二人の秘密 〜第1話〜
「ありがとうございました〜!!」
上木隆之介は集まった記者達に爽やかな笑顔でそう挨拶し、会見場を後にした。
上木隆之介。
子役時代からその類い稀な演技力で注目を集め、海外の映画祭で最年少で主演男優賞を獲得した八木良優弥とともに、現在最も将来を嘱望されている若手俳優である。
まだ16歳という年齢だけあって、その声や表情にはあどけなさがあるものの、子役時代からのキャリアを積んでいるだけあって、舞台挨拶や記者会見で見せる堂々とした立ち振舞いは、16歳ならではの爽やかさに加え、実年齢以上の風格を感じさせるものがあった。
この日隆之介が会見に登場したのは、役者以外の彼のもう一つの顔である、アニメの声優の仕事であった。
まもなく公開される海外の人気アニメ映画の続編で、前作でも吹替えを努めた隆之介は、今回も声優として出演している。
通常こういった会見では、作品に関する質問以外は一切受け付けない、という通達が事前になされるものの、記者達は少しでもゴシップのネタを掴もうと、スキあらばプライベートな質問を挟もうと躍起になるものだ。
しかしさすがにまだ16歳の隆之介に対してその手の質問をする事は憚られるらしく、記者達はいつも会見後の隆之介の笑顔を見る度に、仕事とはいえ普段からタレントのスキャンダル探しに躍起になっている自分達に嫌悪感を感じるのであった。
「あ〜、緊張したっ!!」
会見の後、隆之介と一緒にインタビューを受けていたタレントのMIMALUは、傍らにいる隆之介に語りかけるように思わず本音を洩らしていた。
そのアニメ作品で声優デビューを果たしたMIMALUは、父が大物芸人、母が大物女優という2世タレントで、モデルとしてデビューした当初からマスコミの注目を集め、俳優、ミュージシャン、そして声優と今やあらゆる分野に活動の場を拡げている。
「でもミマルさんすごいですよ。ボク初めて吹替えやった時、あんなに落ち着いて出来なかったですよ。」
今回、この映画吹替えのスタジオ収録にこれだけマスコミの関心が集まっているのは、映画の話題性や隆之介の存在もあるが、何よりこのMIMALUの存在が大きかった。
そして会見時の質問の内容がゴシップ的なモノに及ばなかったのも、16歳の隆之介の存在プラス、大物芸能人を両親に持つMIMALUに対する配慮がある事は、誰の目にも明らかであった。
いくらタレントが注目を集めてナンボ、という仕事とはいえ、まだ浅いキャリアにも関わらず、常に両親の影がちらつき、実力以上にマスコミの注目を浴び、周囲から腫れ物をさわるような扱いを受けているMIMALUにとって、それは決して心地好い環境とは言えないだろう。
同じタレントでも簡単には理解できない悩みを抱えながら、それでも現場のスタッフを気遣う仕事ぶりを見て、隆之介は年上だか、この世界では後輩にあたるMIMALUの事を素直に感心していた。
そんな隆之介が感じた気持ちは、その何気ない短い気遣いの言葉の中に全て集約され、それはMIMALUにも十分伝わっていた。
「ちょっともう、よしてよ上木君!本当にワタシより年下なの?何か上木さんって呼ばなきゃ失礼な気がするわ。全く…うちのお父さんに上木君のツメのアカ、煎じて呑ませてあげたいよ…」
自ら「日本一のお調子者」と語るMIMALUの父親は、娘可愛さと持ち前のサービス精神からか、度々マスコミにMIMALUのプライベートな話を洩らしていた。
しかしその中には全く事実とは違う話が含まれていて、それがMIMALUの逆鱗に触れる事となり、今や2人は「軽い絶縁状態」となっているらしい。
最近娘と連絡とれへんねん…
