう。
予期してなかった反撃を受けた真緒はマットに跪き、顎を押さえて苦悶の表情を浮かべている。
一方バンダナチョークから逃れた結衣は、奪い取ったバンダナでしきりに視界を塞がれた目を拭っていた。
・・・ッキショー、あのヤロウ・・・
真緒はチン・クラッシャーでダメージを負った顎を押さえながら、結衣の様子を伺っていた。
どうやら結衣はまだ視界が利いていない様子である。
「ここで流れを止めてはいけない」と直感した真緒は、またもやポケットから何かを取り出した。
あれは!・・・・
真緒が取り出したのは、えりかが得意としていた「メリケンサック」だった。
真緒は右手にサックをはめると、まだ目が開けられない結衣に近づき、髪を掴んで結衣の額を殴りつけていく。
“ガシッ!ガシッ!ガシッ!”
真緒のメリケンサック攻撃で結衣の額が割れ、結衣に傾きかけた“流れ”が再び真緒の方に向かおうとしている。
しかしこの時ようやく結衣の目が見え始め、ぼやけながらも真緒のシルエットを確認する。
そして油断した真緒が、サックをはめた右手を大きく振りかぶった瞬間、結衣が踏み込んでシルエットを目掛けて右手を突き出した。
“バキイィィーーーッ!!!”
結衣の強烈な「掌底アッパー」が真緒の顎にカウンターでクリーンヒットし、
まるで人身事故のように小柄な真緒の身体がきりもみ状にくるくる周りながら吹っ飛ばされる。
そのあまりに衝撃的な光景に会場中が大きなどよめきに包まれる。
ようやく真緒の攻撃を逃れた結衣は、額に手をやり出血の度合いを確認している。
確かに出血はしているものの、幸いにも傷はまだ浅い様子である。
一方掌底を喰らった真緒は口から血を流していて、その威力に驚いたものの、
「まだ一発喰らっただけ」と跪いたまま冷静に結衣の様子を観察している。
真緒はじっくりインターバルをとった後、結衣が近づいてくるのを確認して立ち上がろうとするが、
ここで自分の身体に異変が起こっている事に気付く。
“えっ・・・・”
自分では普通に立ったつもりなのに、足がふらついてその場に立ち止まっている事ができない。
「たった一発の掌底」が「足に来た」のである。
結衣がゆっくり近づいて来ているにも関わらず、真緒は何度も腰が砕けてその場から動く事が出来ない。
そして結衣がだんだん近づいて来るに連れ、それまで強気だった真緒の表情に、次第に動揺の色が浮かんでくる。
“たった一発の掌底”で流れを変えてしまった結衣に観客達が驚く中、えりかだけは冷静に戦況を見つめていた。
驚いた?真緒・・・・でも、それがそのコの“本当の力”なんだよ・・・・
えりかが井上真緒の元を訪ねた時、スタジオで偶然出会ったのが、荒垣結衣だった。
その時えりかは、「結衣とぶつかった瞬間」、そして「結衣に手をとられた瞬間」に、結衣から“ある特殊な感覚”を感じ取っていた。
小柄な自分とぶつかって簡単に倒れてしまうほど疲れているにも関わらず、その体からは何か強力な“気”が伝わってきた。
そして結衣がえりかを起こそうとその腕をつかんだ瞬間、えりかは結衣の体から伝わってくる“気”の正体に気付いた。
それはえりかがA―1王座を返上するきっかけとなった最後の防衛戦で戦った相手、“永沢まさみ”から感じたものと同じモノであった。
単純な腕力の強さだけではない、全身にみなぎる“強者のオーラ”である。
結衣の疲労はハードスケジュールのせいだけではない。
この試合に備えて、とてつもないトレーニングを積んでいたに違いない。
もし真緒が
“荒垣結衣はハードスケジュールでコンディション最悪”
という巷の噂を鵜呑みにして、
“結衣に勝てる”
と思っているなら、それは大きな勘違いである。
“ワタシはもうすぐA―1のチャンピオンになるわ・・・”
もし“あのコ”が相手だとしたら・・・・チャンピオンになるのは難しいよ・・・・
えりかはこの時既に、真緒が厳しい戦いを強いられる事を予感していた。
リング上では足を止められた真緒が、まるで駄々をこねる子供のように、両腕を振り回して結衣を近付かせないようにしていた。
しかしそんな些細な抵抗が通用するはずもなく、結衣は真緒の髪をつかむと、自分の方に引き寄せて真緒のボディに膝を突き立てる。
“ドスゥーッ!!”
