女優3 第5話 〜OTK38〜






A−1(Actress−1)王座の次期挑戦者決定トーナメント決勝戦が行われた3日後。


都内某所で、そのトーナメントと同じように多くの関係者達の注目を集める一大イベントが行われていた。



それは先頃復活した、業界で「もう一つの“エーワン”」と呼ばれているa−1(artist−1)王座のタイトルマッチで、王者決定トーナメントを制して新王者となった、アイドルユニット「OTK38」の篠田真里子の初防衛戦でもある。


そして王座に挑戦するのは何と、篠田と同じ「OTK38」のメンバー、前田厚子であった。


「OTK38」によって行われる「OTK38興行」でのa−1王座タイトルマッチ。


「OTK38」のプロデューサーで、「a−1王座」復活の立役者でもある秋本靖の悲願が、ついに現実のものとなろうとしていた。






現在芸能界の裏社会において、2つの「エーワン」と呼ばれるプロレスのタイトルが存在している。


映画関係者とテレビドラマ関係者が中心になって運営している「A−1(Actress−1)王座」と、その「A−1王座」の成功に追従するように、音楽関係者達が発足させた「a−1(artist−1)王座」である。


長い歴史を持つ「A−1王座」に比べ、後発である「a−1王座」は浮き沈みが激しく、一時は本家「A−1」を上回る盛り上がりを見せながらも、つい最近までは王者不在の「幻の王座」となっていた。


それが人気プロデューサー、秋本靖の手によって見事復活したわけだが、決して関係者達が皆、その復活を手放しで喜んでいるわけではなかった。





秋本が発起人となって開催されたa−1王座の新王者決定トーナメントの出場者は、全てグループ・ユニットからの参加となっていた。


トーナメントにはダンスユニット「BBB(トリプルビー)」の宇野美彩子、テクノポップユニット「プレミアム」の西脇彩香、ロックバンド「ボーイ・ネクスト・ドア」の千沙、そして「OTK38」からは前田厚子が参加する予定だった。


それぞれ復活したa−1王座を盛り上げるのにふさわしい、人気ユニットの顔ともいえる豪華な参加メンバーではあったが、トーナメント直前になって「前田が体調不良」と言う理由で「OTK38」からは代役として篠田真里子が出場する事になったのである。



“前田では優勝出来ないから、実力的に上の篠田に変えた”


“そもそもトーナメント自体出来レース”


“秋本はOTKの商品価値を上げる為にa−1を復活させた”



と様々な噂が業界に広まる中トーナメントは開催され、大方の関係者の予想(秋本の思惑)通り、篠田が圧倒的な強さを見せて優勝を飾った。



念願だったa−1王座とその興行権を手中にした秋本は、次の挑戦者に「トーナメントに参加する予定だった」前田厚子を選び、さらにはその次のタイトルマッチの挑戦者として「大島裕子」を指名し、早くも「OTK興行」でのタイトルマッチ2試合を独断で決めてしまう。



 “a−1王座は「artist−1」ではなく「akimoto−1」になった”



「a−1王座」の復活が業界の話題となっている裏側で、一部の関係者達の間ではそんな声が広まっていった。






そんな関係者達の悪評をよそに、業界初の試みとなる「OTK興行」のa−1王座タイトルマッチは大きな盛り上がりを見せていた。


「OTK38」メンバー最年長にして最強と言われている王者篠田真里子に、メンバー内で人気ナンバーワンの前田厚子が挑戦者として挑むという分かりやすい図式だけでなく、リングコスチュームがコンサートやテレビと同じステージ衣装であるという「OTK興行」ならではの演出も、会場に集まった多くの「OTK38」信者ともいうべきファン達の心をくすぐる物であった。


