女優3 第1話 〜序章〜






ここは都内某所。


そこでは多くの芸能事務所の共同出資によって運営されている秘密組織が主催するイベントが行われていた。


この日行われているイベントは、若手女優プロレス最強の座を決めるA(actress)―1王座のタイトルマッチである。


清楚なイメージで人気の現王者荒垣結衣と、若くして実力派と称されている挑戦者上野朱里によるタイトルマッチは白熱の展開を迎えていた。





「ガッキーさん、早くギブアップするのです〜!」


リング上、挑戦者の上野朱里がうつ伏せになった王者荒垣結衣の右腕に両足を絡め、さらに両腕で結衣の顔面を締め上げながらギブアップを要求している。


一般的には「クリップラー・クロスフェイス」と呼ばれている技だが、上野朱里が自身で「朱里ロック」と命名している得意技である。


その朱里ロックに極められた結衣は、苦悶の表情を浮かべながらも、ギブアップを拒否し続けている。





上野朱里は最近、自身の主演ドラマが映画化された事で話題になっている女優である。


そしてこの「女優プロレス」のリングでは、その映画化されたドラマの主人公である「天真爛漫キャラ」に成りきって話しかける事で相手を幻惑し、そのキャラとは裏腹な反則攻撃を織り混ぜたファイトでペースを掴むという独特のファイトスタイルで、他のファイターとは違った異彩を放つ存在として知られている。


朱里は以前にもA―1王座に挑戦していて、結衣の前の王者である佐和尻えりかとタイトルマッチを行っている。


その時朱里は、王者えりかのラフファイトで試合序盤から流血させられながらも、得意の「毒霧攻撃」を足掛かりに反撃を見せ、えりかをリング中央で朱里ロックに極め、「あわや」という場面を演出し、観客を湧かせていた。


結局最後はえりかの凶悪ファイトの前に敗れたものの、圧倒的な強さで防衛を重ねたえりかが珍しく苦戦を強いられた一戦でもあった。




一方王者の荒垣結衣は、前王者佐和尻えりかが王座を返上した後に行われた井上真緒との新王者決定戦を制し、A―1王座に就いていた。


新王者となった結衣はその後戸田江里香、喜多川景子を相手に防衛を重ね、今回が3度目となる防衛戦である。


初防衛戦を闘った戸田江里香は、えりかや真緒と同じタイプのラフファイターでかなりの苦戦を強いられたものの、次の防衛戦で喜多川景子を圧倒し、王者としての貫禄が漂い始めた結衣だったが、今回の防衛戦では、ラフファイトもレスリングもこなす試合巧者、上野朱里に思わぬ苦戦を強いられている。


序盤こそは朱里に主導権を握られたものの、持ち前の身体能力で次第に朱里を圧倒。


そのまま王者結衣が防衛を果たすかと思われた矢先、朱里の「毒霧攻撃」が炸裂し、視界を奪われた結衣は朱里の反撃を許し、必殺技朱里ロックに極められ、思わぬ窮地に立たされている。





「荒垣、ギヴァーップ!?」


結衣はレフェリーの問い掛けに答えず、必死に空いた左手を使ってロープに少しずつにじり寄っていく。


朱里はそうはさせじと必死に結衣を締め上げるが、根負けしたかのように引きずられ、ついにロープブレイクを許してしまう。



「さすがチャンピオン、しぶといですぅ〜!」


朱里はそうつぶやくと、ロープ際に崩れている結衣を無理やり立たせて次の攻撃を狙おうとするが、結衣が逆に朱里にボディーブローを叩き込んでいく。



「ごふっ!?」


このボディーブローで朱里の動きが止まったとみるや、結衣は朱里の胸元辺りにチョップを連打し、朱里を下がらせると、その場で一回転し朱里の首筋辺りにローリング逆水平チョップを叩き込む。



 バシイイィーッ!!