ごふうっ!!
結衣の強烈なニーリフトが炸裂し、小柄な真緒の身体が一瞬浮き上がり、真緒はそのままマットに崩れ落ちてしまう。
うっ・・・ううっ・・・
キャンバスにうずくまっている真緒は苦悶の表情を浮かべていて、声を出す事も出来ない状態である。
結衣は「今がチャンス」とばかりに、真緒の両足を掴まえるとシャープ・シューター(サソリ固め)の体勢に入る。
そして結衣がステップオーバーした瞬間に観客から歓声が沸き起こり、会場は「結衣の王座奪取」というムードに包まれ始める。
“ああああぁぁ・・・”
シャープ・シューターに極められた真緒の表情は、“苦痛”と“悲壮感”に満ち溢れていた。
その前に喰らった“掌底”と“ニーリフト”によるダメージがあまりにも大きく、今の真緒ならどんな技でも“致命傷”になってしまうだろう。
普通のプロレスであれば、こういう時「真緒コール」が起こって、反撃の活力になったりするのだが、
今の真緒は完全に“悪役”の位置付けなので、場内に聞こえるほとんどの声は「結衣に対する声援」である。
会場の熱気が最高潮となる中、冷静に戦況を見守っているえりかの目にも、「真緒は敗色濃厚」と映っていたが・・・・
真緒・・・ワタシに向かって「チャンピオンになる」って大見得切っといて、
このまま負けたら“お笑い草”だよ・・・・少しは“意地”見せてみな・・・・
「ノッ、ノォー・・・」
真緒は声を絞り出す様にして「ギブアップ」を拒否し続けていた。
しかし技に耐えているうちに冷静さを取り戻した真緒は、今の場所がロープからさほど離れていない事に気付く。
“このままじゃ終われない・・・・”
真緒は気力を振り絞って、両腕の力でロープに向かっていく。
一方技を決めていた結衣は、額から流れる血が気になってふんばる事が出来ず、根負けした形でロープに引きずられていく。
真緒は必死の形相でロープににじりより、どうにかサードロープに手をかけた。
“ブレイク!!”
レフリーが「ロープブレイク」を宣告すると、まばらではあるが会場から拍手が起こる。
真緒の必死な姿が観客の心を動かしたのだが、依然として戦況の不利は変わってない。
一方、ブレイクを命じられた結衣は一旦真緒から離れ、額からの流血を気にしながらも次の攻撃を考えていた。
そして一息ついた結衣が、ロープ際で倒れたままの真緒に歩み寄り、強引に引き起こそうとしたその時、
“バチバチッ!!”
電流が流れるような音がリング上に響き渡り、結衣が真緒から離れるようにして後退りする。
すると今度は真緒から結衣に近付き、結衣のボディのあたりに弱々しいパンチを放つ。
“バチバチッ!!”
真緒のほとんど“触った程度”のボディブローが当たった瞬間、再び電流のような音が鳴り、結衣がマットに崩れ落ちてしまう。
そして真緒の方も、それに続くようにしてマットにへたりこんでしまう。
この時、えりかは真緒が右手に何かを持っていて、それをコスチュームの中にしまい込んでいるのに気付いた。
アイツ・・・・まさか・・・・
真緒が使ったのは携帯電話そっくりの形をした、小型の「スタンガン」だった。
おそらくデニムパンツのポケットに忍ばせていたのだろう。
予想外の展開に会場がざわめく中、リング上ではへたりこんでいた真緒が、今度はリングシューズの中から何かを取り出している。
取り出したのは手に少し余る程度の黒い棒状のモノだったが、真緒が引っ張るとそれは60センチ程度の長さにまで伸びていく。
真緒が「スタンガン」に続いて用意したのは、スライド式の「特殊警棒」だった。
真緒は特殊警棒を手に、ヨロヨロしながら結衣に近付いていく。
一方結衣は俯せのダウン状態から起き上がろうとする素振りは見せるものの、スタンガン2発のダメージが大きくなかなか動く事ができない。
真緒は特殊警棒を両手で握りしめ、大きく頭上に振りかぶると、必死に立ち上がろうとしている結衣の背中めがけて振り下ろしていく。
“バッシイィーーン!!”