パワーに物を言わせ、試合を支配する王者真里子に対し、その体格差を闘志で埋めようと果敢に挑んでいく挑戦者厚子。


この分かりやすい展開に会場中のファンがヒートアップし、終始劣勢を強いられている厚子に対して大厚子コールが沸き起こる。


そのファンの声に後押しされるように息を吹き返した厚子は、一瞬の隙をついたスモールパッケージホールドで真里子を丸め込み、大逆転のカウントスリーを奪う。


タイトル奪取の感激に、思わず涙を流す厚子に会場のファンからは惜しみない歓声が贈られ、敗れた真里子も親友でもある厚子の勝利を称え、自ら握手を求めていく。


この真里子の潔い態度に、会場からは厚子コールに変わって真里子コールが起こり、リング上の二人は手を上げてこの観客のコールに応えている。


しかし会場中が清々しい雰囲気に包まれる中、客席に一人、苦々しい表情を浮かべる人物の姿があった。






『・・・ったく・・・とんだ“茶番”じゃねえか・・・』


井上真緒は呆れ返った様子で、リング上でファンの声援に応える厚子と真里子の姿を眺めていた。



3日前に黒樹メイサとの死闘を制し、A−1王座の挑戦権を獲得した真緒は、「ある事情」があってこの会場を訪れていた。


このタイトルマッチに特に興味があった訳ではないが、自分が今度対戦する荒垣結衣と王者の真里子がちょうど同じような体格なので、挑戦者の厚子の動きが何か参考になるのでは、と思いながら試合を観戦していた。


しかし王者の真里子は、傍目には厳しい攻撃を見せているように見えたものの、明らかに「フィニッシュ」を決めにいく感じはなかった。


スリーカウントが奪えそうな場面でもカバーに行かなかったり、ギブアップが奪えそうな場面で自ら技を解いたりと、まるで厚子が反撃するのを、というよりむしろ厚子が自分からフォールを奪うのを待っているような感じであった。


勝ったとはいえ、病院に直行するくらいにメイサにボコボコにされた真緒にして見れば、真里子の厚子に対する攻撃は生温いモノにしか映らなかった。




王者決定トーナメントでは圧倒的な強さを見せ、OTK38の中では実力ナンバーワンといわれている真里子だが、このタイトルマッチが決まった時、多くの関係者が前田厚子の勝利を予想していた。


それは厚子が強いからという事ではなく、厚子と親友でもある真里子が勝ちを譲るのでは、という見方からであった。


人気ナンバーワンの厚子がタイトルを獲ればファンが喜ぶし、しかもトーナメントで優勝した実力ナンバーワンの真里子に勝ったとなれば、a−1王座の威厳も保たれる。


そんな筋書き通りの展開にも関わらず、会場に集まったOTK38信者達は疑うことなくそのドラマに酔いしれている。


真緒は試合内容にも、そんな会場の雰囲気にもウンザリしていた。





試合が終ったリング上には、OTK38の他のメンバー達も姿を見せ、会場のファンに感謝の挨拶を行っていた。


真緒はすぐにでもこの場を立ち去りたかったのだが、メイサ戦でのダメージが残った身体が真緒をその場にとどまらせていた。




『痛っ・・・こんな試合だったら、無理して来んじゃなかったよ・・・』


リング上では他のメンバー達が試合の余韻に浸るかのように、厚子に祝福の言葉をかけていた。


OTK38のファンや関係者達だけが心地よいこの空間にさすがに耐え切れなくなった真緒が、痛む身体を押してその場から立ち去ろうとしたその時、リング上でOTK38の主要メンバーの一人である高橋南がマイクをとり、ファン達に向けてスピーチを始めた。





「皆さん、今日、あっちゃんがa−1の新しいチャンピオンになりました。でも皆さん、この芸能界にはもう一つ“エーワン”と呼ばれるタイトルがあるのをご存知ですか?」


帰ろうとしていた真緒はこの南の言葉に反応し、その場に立ち止まる。




「それは女優さん達が争っている“アクトレス・ワン”というタイトルです。そのタイトルは歴史が古く、残念な事にあっちゃんが獲得したa−1ではなく、そのタイトルが今“本家エーワン”と呼ばれてるんです。」


