女優3 第4話 〜意外な訪問者〜






「真緒さんが・・・怪我!?」


1ヶ月後に行われる井上真緒との再戦となる防衛戦に向け、結衣がトレーニングを始めようとした矢先にそのニュースは入ってきた。



トーナメント決勝で真緒はメイサに勝利したものの、あまりにダメージが大きく試合後病院に直行していたのだという。


しかし治療を受けた後、その日は大事をとって病院に1泊したものの、翌日には退院したという話であった。




「それが昨日になってまた病院に運び込まれたらしいんだよ。」


結衣の事務所のスタッフが言うには、詳細は分からないが今回はそのまま入院する事になったらしく、復帰時期も未定だということである。


しかもそれは関係者筋だけの情報で、まだマスコミにもその情報は公開されていなかった。


トーナメントの翌日には病院から退院していた真緒が、その2日後に再び入院する事になろうとは。


いったい真緒の身に、何が起こったのだろうか。




「だから状況次第では、防衛戦が延期になる可能性もあるんだ。今の段階で挑戦権を持ってるのは彼女だからね。」



A−1王座の挑戦権は選考が厳しく、早々簡単に与えられるものではなかった。


特に今回真緒はトーナメントを優勝してその権利を獲得しているだけに、その権利は他の誰よりも最優先される事が約束されている。


真緒の怪我が軽傷ならば良いが、もし重傷だった場合、タイトルマッチの延期という事態は十分に考えられる。




「そうなるとこっちもスケジュール調整しなくちゃいけないからねえ・・・やるならやる、延期なら延期と、早目にハッキリさせてほしいよ・・・」



スタッフの男は少し困惑した表情で、そう結衣に語った。







数日後。


結衣は防衛戦に向けてのトレーニングの為、都内のスポーツジムを訪れていた。



『真緒さん大丈夫なのかなあ・・・』


結衣はトレーニングの最中も真緒の事を気にかけていた。


相変わらず真緒の事務所からも新しい情報はなく、女優プロレスの実行委員会からもタイトルマッチの延期という発表もないが、予定日の開催が正式に決定しているわけでもない。



今の自分に出来るのは、いつ何時でも真緒の挑戦を受けられるように準備しておく事だと、結衣は自分に言い聞かせてトレーニングに打ち込んだ。






「ふう・・・」


トレーニングを終えた結衣は、帰り支度を済ませ更衣室から出てきたところだった。


どこの店で夕食をとろうか、などと考えながら結衣がジムを出ようとした時、受付の前にあるソファに座っていた一人の少女が結衣を見て立ち上がった。



「あの・・・」


少女の声に反応した結衣が振り返ると、少女は結衣に向かってペコリと頭を下げてくる。


結衣がそれに釣られるようにして軽く会釈をすると、少女は結衣のほうに向かって歩いてくる。


結衣は少女の顔に何となく見覚えがあったものの、誰なのかという事までは分からない。




「荒垣結衣さん・・・ですよね?」



少女にそう言われて結衣が頷くと、少女は自分の名を名乗った。



「私・・・OTK38の大島裕子です。」








OTK38はかつて「猫耳倶楽部」で一世を風靡した秋本靖がプロデュースを手がけている、今大人気のアイドルグループである。


秋葉原を拠点として活躍しているために、“オタク達のアイドル”と呼ばれていて、「オタク」の略称「OTK」と、所属事務所「38コーポレーション」の宮(38)社長を文字って名付けられている。



今や押しも押されぬトップアイドルとなったOTK38だが、正式なメンバーの他、姉妹グループや研究生全てを含めると総勢100名近くの大所帯なので、顔と名前が一致するメンバーとなるとさすがに限られてくる。


そして大島裕子はそんなOTK38の中でも、単独でも仕事がもらえる限られたメンバーの内の一人なのだ。






結衣と裕子は、結衣の行きつけのレストランで食事をとっていた。



「ワタシ、A―1王者の結衣さんにどうしてもお会いしたかったんです。」


裕子は嬉しそうな表情を見せながら、結衣に話をし始めた。



今をときめくトップアイドルの突然の訪問に驚いていた結衣だったが、話が進むに連れ、見た目幼い印象の裕子が自分と同い年である事や、裕子が以前から女優プロレスに興味を持っていて、結衣がタイトルを獲得した真緒との試合も見ていた事が解り、次第に裕子に親しみを感じ始めていた。