背中に強烈な特殊警棒の一撃を受けた結衣は、激痛に表情を歪め、立ち上がりかけた状態から再びマットに崩れ落ちてしまう。
ここでレフリーがさすがにマズイと、真緒から警棒を奪おうとするが、真緒はなかなか警棒を放そうとしない。
そしてレフリーが力ずくで警棒を奪おうとした瞬間、真緒はさっきしまったスタンガンを再び取り出した。
“バチバチッ!!”
スタンガンを受けたレフリーがダウンしてしまい、リング上はレフリー不在の無法地帯と化してしまう。
普通のプロレスであれば、ここで「反則裁定」になってもおかしくないのだが、「女優プロレス」の場合にはそれは当てはまらない。
というのも、「女優プロレス」には
女優達の“女優魂”を試す場
という「側面」がある為、余程の事がない限り、「反則勝ち」という“たなぼた”裁定にはならないのである。
えりかと会った時、タイトル奪取に自信満々の態度を見せていた真緒。
しかしそれは単なる“自信過剰”ではなかった。
小柄なハンデをカバーする為に、パウダー、メリケンサックだけでなく、スタンガンや特殊警棒まで用意していたとは。
真緒の暴挙に会場が大ブーイングに包まれる中、えりかはむしろ、あまりに「用意周到」な真緒の「したたかさ」に感心していた。
ちょっとあのコを甘く見すぎてたわ・・・・“結衣が勝つ”と思ってたけど、これじゃあ・・・・
リング上、真緒はチャンスとばかりに特殊警棒で四つん這い状態の結衣の背中を打ち付けていく。
“バッシイィーーン!・・・・バッシイィーーン!・・・・バッシイィーーン!・・・・”
真緒もダメージを抱えているせいか、数回警棒を振り下ろしただけでマットに跪いている。
しかしそれでも結衣に与えたダメージは大きく、結衣は俯せに倒れたまま動こうとしない。
真緒はふらふらと立ち上がると、結衣の背中に跨がり、髪をつかんで結衣の顔を上げさせ、
切れていた額に警棒の取っ手の部分を擦り付けていく。
ああああぁぁぁ・・・・
あまりの激痛に結衣はたまらず呻き声をあげている。
額の出血はさほどひどくなかったのだが、この攻撃でだんだん出血の量が増えてきている。
一方、結衣に跨がっている真緒は形勢を逆転した事で、その表情にも再び力がみなぎり始めている。
会場は結衣への声援に包まれるものの、リング上の結衣はダメージと流血で意識が薄らぎ始めていた。
数日前、都内某所のスポーツジム。
結衣は「A―1王座決定戦」に備え、トレーニングの為にこのジムを訪れていた。
「じゃあ結衣ちゃん!今日が最後だから、がんばろうね!」
結衣にそう声をかけたのは、スパーリングパートナーを務める女優の永沢まさみだった。
ドラマ「龍桜」で共演して以来親交のある二人だが、お互い多忙の為、しばらく連絡を取り合っていなかった。
しかし今回、結衣が「A―1王座」に挑戦するという話を聞き付けたまさみが、自らスパーリングパートナーを買って出たのだ。
二人は少ないオフの中でどうにか時間を合わせ、スパーの回数を重ねていった。
「女優プロレス」経験者であるまさみとのスパーは、想像以上にハードなモノであったが、それは着実に結衣の力に結び付いていた。
えりかが結衣から「まさみと同じオーラ」を感じたのも、こういった背景があったからだろう。
着替えを済ませた結衣は、ジムの特設リングの上でまさみを待っていた。
「まさみちゃん、先にリングに上がってて、って言ってたけど・・・」
結衣がリングに上がって数分後、ようやくまさみが姿を現した。
まさみはなぜか、小脇に二本の竹刀を抱えていて、リングに上がると、そのうちの一本を結衣に手渡した。
「?・・・・」
結衣は渡された竹刀を、何が何だか分からずにしげしげと眺めていた。
そして結衣が顔を上げた瞬間、まさみがいきなり竹刀を振り上げて結衣に殴りかかった。
“バッシイィーーン!!”