そのチョップの衝撃は観客もどよめく程凄まじく、受けた朱里は全身に痺れが走り、その場で動けなくなってしまう。


結衣はバックステップしてロープにもたれかかると、その反動を利して朱里に向かってダッシュし、朱里のボディにヒザを突き立てる。



 ドゴッ!!!



結衣の得意のニーリフトが炸裂し、朱里の体が宙に浮かび上がる。


マットに崩れ落ちた朱里はもはや動くことができず、結衣はその朱里の足を捕ると、とどめとばかりにシャープ・シューター(サソリ固め)の体勢に入る。


結衣がステップオーバーした瞬間、朱里は苦悶の表情を浮かべ大きく口を開けるが、もはや声をあげる事も出来ない状態。


レフェリーはその様子を見て、ギブアップも尋ねずに試合終了のゴングを要請した。




 カンカンカンカン!!



試合終了を告げるゴングが鳴り響くと、結衣は技を解いてそのままよろめくようにしてロープの方に歩いていく。



「ハァッ・・・ハァッ・・・勝ったわ・・・・」



結衣は両手でトップロープを掴み、肩で息をしながら安堵の表情を浮かべていた。


確かに肉体的なダメージもあるが、結衣はそれ以上に精神的な疲労を感じていた。


朱里の試合巧者ぶりに終始ペースを乱され、試合終了のゴングが鳴らされるまで、朱里が本当にダメージを負っているのかも分からなかった。


それは結衣がこれまでの試合では味わった事のない感覚であり、恐らく朱里以外の相手ではこんな感覚になる事はないだろう。




『そうだ、朱里さんは・・・』



ロープに手をかけていた結衣が後ろを振り返ると、朱里が秘密クラブのスタッフ達に抱えられるようにして立ち上がろうとしていた。


見るからにダメージが大きそうなものの、朱里は結衣の視線に気づくと、スタッフ達から離れ、ふらふらになりながら結衣に歩み寄っていく。




「ハァッ・・・ハァッ・・・ガッキーさん・・・強いですね〜・・・・」


朱里は息を切らしながらそう言うと、結衣に向かって右手を差し出してくる。



『朱里さん・・・』



試合では散々な目に遇わされたものの、朱里の潔い態度に結衣は清々しい気分になっていた。


そして結衣が朱里の差し出した右手を握り返した瞬間、朱里がボソッと呟いた。



「でも・・・」



次の瞬間、朱里はいきなり結衣の顔目掛けて緑色の液体を吹き付けた。



『!!?』



試合中にも受けた朱里のグリーン・ミストをまともにに浴びた結衣は、視界を奪われパニック状態になっている。


さらに朱里は結衣の鳩尾当たりを蹴りあげるとその場で反転し、結衣にスタナーを見舞っていく。



 ズバーーーン!!!



全く無警戒だった結衣はこの朱里の攻撃にダウンさせられてしまい、会場はたちまちどよめきと朱里に対するブーイングに包まれる。



「えりかさんに挑戦した時はワタシ、失神させられました!だからガッキーさん、あなたまだまだです〜!!」



朱里はダウンした結衣に向かってそんな捨て台詞を吐いた後、ダメージでよろけながらもリングを下りていく。


一方リング上では秘密クラブのスタッフ達がダウンした王者結衣の周りを取り囲み、その容態を気遣っている。


スタッフ達に声をかけられた結衣はどうにか半身を起こすと、何かを思い出したかのように、花道に視線を向ける。



その先にはまるであたかも声援に応えるかのように、ブーイングする観客達に両手を振りながら花道を引き返していく朱里の後ろ姿が。


しかし試合のダメージが軽いはずもなく、表面上は強がっていても、朱里の足取りがおぼつかないのは遠目に見てもよく分かった。




 “ガッキーさん、あなたまだまだです〜!!”