「あの試合、結衣さんも真緒さんもホント凄くて、ワタシも見てて感動してワーワー泣いてたんですよ〜。」


結衣の試合の思い出を無邪気に語る裕子に対し、結衣は嬉しさを感じつつも照れ笑いを浮かべるのが精一杯だった。


すると、それまで笑顔で話していた裕子が急に真顔になり、これまでとは違うトーンで話を始めた。



「実は・・・ワタシも今度、タイトルに挑戦するんです。プロレスの。」






裕子が挑戦する事になったタイトルは、女性アーティストのプロレス最強の座を決める、a−1(artist−1)王座というタイトルであった。


名前は同じであるが、結衣が保持するA−1(Actress−1)王座とは別の組織が管理する、業界で「もう一つの“エーワン”」と呼ばれているタイトルである。


初代王者の仲森明菜に始まり、そうそうたる顔ぶれに受け継がれてきたa―1王座は90年代後半頃から2000年代前半にかけて隆盛を極め、安室奈美江、瞳、濱崎アユミ、歌田ヒカル、中島美歌といった精鋭達の間で何度も王座交代劇が繰り広げられ、この時はA―1王座にも負けない盛り上がりを見せていた。


しかし数年前、当時の王者倖田玖未が自らが出演したラジオ番組で不祥事を起こし、芸能活動自粛とともに王座を返上。


それ以来空位となっていたa―1王座は、業界から忘れられた幻のタイトルとなっていたのだが、最近になって、業界のある人物の一声で復活したのである。




その人物とは裕子が所属するOTK38のプロデューサー、秋本靖であった。



秋本とa−1王座の関わりは、かつて自身がプロデュースしていたアイドルユニット「猫耳倶楽部」のメンバー、久藤静香が初代王者仲森明菜を破って2代目のa−1王者となった事から始まった。


当時秋本は売れっ子プロデューサーとして名前は知られていたものの、業界の中ではまだまだ若輩者の部類に扱われていて、それ故裏社会では業界の大物達に煙たがられることも多かった。


しかし久藤静香がa−1王座を獲得した事がきっかけで、秋本は表舞台だけでなく業界の裏社会での地位も築き上げることが出来たのである。


それだけにa−1王座への思い入れは人一倍強く、静香が王座から陥落して以来a−1王座と縁遠くなっていた秋本だが、a−1王座が空位となってしまった事を他の誰よりも残念に思っていた。


そして「OTK38」で再び大きな成功を手にした秋本は自ら音頭を執り、空位のままだったa−1王座の新王者決定トーナメントを開催する。



トーナメントにはダンスユニット「BBB(トリプルビー)」の宇野美彩子、テクノポップユニット「プレミアム」の西脇彩香、ロックバンド「ボーイ・ネクスト・ドア」の千沙、そして「OTK38」からは篠田真里子が参戦した。


奇しくも参加者4名全てユニットのメンバーとなったトーナメントは、秋本の期待通り篠田真里子が優勝し、a−1王座の新王者となった。



これで実質「a−1王座」を自らの管理下に置いた秋本は、もう一つの野望であった「OTK38」興行でのタイトルマッチ、つまりOTKのメンバー同士によるタイトルマッチの実現に乗り出す。


そしてつい先日、その「OTK38」興行でのタイトルマッチが行われ、同じ「OTK38」のメンバー前田厚子が初防衛戦となる篠田を破り、新a−1王者の座に就いた。


新たな展開を迎えた「a−1王座」は、次のタイトルマッチも「OTK38」興行で行われる事が決定していて、裕子はその前田厚子の初防衛戦の相手に選ばれたのだ。





「ワタシ、分かってるんです・・・秋本さんも、事務所も、他のメンバーも、あっちゃんにタイトル守らせたいんだって・・・OTKの為にはそれが一番良いんだって・・・だからワタシが選ばれたんです・・・」


裕子は寂しそうな表情を浮かべながら、結衣にそう語った。




目の前にいる裕子は身長152センチしかなく、結衣が小柄だと思っていた真緒よりもさらに小さかった。


裕子には失礼だが、彼女がプロレスのタイトルに挑戦すると聞けば誰だって驚くに違いない。



単純にOTKの看板である厚子が勝てばいい、というのなら他のメンバーでも十分だが、「a−1王座」のタイトルマッチとなると、その価値を下げるようなマッチメークは出来ない。