まさみが振り下ろした竹刀が結衣の肩口辺りに命中し、あまりの衝撃で結衣はその場に跪いてしまう。
えっ・・・・どういうこと・・・・?
いきなり竹刀で殴られた結衣は、全く状況を把握する事が出来ていなかった。
結衣が恐る恐る顔を上げると、そこには今までに見た事がないような「鬼の形相」を浮かべたまさみの姿が。
「結衣ちゃん・・・これが最後のトレーニングよ・・・アナタも“それ(竹刀)”を使いなさい・・・」
結衣は、「冗談でしょ?」と言おうとしたが、まさみの表情を見ていたらその言葉を発する事が出来なかった。
目の前のまさみが完全に“本気”だという事が、その表情から十分に伝わってきたからである。
結衣は立ち上がって一応竹刀を構えるものの、いきなり「竹刀を使え」といわれて使えるモノではない。
結衣が竹刀を持ったまま立ち尽くしていると、まさみが再び竹刀を振り上げて結衣に襲いかかる。
“バッシイィーーン!”
結衣はまさみの素早い動きに反応できず、強烈な一撃を受け再びマットに崩れ落ちてしまう。
するとさっきまでとは違い、まさみは倒れている結衣に向かって、狂ったように何度も竹刀を振り下ろしていく。
バシイィーッ!バシイィーッ!バシイィーッ!バシイィーッ!・・・・
「まさみちゃん、もうやめて!」
結衣はマットにうずくまったまま必死にまさみに向かって声をかけるが、激しい竹刀の音がその声をかき消してしまう。
しかし仮に結衣の声が聞こえたとしても、まさみは攻撃をやめないだろう。
まさみのパワーは凄まじく、結衣を叩いていた竹刀はあっという間に折れてしまい、まさみはそれをリング下に放り投げた。
まさみの竹刀攻撃が収まったにも関わらず、結衣はマットにうずくまったまま動く事が出来ない。
「結衣ちゃん、立ちなさい・・・・」
言い方は静かであるが、まさみの言葉には有無をも言わせない圧力があった。
結衣はまさみの言葉に促されてようやく立ち上がったものの、その表情は完全に怯えていた。
「さあ結衣ちゃん・・・ワタシにはもう武器は無いわ・・・今度はアナタの番よ・・・」
まさみは両手を広げ、丸腰である事をアピールしながら結衣に語りかける。
しかし結衣にはまさみの真意が理解できない。
「ねえまさみちゃん!こんな馬鹿な事もうやめ・・・」
パアァーーン!!
結衣が言葉を言い終えないうちに、まさみの強烈なビンタが炸裂し、結衣はマットに崩れ落ちてしまう。
「そんな甘ったれた事で勝てると思ってるの?!そんなんじゃ絶対A−1では勝てないわ!!」
まさみはそう叫びながら、自分がA−1に挑戦した時の事を思い出していた。
前王者佐和尻えりかとA−1史上に残る死闘を繰り広げたまさみ。
結局タイトルは取れなかったものの、関係者達はまさみの素晴らしいファイトをを称え、誰一人としてまさみを責める者はいなかった。
しかしまさみにしてみれば、それは何の慰めにもならなかった。
内容はどうであれ、自分はえりかに負けた。
「新しいA−1王者になってほしい」と言われたのになれなかった。
周りの人間の期待を裏切ってしまった。
それが事実なのだ。
正気とは思えないこの行動も、結衣に勝って欲しいからこその行動だった。
「A−1獲りたいんでしょ!!だったら今すぐワタシをその竹刀で殴って!!」
そう叫ぶまさみの目には涙が浮かんでいた。
言っている事は無茶苦茶だが、まさみは本気で自分にタイトルを獲らせようと思っている。
まさみの気持ちを理解した結衣は、手にした竹刀を振り上げた。
バシイィーッ!