今回無事に3度目の防衛を果たした結衣だが、試合後に相手に攻撃されたのは初めてのことである。


思えば初めてタイトルを獲った時、結衣は勝利を告げられてもなかなか実感ができず、リングに倒れたままの真緒から目を離すことが出来なかった。


防衛を重ねるに連れ、知らず知らずのうちにその頃の緊張感が薄れていっているのかも知れない。



『そうだ・・・ワタシ、ひょっとしたら天狗になってるのかも・・・もっともっと頑張らなきゃ・・・』



結衣はふらふらの朱里の後ろ姿を眺めながら、その先輩女優からの「辛口のエール」を噛み締めていた。









荒垣結衣が3度目の防衛を果たした翌日、女優プロレス実行委員会はA―1王座次期挑戦者決定トーナメントの開催を発表した。


結衣と上野朱里のタイトルマッチが決まった後、その次の挑戦者を募集したところ、多くの申し込みが殺到したため委員会はその選考を行っていた。


そして最終的に候補者を4人に絞り、その中から1人を選ぶために、トーナメントの開催に踏み切ったのだ。




「この人達の中から、次の挑戦者が…」


結衣は実行委員会が発行した、トーナメント出場者の資料に目を通していた。




1人目は今年最も注目を集めている女優、仲璃依紗。


北欧の血をひくクォーターであるせいか、色白の肌と独特のルックスが印象的だが、何よりその目力の強さが彼女の魅力であり、それは女優としてだけでなく、レスラーとしても未知数の可能性を感じさせるものがあった。




『璃依紗ちゃん・・・久しぶりだなあ・・・』



結衣は数年前に学園ドラマで璃依紗と共演した事を思い出していた。


その時結衣はヒロイン役だったが、璃依紗は大勢いるクラスメイトの中の1人でしかなく、はっきりいって注目度では比べ物になっていなかった。


しかし月日は流れ、璃依紗は女優としてだけでなく、レスラーとしても結衣と同じ舞台に上がろうとしている。



『最近ホントによく、璃依紗ちゃんの名前聞くからなあ・・・』



今年になってから、結衣はあらゆる場所で璃依紗の名前を耳にするようになっていた。


女優プロレス界では、女優としての注目度の高さがそのまま強さに直結している場合が多く、そういう意味では璃依紗は最も警戒すべき相手かも知れない。





2人目は結衣と同じ沖縄出身の黒樹メイサ。


メイサも璃依紗と同じクォーターであるが、南米の血をひいている為、璃依紗とは対照的なエキゾチックな魅力を持っている。


関係者の間では「今A―1王座に最も近い女優」との声が高く、今回のトーナメントの大本命と目されている。




『黒樹メイサ・・・“A―1”と“a―1”・・・統一王者の可能性を持つ逸材』



この業界には、結衣が保持している「A―1王座」の他に、もう一つの「“エーワン”王座」が存在していた。


それは女性アーティストのプロレス最強の座を決める「a―1(artist―1)王座」というもので、「A―1王座」とは異なる組織が主催している。


1980年代に女優のプロレス最強の座を決めるA−1王座の盛り上がりを見た音楽関係者達が本家「A―1」に対抗して発足させたのが「a―1(artist―1)王座」で、現在はアイドルユニット、OTK38の篠田真里子が王座を保持している。




『統一王者って確か・・・・』



異なる組織によって運営されているA―1王座とa―1王座であるが、過去に一度だけ交流戦が行われていて、当時広末良子を破ってA―1王者になったばかりの芝咲コウが時のa―1王者中島美歌を破り、a―1王座を獲得。


その後すぐ濱崎アユミに敗れ、一度も防衛はできなかったものの、芝咲は史上初、そしてこれまでで唯一の統一王者として名前を残している。


そしてメイサもアーティスト活動を積極的に行っているだけに、芝咲以来の統一王者になれるのでは、と期待する声もあがっているのだろう。




『統一王者かぁ・・・私には考えられないなぁ・・・』



結衣もメイサ同様アーティスト活動を行っているだけに、現A―1王者である以上メイサよりも統一王者に近い位置にいる訳だが、元々野心家ではないだけに、そんな発想が浮かぶ事もなかった。