南がそう言った瞬間、会場はたちまちブーイングに包まれる。


会場に集まったファン達にしてみれば、彼女達の言葉は全て“啓示”のようなものなのだろう。




「確かに歴史があるって大切な事かもしれません!でもみなさん!だからって、それだけで本当に価値が決まって良いんでしょうか?」


南の演説は次第に熱がこもったものになり、会場からも一際大きな歓声が沸き起こる。



「実はここで皆さんに、見てほしいものがあるんです。」


南はそういいながら、会場に設置されたビジョンを手で指し示した。



このタイトルマッチ興行では、広い会場のファンに試合がよく見えるようにという配慮から、大きなビジョンが設置されていた。


南の言葉に促されるように、観客の視線が一斉にビジョンが注がれると、ビジョンに“ある映像”が映し出された。






それは以前、荒垣結衣が出演したドラマの制作発表のVTRだった。


メインキャストとなる数名の若手人気俳優が並んでいて、その中に結衣の姿もあった。


それぞれが色々とコメントする中、結衣が話すシーンはほんのわずかで、もう一人のメインキャストである戸田江里香が場を仕切っているような状態だった。




「皆さん・・・この、後ろの方でコソコソしている人が、今のA−1チャンピオンです。信じられますか?・・・私達OTK38はみんな、仲間であると同時にライバルでもあります。・・・だから、バックにいる子達は、フロントのメンバーを一生懸命引き立てる代わりに、次こそは自分がフロントに行くんだって・・・みんなそう思ってます。」


南が話すたびに場内からいちいち歓声が起こり、それに気をよくした南はさらに言葉を続けていく。



「もしワタシ達が“この人”と同じ役をもらっていたら、この場でもっともっと、みんなに伝えようと一生懸命しゃべってると思います!この場に立ちたくても立てない人が沢山いるんだから・・・それなのに、“この人”はこんな風に後ろでコソコソして・・・それで主役とかになってるかと思うと、見ていて本当に腹が立ちます!!」


南の言葉は次第に語気が強くなり、それに呼応するかのように場内からの歓声も大きくなる。



「それに・・・実はVTRで話している戸田江里香さんは、そのA−1に挑戦して、この後ろでコソコソしているチャンピオンに負けてるんです・・・おかしくないですか?見ても分かるように、チャンピオンは江里香さんにビビッているんです。これは業界では有名な話です。そんなヘタレな人がチャンピオンで、しかもタイトルマッチで江里香さんに勝つなんてありえません!インチキです!!みんな今日のあっちゃんと真里子ちゃんの試合見たでしょう?私達が争っているa−1王座の方が本物の“エーワン”だって、そう思いませんか?!!」


自分達の事を棚に上げた勝手な言い分にも関わらず、この南の言葉で観客は一つとなり、会場はこの日一番の大歓声に包まれる。


その歓声はOTK38への称賛の声であると同時に、荒垣結衣が持つA−1王座を否定する声でもあった。




しばらくやまなかった熱狂的な歓声がようやく収まろうかとしたところで、南は再びスピーチを始めた。



「それでは最後に、次回のOTK興行であっちゃんが・・・新王者、前田厚子が初防衛戦を行います。これから、そのタイトルマッチでの健闘を誓い合ってもらう為に、チャンピオンと挑戦者に握手をしてもらいます。挑戦者、大島裕子、前へ!!」