結衣の竹刀を受けたまさみは、平然とした態度で結衣に強烈なビンタを見舞っていく。
パアァーーン!!
まさみの強烈なビンタに、結衣はたまらず尻餅をついてしまう。
「もっと強く!!」
まさみに檄を飛ばされた結衣は、再び立ち上がってまさみを竹刀で殴りつける。
バシイィーッ!
「もっと!!」
バッシイィーーン!
「まだまだ!!」
バッシイィーーン!!
「もっと強く!!」
バッシイィーーン!!バッシイィーーン!バッシイィーーン!・・・・
打ち込んでいく毎に、結衣の竹刀はどんどん勢いを増していく。
目の前にいるまさみの気迫が、ためらう結衣をそうさせたのだ。
竹刀を何発も受け続けたまさみは、ガックリとマットに両膝をついて動こうとしなかった。
一方結衣も、打ち疲れて肩で息をしながら立ち尽くしている。
まさみはこの時、自分が対戦した佐和尻えりかの事を思い出していた。
会場中がまさみを応援していたのに。
あれだけブーイングを浴びていたのに。
あれだけダメージを負っていたのに。
あんなに小柄な身体なのに。
それでも“勝つ”事だけを考えていたえりか。
もし自分がえりかだったら、あそこまで頑張る事はできないだろう・・・・
「まさみちゃん・・・もうやめよう・・・ねっ・・・」
結衣は目に涙を浮かべながら、両膝をついたままのまさみに声をかける。
「やめてもいいよ・・・結衣ちゃん・・・でも・・・今やめたら、“絶交”だからね・・・」
まさみのその言葉を聞いた結衣は、大声で泣き叫びながら再びまさみの背中を竹刀で殴り始めた。
バシイィーッ!バシイィーッ!バシイィーッ!バシイィーッ!・・・・
もう何発まさみを殴っただろう。
結衣は疲労困憊で両手を膝に置き、顔を上げる事ができずに肩で息をしている。
その傍には、両手両膝をマットについたまま動く事のできないまさみの姿が。
「結衣ちゃん・・・タイトル・・・獲ってね・・・」
まさみはそれだけ言い残して、マットに崩れ落ちた。
スパーリングの後、結衣はまさみの事務所に連絡をとり、まさみはかかりつけの大学病院に搬送された。
結衣はまさみに付き添うつもりだったが、まさみの事務所の社長は多忙な結衣を気遣い、丁重にその申し出を断った。
その夜、都内のファミレスで結衣は遅い夕食を摂っていた。
いつもならスパーリングの後はまさみと二人で食事するのだが、この日は結衣一人である。
結衣がいるそのファミレスは、関係者達の間では「意外な穴場」として知られていて、
多くのタレントや業界人が「打ち合わせ」や「密会」に利用している。
食事を終えた結衣がコーヒーを飲んでいると、結衣の背後のテーブルに三人の男がやって来た。
三人は全く結衣に気付いていない様子で、注文を済ませると小さな声で何やら会話をし始めた。
周りに聞こえないように、と気遣っているつもりだったのだろうが、すぐ傍にいる結衣には「丸聞こえ」だった。
会話の内容から察するに、三人の男達はどうも、テレビ関係者のようである。
「あっ、そういえばさあ、“昨日の収録”でまさみちゃん、倒れたんだって?」
「そうなんだよ!最後のシーン撮り終えてさ、花束を渡された直後!・・・
まあ“軽い貧血”だったみたいだけど、焦ったよ!あの「永沢まさみ」だからねえ・・・」
「へえーっ・・・あっ、でも夜に打ち上げやったっんでしょ?まさみちゃんいないんじゃ、盛り上がらなかったんじゃないの?」
「いや、それが来たんだよ!・・・まさみちゃん!ビックリしたよ・・・
さすがにすぐに帰っちゃったけど、「大丈夫なの?」って聞いたら、
『大丈夫です!明日からしばらく“オフ”ですから!』 だってさ。みんなにお酒注いでまわってたよ・・・」
「ふーん、そりゃあのコ、評判いいはずだよ・・・」
結衣は帰ってから一晩中、大声で泣き明かした。
“昨日の収録”でまさみちゃん、倒れたんだって?