それだけに、既に統一王者の呼び声があがっているメイサがいかに警戒すべき相手かという事を、この時結衣は感じていた。





『璃依紗ちゃんにメイサさん・・・あと二人・・・どんな人が』


結衣が改めて資料に目を通してみると、そこには結衣にとって因縁の相手の名前があった。





『真緒さん・・・』



3人目は井上真緒。


以前空位になっていたA―1王座の決定戦で結衣と闘った相手である。



真緒を破り王座に就いた結衣はその後3度王座を防衛しているが、どの防衛戦よりも真緒との試合が一番苦しい試合だったと結衣は思っている。




『真緒さんと闘ったから、今まで王座を守れたんだわ…』



結衣がA―1王座に就いて、初めて防衛戦を行った相手は戸田江里香だった。


江里香は自己顕示欲が強く、大人しい性格の結衣は以前から江里香の事が苦手で、何度も仕事の現場で彼女と衝突していた。


とはいえ、江里香が一方的に大人しい結衣に喧嘩を売る形だったので、結衣はその心労で体調を崩した事さえあった。


そんな苦手意識のせいで、初防衛戦の相手が江里香に決まってからは眠れない日が続き、最悪の体調で防衛戦を迎えた結衣は、前王者の佐和尻えりかや真緒と同じタイプの、凶器攻撃を交えた江里香のラフファイトに散々苦しめられた。


それでも最後は得意のニーリフトからシャープシューターで江里香を仕留め、初防衛を果たす事ができたのは、その前の真緒との試合で江里香以上に厳しい攻撃を受けていたからだと結衣は思っている。


その後の喜多川景子との試合も、上野朱里との試合も、真緒との死闘があったから勝つ事が出来たのだ、と結衣は思っている。




『もしかしたらまた、真緒さんと試合する事になるかも・・・』




そして最後、4人目は永倉奈々。


170センチある彼女はモデルとしても活躍していて、以前から女優プロレスへの登場を期待されていた1人である。



しかし奈々の資料を見て結衣が思い浮かべたのは別の人物であった。






「結衣ちゃん、おめでとう…」



結衣が真緒に勝ってA―1王座に就いた時、真っ先に祝福してくれたのが、スパーリングパートナーを務めてくれた永沢まさみだった。


まさみ自身も以前A―1王座に挑戦した事があったが、当時の王者佐和尻えりかに敗れ、王座を手にする事は出来なかった。



まさみにしてみれば、叶わなかった夢を結衣に託した形だっただけに、誰よりも結衣の王座奪取が嬉しかったのだろう。


しかしまさみは結衣を祝福した直後、予想だにしなかった言葉を結衣に告げたのである。




「もうワタシの役目は終わったね…」




結衣はこのまさみの言葉に驚きを隠す事が出来なかった。


確かにお互いに多忙な身である以上、そうそうこれからもスパーリングパートナーを頼めるとは思っていなかった。


しかしこれ程まで明確に、まさみが決別の意思を示すとはさすがに結衣も思ってはいなかった。


ただまさみは充分過ぎる程にその役目を果たしてくれた。


結衣は一抹の寂しさを感じながらも、そのまさみの言葉を受け入れる事にした。





結衣が喜多川景子を相手に2度目のA―1王座防衛を果たした頃、業界にある噂が流れていた。


それは永倉奈々が近々女優プロレスにデビューするという話で、彼女の親友である永沢まさみがそのスパーリングパートナーに名乗りをあげたというのだ。


まさみ自身は事務所の方針でもう女優プロレスには参戦していないが、以前結衣を王者に育てたように、今度は奈々をA―1王者にしようとしているのだろう。


まだプロレスデビューしていない奈々にとって永沢まさみは心強い存在、と関係者達も話していて、結衣自身も奈々という存在が気になり始めていた。



『いよいよ奈々さんもデビューするんだわ…』


その奈々の背後には、かつては自分の味方だった永沢まさみの存在がある。



璃依紗、メイサ、真緒、奈々。


4人の中から誰が挑戦者として出てくるのか。


今それは分からないが、誰が出てきても厳しい闘いになるのだろう、と、この時結衣は感じていた。

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