厚子よりも弱く、かつタイトルマッチに華を持たせる事が出来る人気者・・・そんな挑戦者の条件をメンバーの中で一番満たしているのが大島裕子なのだ。





「だけどワタシだって、OTK38のメンバーである以上、その中でトップになりたい・・・だから今度のタイトルマッチは絶好のチャンスなんです。いつまでもあっちゃんの下じゃ嫌なんです・・・」


結衣は自らの決意を熱く語る裕子を、次第に応援する気持ちになっていた。



「こんなチビなワタシが勝てるかどうか分からないけど・・・だから、今日結衣さんに会いに来たんです。A−1チャンピオンの結衣さんに会えば、何かパワーがもらえるような気がして・・・」


最近巷で「パワースポット巡り」が流行しているが、この日裕子が結衣の元を訪れたのも、そんな感覚に近いのではないだろうか。


裕子の言葉にこそばゆい気分になりながらも、結衣は改めて王者である事の責任を感じていた。




「そうか・・・ワタシも裕子ちゃんに負けてられないな・・・今度、井上真緒さんと防衛戦やるの。裕子ちゃんがタイトル獲って、ワタシがタイトル守って・・・今度会う時は、お互いチャンピオン同士で会えるといいね・・・」


普段はそんな事言わないが、結衣は自分に気合を入れる為に、そして裕子を励ます為に気の利いた言葉をかけたつもりだった。


するとそんな結衣の思惑とは裏腹に、裕子は結衣の言葉を聞いてたちまち表情を曇らせてしまう。




『あれ、ワタシ何かまずい事言っちゃったかな・・・』


そんな裕子の様子を見て結衣が不安を感じていると、裕子はためらいがちに、意外な言葉を口にした。




「あの・・・真緒さん、大丈夫なんですか?」


「えっ・・・」


裕子にいきなり真緒の事を聞かれ、結衣は戸惑っていた。


確かに真緒の怪我の情報は公にはされていないが、裕子はこの世界に携わる人間でしかも女優プロレスに興味があるのだから、知っていても不思議ではない。



「真緒さんの・・・怪我の事?」


結衣が躊躇いがちに聞き返すと、裕子の方も躊躇いがちにコクリと頷く。



「どうなんだろう・・・ワタシも、詳しい事は分からないから・・・」


裕子は俯き加減のまま結衣の話を黙って聞いていたが、結衣は裕子の肩が小刻みに震えている事に気づく。



「裕子・・・ちゃん?」


裕子の異変に気づいた結衣がそう呼びかけても裕子は黙ったままだった。



二人の間にしばらく沈黙の時間が流れた後、黙っていた裕子がようやく口を開いた。





「この前の・・・真里ちゃんとあっちゃんのタイトルマッチの時・・・」


「それって・・・今度裕子ちゃんが挑戦する?」


結衣の問いかけに裕子はコクリと頷き、再び話を続けた。





「会場に・・・来てたんです・・・真緒さんが・・・」


「えっ?!」


「タイトルマッチの・・・会場に、真緒さんが来てたんです。」


「・・・・」



結衣は予想もしていなかった裕子の言葉に驚きを隠せなかった。


今の話の流れからすれば、それが真緒の怪我と何か関係があるのだろうか?


結衣がそんな事を考えていると、その疑問に答えるかのように裕子が話を続けた。





「真里ちゃんとあっちゃんの試合の後・・・あの、OTKのメンバーが、観客のみなさんにあいさつする為にリングに上がって・・・そしたら、あいさつしている途中に、いきなり真緒さんが・・・リングに上がって来て・・・」


言葉を選ぶようにして裕子が話していると、結衣はいきなりその話を遮る様にして、感じた疑問を口にした。




「ちょっと待って・・・ねえ・・・何で真緒さんは、リングに上がったの?」


「!?」



結衣がそう言った瞬間、明らかに裕子は表情を強張らせ、再び黙り込んでしまう。


そんな裕子の反応を見て結衣は、裕子が何か大事な事を隠したまま、話を続けようとしていた事を確信した。



「裕子ちゃん・・・」


結衣が、全て隠さず話してほしい、という気持ちをこめて裕子に優しく呼びかけると、裕子は黙って頷き、再び重くなった口を開いた。






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