ハードスケジュールの合間を縫ってトレーニングに打ち込んで来た結衣。
しかしそれはスパーリングパートナーを務めてくれたまさみも同じ事だ。
「結衣とのスパーリング」が、まさみが倒れた原因の一つになっている事は間違いないだろう。
大丈夫です!明日からしばらく“オフ”ですから!
そのオフの初日に、まさみは自分とスパーリングしてくれたのだ。
現場で倒れながらも、夜の打ち上げに顔を出していたというまさみ。
そんなまさみをその翌日、自分は竹刀でメッタ打ちにして、病院送りにしたのだ。
まさみちゃん・・・・絶対、絶対、タイトル獲るからね・・・・
ガシッ・・・ガシッ・・・
結衣の背中に跨がった真緒は、警棒の柄の部分を結衣の割れた額に叩き付けていた。
段々結衣の流血がひどくなり、会場からのブーイングがさらに大きくなったその時、
ギャアアアアーーーッ!!
突如真緒が叫び声をあげ、それまでブーイング一色だった会場が大きなどよめきに包まれる。
「この野郎!離せよ!」
真緒は大声で喚きながら、結衣の頭を押さえつけている。
何と結衣が真緒の右腕に噛み付いたのだ。
噛み付かれた真緒は、あまりの激痛に耐えきれず、右手に持っていた警棒をマットに落としてしまう。
ここでようやく結衣が「噛み付き」を止めると、真緒は結衣から離れてマットにうずくまってしまう。
いってぇー・・・何すんだ、バカヤロウ・・・
マットに跪いた真緒は、噛まれた右腕を押さえ苦悶の表情を浮かべている。
一方、まさかの「噛み付き」攻撃で真緒の攻撃から逃れた結衣は、傍に落ちていた「特殊警棒」を拾い上げると、
ふらふらした足取りで真緒のところに向かって歩き出す。
!!!
背後に気配を感じた真緒が振り返った瞬間、結衣が特殊警棒で真緒の肩口辺りを殴り付けた。
バッシイィーーン!!
強烈な一撃を受け、マットに踞る真緒。
結衣はそんな真緒の背中に続けざまに警棒を打ち付けていく。
バシイィーッ!バシイィーッ!・・・バッシイィーーン!!・・・
足元をふらつかせながらも、真緒を警棒で殴り付ける結衣の姿に、会場中がどよめいている。
そしてここまで冷静に戦況を見守っていたえりかでさえ、ベビーフェイス結衣の変貌ぶりに驚きを隠せなかった。
マジかよ・・・・一体どうなってんだ?・・・・
うううぅ・・・・
特殊警棒で計4発殴られた真緒はマットにうずくまって呻き声をあげていた。
結衣は一旦真緒から離れると、特殊警棒をリング下に放り投げてしまう。
そんな甘ったれた事で勝てると思ってるの?!そんなんじゃ絶対A−1では勝てないわ!!
結衣はまさみに言われた言葉を思い出していた。
真緒は勝つ為に「スタンガン」まで用意してくるような相手である。
ここでせっかく奪った「特殊警棒」を捨てるのは危険かも知れない。
でもね、まさみちゃん・・・ワタシ決めたの・・・
結衣の目の前では、もはやグロッキー状態と思われていた真緒がゆっくりと立ち上がろうとしていた。
ファイトスタイルのみならず、その勝利に対するあくなき「執着心」までもが、前王者えりかを彷彿させるモノであった。
ワタシは・・・・“まさみちゃんに教えてもらった技”でこの試合に勝つ!・・・・
結衣は自分にそう言い聞かせると、ダメージで足取りが重いものの、真緒に向かってゆっくりと歩み寄っていった。
結衣はふらふらと立ち上がった真緒を捕まえると、そのボディに膝を突き立てる。
ズン!・・・・
しかしそのニーリフトには一発目のような力は無く、真緒は顔を歪めて後退るものの、倒れずに踏み留まっている。
すると今度は真緒が結衣に近づき、髪を掴んで結衣の割れた額にメリケンサックパンチを叩き込む。
パシッ!