「日本一のお調子者」は既にMIMALUの怒りをネタにしてテレビで笑いをとっており、MIMALUはそんな父親にすっかり呆れ返っていた。
MIMALUの父親に悪いと思いつつも、隆之介はMIMALUの言葉に思わずクスッと笑った。
MIMALUとの会見を行った数日後、隆之介は仕事でとあるスタジオを訪れていた。
収録の仕事を終え、隆之介はロビーのソファーに座り、自分の携帯とにらめっこしていた。
この日隆之介の仕事は全て終わっていたのだが、何となく帰りそびれてしまった為に、スタジオにそのまま残って時間をつぶしていたのだが、この隆之介の気まぐれな行動が、思わぬ出逢いを呼ぶ事になる。
「あっ、もうこんな時間だ…」
随分と時間が過ぎた事に気づいた隆之介が、そろそろ帰ろうとソファーから立ち上がった瞬間、通りかかった一人の少女が隆之介の存在に気付き、声をかけた。
「隆くん!?」
聞き覚えのある声に呼び止められ、隆之介の体は一瞬金縛りにあったかのように、身動きがとれなくなってしまう。
体は動かないのに、胸の鼓動がみるみるうちに速まっていく。
そんな自分の体の正直な反応から声の主を確信した隆之介は、俯き加減だった顔を上げて辺りを見回していく。
そして隆之介は視界の先に自分に視線を向けたまま立ち尽くしている一人の少女の姿をとらえた。
璃子さん…
隆之介に声をかけたのは女優の鳴海璃子だった。
隆之介より一つ年上の璃子は、隆之介と同じく子役時代からこの世界に身をおいていて、まだ中学生位の頃から女子大生役や家庭教師役を演じる等、10代の女優の中では演技力はトップクラスと評価されている。
デビューしてしばらくは大勢いる子役のうちの一人でしかなかったのだが、12歳の時にいきなり連ドラの主演に抜擢された事で、璃子は一躍人気女優の仲間入りをする事になる。
当時全く無名の璃子を主役に起用した事でそのドラマ「煌めきの島」は大きな反響を呼び、放映終了後も続編を期待する声が殺到。
そして終了から二年後に続編となる「煌めきの島スペシャル」も放映され、「煌めきの島」は女優鳴海璃子の代表作となった。
「煌めきの島」はとある小さな離島が舞台のドラマで、璃子は不遇な幼少期を過ごした東京から遥々その離島にやってきた主人公の不良少女役を演じている。
不良少女が島の人々の愛情に触れ、人間的に成長していく姿が描かれているのだが、その続編となる「煌めきの島スペシャル」で、主人公同様に東京からその離島にやってきて、やがて主人公の少女に恋心を抱く転校生役を演じたのが隆之介であり、それが2人の初めての出逢いだった。
当時まだ中学生だった2人にとって同世代の人間の存在というのは、いくら周りが大人ばかりの現場に慣れているとはいえ、心強い存在である事は確かで、撮影の合間も2人でいる事が多かった。
それでも、その年頃の一歳差というのは、大人のそれ以上に大きな隔たりがある事は確かで、2人の関係もしっかり者のお姉さんと内気な弟、といった感じで周囲の大人達もそんな2人を微笑ましく見守っていた。
しかしその一方で、まさに思春期に差し掛かっていた隆之介にとって、璃子という聡明な美少女の存在はあまりにも眩しく、同じ役者として尊敬する一方で、役柄同様の淡い恋心を抱いたのもごく自然な流れの事であった。
「久しぶりだね…」
璃子は微笑みながら、隆之介にそう声をかける。
「そうだね…尾形さんのお葬式以来じゃないかな…」
尾形とは一年程前に亡くなった日本映画界の重鎮、俳優の尾形拳の事である。
「煌めきの島」で璃子演じる主人公の養父役を演じており、もちろん隆之介も続編「煌めきの島スペシャル」で共演している。
撮影中、尾形は璃子同様、隆之介の事も自分の孫のように可愛がってくれた。
「煌めきの島スペシャル」以降、隆之介と璃子の共演は実現しておらず、尾形の告別式という悲しい場所で久々の再会を果たすのだが、この時も2人は言葉を交わしてはいなかった。
映画界を代表する超大物の告別式だけあって、関係者だけでなく各界の著名人や熱烈なファンなど、とてつもなく多くの人々が尾形との別れの場に駆け付けていた為、2人はすれ違い様にお互いの存在に気付き、視線を合わせて会釈するので精一杯だった。
「あれ?隆くん声変わったね!?」
「えっ…」
「低くなったっていうか…何か大人っぽくなった…」
「そっ、そうかな?」
尾形の告別式では会話がなかったので、2人が言葉をかわすのは「煌めきの島スペシャル」の現場以来という事になる。
当時13歳だった隆之介も今は16歳。
声だけでなく、あらゆる面で雰囲気が変わっていても、決して不思議な事ではないだろう。
「ほら、この前MIMALUさんと一緒に出てるのをテレビで見たの。その時も『あれっ?隆くんこんな声だったかな…』って思ったんだけど…あっ、そうそう!ほら、隆くんが吹替えしてた…『ウィンター・ウォーズ』!!ワタシ見に行ったんだよ!その時も『隆くんこんな声だったかな〜』って…そうか…隆くん今そんな声してるんだ…」
隆之介との再会を素直に喜び、テンションの上がった璃子は次第に言葉数が増えていく。
隆之介も璃子と会えた事でテンションは上がっていたのだが、璃子とは真逆に口から出る言葉がぎこちないものになっていく。
「うん…こんな声だよ…『ウィンター・ウォーズ』…見てくれてありがとう…」
心がどぎまぎしているのを悟られないようにと、隆之介は必死に平静を装って言葉を絞り出していた。
璃子はそんな隆之介を、共演した時と同じように、弟を見守る優しい姉のような目で見つめている。
「隆くん背も伸びたよねぇ!今身長いくつ?」
「16…8くらい…かな…」
「そっかあ、ワタシが163だから、抜かれちゃったかあ…そりゃそうだよね…」
「うっ、うん…」
「大人になったんだね。隆くん…」
隆之介の成長を改めて確認し、まるで本当の姉のように目を細めて喜ぶ璃子。
するとそれまで璃子とぎこちないながらも会話を続けていた隆之介が、急に璃子から視線を逸らし、そのまま黙りこんでしまう。
「隆くん…?」
隆之介の様子が少しおかしい事に気付き、璃子はちょっと心配そうなトーンで隆之介に声をかけるが、隆之介は黙ったまま、まるで璃子に見つめられる事を拒否するかのように俯いてしまう。
この時、隆之介の頭の中には璃子との『淡い思い出』ではなく、出来ることなら記憶から消し去りたい『思い出したくもない悪夢』が浮かび上がっていた。
そう、忘れもしない『煌めきの島』のロケの時に起こった悪夢。
それまでの楽しい思い出を全てかき消してしまうかのような悲しい出来事。
しかしそれは隆之介だけではない。
今目の前にいる璃子は隆之介以上に辛い思いをしている。
璃子と久しぶりに逢えて凄く嬉しい反面、隆之介はその『悪夢』を思い出すのがとても怖かった。
忘れてしまいたいのに、璃子の顔を見るといやがおうにも思い出してしまう『悪夢』。
それはきっと璃子も同じはずである。
璃子に感付かれてはいけない…
璃子にあの『悪夢』を思い出させてはいけない…
しかしそう思えば思う程、璃子との楽しかった思い出が消えていき、思い出したくない『悪夢』が頭の中を支配していく。
「隆…くん…」
俯いたまま肩を震わせている隆之介に再び璃子がかける。
その瞬間、隆之介の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
そしてこの時、璃子の頭の中に浮かんだのは、隆之介と同じ、あの時の『悪夢』であった。