そして真緒のパンチにも最初のような力強さはなく、結衣は痛そうな様子で同じように後退りながらも、倒れずに踏み留まっていた。
真緒もここで畳み掛けたいところなのだが、ニーリフトが効いているのか、腹を押さえてその場から動く事が出来ない。
一方結衣も、殴られた額を押さえて俯いたまま、動こうとしなかった。
リング上、互いに距離を置いたまま、なかなか動かない両者の姿に、場内はたちまち緊迫した空気に包まれる。
お互い同じ様に俯いて顔をあげようとしないのは、ダメージが大きいせいもあるが、
「それが最後」になりかねない「次の攻撃」に備え、神経を集中させているからである。
会場中の視線が二人の姿に集まる中、まるでテレパシーでも通じているかのように、全く同じタイミングで二人が動き出した。
これしかない・・・・
真緒は、右手を背後に隠すような格好で結衣に近づいていく。
その右手には、この試合で真緒の危機を救ったスタンガンが握られている。
案の定、眼の前の結衣はスタンガンには全く気付いていない。
というよりも、結衣は自分の技をきめる事で頭が一杯になっている。
両者の間合いが詰まり、真緒は「スタンガン」を、結衣は「掌底」を、ほぼ同じタイミングで振り抜いた。
“!!!”
結衣の右の掌底が真緒の顎に、そしてスタンガンを持った真緒の右手が無防備となった結衣のボディに襲い掛かる。
しかし結衣に気付かれないようにと真緒が右手を背後に回していた分、スタンガンの軌道は遠回りになり、
逆にダメージのおかげで大きなモーションがとれない結衣の右手はコンパクトに振り抜かれ、
スタンガンが体に触れる直前に真緒の顎を捉えた。
パシッ!
結衣の放った掌底は、見るからに弱々しく、最初に放った“強烈な一撃”とは全く別の代物だった。
しかし当たった瞬間に真緒の動きがとまり、結衣のボディに後数センチまで迫っていたスタンガンが、真緒の右手からこぼれ落ちていく。
そしてスタンガンがキャンバスに音を立てて落ちた瞬間、真緒が両膝からマットに崩れ落ちた。
・・・・・ダウン!!
ここで真緒のスタンガンを受けて倒れていたレフリーが復活し、うつ伏せに倒れた真緒にダウンを宣告する。
しかし立ち上がったとはいえ、さすがにスタンガンのダメージがまだ残っているらしく、レフリーはフラフラになりながらKOカウントを始めた。
ワン!・・・・ツー!・・・・
カウントが始まった途端、真緒の身体が反応し、両手をキャンバスについて上体を起こしていく。
どうやら意識ははっきりしているらしい。
スリー!・・・・
真緒はカウントを待たずに立ち上がろうとしていた。
決してダメージが軽い訳ではないだろうが、その姿は「まだやれる」という意思表示に違いない。
フォー!・・・・
しかし真緒は一旦立ち上がりかけたものの、そのままよたよたとロープ際に向かって歩き出し、ロープに寄りかかるようにして崩れ落ちてしまう。
結衣の掌底が顎にヒットした事で、平衡感覚が保てなくなっているのだ。
ファーイブ!・・・・
「ちっきしょう・・・」
真緒はセカンドロープを掴むと、それを手繰るようにして自分の身体を起こしていく。
そしてトップローブにしがみつき、どうにか立ちあがったような体勢をとるが、レフリーは構わずカウントを進めていく。
シックス!!・・・・
「オイ、カウントやめろよぉ!!」
トップローブに掴まったまま、真緒が声をあげてレフリーに抗議すると、その力強い声を聞いて、結衣は「来るなら来い」とばかりに身構える。
しかし傍目にも、その両足に力が入っていない事がわかり、真緒がロープに掴まってないと立っていられない事を、レフリーはわかっていた。
セブン!!・・・・
「やめろって言ってんだろ!!」
カウントを進めるレフリーに怒った真緒は、意を決してロープから離れ、レフリーに向かっていこうとする。
しかし踏み出した瞬間に足がもつれ、前のめりに転びそうになった真緒は、咄嗟に傍にいたレフリーにしがみついていく。
エイト!!・・・・
真緒はレフリーのシャツを引っ張りながら何とか体勢を整えようとしていた。
しかし上半身からは必死さが伝わってくるものの、下半身には全くその力は感じられない。
そんな真緒の懸命な姿を、客席のえりかも静かに見守っている。
真緒・・・気持ちは分かるけど、もう・・・
ナイン!・・・・
「まだやれるよぉ!!!」
真緒は目に涙を浮かべながら、必死に「試合続行」のアピールをしている。
しかしレフリーは懇願する真緒から視線を逸らすように、静かに首を左右に振った。
・・・・テン!!・・・・
レフリーがテンカウントを告げた瞬間、シャツを掴んでいた真緒の手が離れ、真緒がゆっくりとマットに崩れ落ちていく。
結衣は立ち尽くしたままじっとその光景を見つめていた。
カンカンカンカン!!!
試合終了のゴングが鳴らされると、会場は期せずして大歓声に包まれる。
それはまさしく、A−1新王者、「荒垣結衣」の誕生の瞬間であった。
リング上、レフリーが結衣の手を揚げると、場内に一際大きな歓声が沸き起こるが、
当の結衣はまだ勝利を実感出来ないらしく、戸惑いの表情を浮かべている。
そんな結衣の視線の先には、マットに倒れたままの真緒の姿が。
・・・・・
真緒は俯せのまま、全く顔を上げようとせず、肩を震わせて嗚咽の声を漏らしている。
恐らく誰にも泣いている顔を見られたくないのだろう。
こんなに小さいのに・・・・
改めてみると目の前の真緒はとても小柄で、試合であれだけ自分を苦しめた人物とは思えなかった。
こんな状態でありながら、真緒はついさっきまで試合を続けようとしていたのである。
もし、まさみちゃんと「あの練習」してなかったら・・・・
結衣は「まさみと最後に行ったスパーリング」を思い出していた。
まさみは結衣を竹刀でさんざん殴り付けた後、結衣にもまさみが倒れるまで竹刀で殴らせた。
正直その時は訳が分からなかったが、結衣はようやくあのスパーリングの意味が分かった気がした。
「あの練習」してなかったら・・・・多分この試合、負けてた・・・・
結衣がそんな事を考えていると、リング上に二人の男が現れ、倒れたままの真緒を抱き起こしていた。
どうやら二人は真緒の所属事務所の人間のようである。
男達に抱えられながらリングを後にする真緒。
結衣はその真緒の背中を、じっと見つめている。
まさみちゃん・・・・タイトル獲ったよ・・・・
結衣はそんな真緒の姿を見てようやく、自分の勝利を実感した。
リング上では「タイトル授与のセレモニー」が始まろうとしていた。
会場中の視線がリングに集まる中、えりかの視線は花道を引き揚げる真緒の姿を追っていた。
もはや自分で歩く事が出来ず、二人の男に支えられたまま、引きずられるようにして花道を帰る真緒。
周りにいた観客から温かい拍手や声援が贈られるが、真緒は俯いたまま、顔を上げようとはしなかった。
真緒・・・・アンタはきっと強くなれる・・・・プロレスでも・・・・女優としても・・・・
えりかが再びリングに目を向けると、結衣は頭に包帯を巻かれ、その腰に「A−1王座」のベルトを巻かれているところだった。
いいモン見せてもらったよ、新チャンピオン・・・・凄いよ、アンタ・・・・
結衣の腰にベルトが巻かれると、リングに上がった「女優プロレス」の主催者が、
結衣をA−1の新王者に認定する、といった内容の認定書を読み上げ始める。
会場がA−1新王者、荒垣結衣の誕生を祝福するムードに包まれる中、えりかは一人、会場を後にした。