南が次期挑戦者である大島裕子の名を告げると、場内から再び大きな歓声が上がった。


名前を呼ばれた裕子が観客に向かって一礼して厚子の方に歩み寄ろうとしたその瞬間、一人の女性がリングに姿を現した。





『えっ・・・もしかして、井上真緒さん?』


リングに上がってきたのは、さっきまで散々南が罵倒していたA−1王座の次期挑戦者でもある井上真緒だった。


かつて真緒と結衣との試合を観戦したことのある裕子にとっては、自分を感動させてくれた憧れの人物でもある。



思わぬ第三者の乱入に会場全体がどよめく中、真緒は全く意に介さずに厚子に語りかけた。




「よぉ・・・アンタが“偽エーワン”の新チャンピオンか?・・・」


裕子に背を向ける形で新王者の厚子と対峙した真緒は、厚子に対し露骨に挑発的な態度を示している。


暴言を浴びせられた厚子は必死に真緒をにらみ返すものの、その表情には明らかに怯えの色が浮かんでいる。


厚子だけでなく、裕子や他のメンバー達も完全に戸惑っていて、OTK38のほとんどのメンバーが真緒の存在感に圧倒されていた。



しかしそんな状況の中、南と真里子が厚子をガードするかのように歩み出てくると、怯んでいる他の多くのメンバーとは違い、敵意剥き出しの視線で真緒を睨み付けていく。




「何なんですかあなたは・・・ここはOTKのリングです・・・部外者は出てってください!!」


南がそういうと、会場からは再び大きな歓声が沸き起こり、同時に真緒に対する罵声が飛び交い始める。




OTK38は「チームO」「チームT」「チームK」という3チームにチーム分けされていて、南は「チームO」のキャプテンを務めている。


その為最後の挨拶も南が行っていたのだが、厚子の盾になったのもその責任感からである。


南は当然真緒の事を知っているものの、挑発の意味で名前を呼ばなかったのだろう。


しかし当の真緒は南の言葉にも観客の罵声にも動じる事なく不敵な笑みを浮かべている。




「部外者?ワタシは“次期”A−1チャンピオンだよ・・・自分達の世界の中だけで得意気になってるお前らに、ホントに強いのは誰かって事を教えに来たんだよ・・・」


この真緒の言葉に場内から大ブーイングが起こるもの、相変わらず真緒はふてぶてしい笑みを浮かべている。


OTK38よりもリングの経験が豊富で、ヒールとしてブーイングを浴び続けてきた真緒は貫禄も十分で、こんな状況でもむしろOTK38のメンバーの方が真緒に気圧されてしまっている様子である。



「さすがにA−1チャンピオンさんは来れねえからよぉ・・・代わりに次期A−1チャンピオンのワタシが来てやったって訳だ。まあ来月にはワタシがタイトル持ってるから何の問題もないだろ。なあ、“偽エーワン”チャンピオンさんよぉ!いい機会だから、本物の“エーワン”チャンピオンだって言うんなら、今ここでワタシを倒してみろよ!」


真緒の挑発の言葉にブーイングはさらに大きくなるものの、挑発された当の厚子は真緒を睨み返すのが精一杯で、メンバーの後ろに隠れたまま前に出て来ようとはしないでいる。


周りをファンばかりに囲まれたOTK興行の中でチャンピオンになった「温室育ち」のチャンピオンと、ブーイングを浴び続けながらも、最強の大本命を破ってA−1王座への挑戦権を勝ち獲った真緒とでは完全に役者が違っていた。




「おらどうした、“偽エーワン”チャンピオンさんよぉ!ここに集まってるお前のファンの皆さんの期待に応えて見ろよぉ!!」


この「完全アウェイ」の雰囲気の中でも堂々としている真緒に対し、厚子は「ホームグラウンド」である事が返ってプレッシャーとなって何も言い返す事ができない。


しかし真緒の登場で会場内が不穏な空気に包まれる中、OTKのメンバーの一人がある行動に出る。





 バチバチィーッ!!!



突如リング上に破裂音が響き渡り、それまで厚子を挑発していた真緒がいきなりマットに崩れ落ちる。



『ううっ・・・』



キャンバスに跪いた真緒が苦悶の表情を浮かべながら背後を振り返ると、OTK38のメンバーの一人、「チームT」のキャプテンである秋本才加が冷ややかな表情で真緒の事を見下ろしている。



「これ・・・アンタの得意技だろ・・・どうだ、自分の得意技でヤられる気分は・・・」


才加の右手には、真緒も試合で使っている携帯電話型の小型のスタンガンが握られていた。



「てめえ・・・“国民的アイドル”が、そんな物騒なモン持ってていいのかよ・・・・」


「護身用さ。アイドルやってると、色々危ないヤツも寄ってくるからな・・・それに、こんなモンに頼ってるヤツが“次期チャンピオン”だなんて、伝統のA−1王座もたかが知れてるよなあ!!」


才加は罵声を浴びせながら、跪いている真緒を蹴り倒していく。


まだメイサ戦のダメージを引きずっている上に、スタンガン攻撃まで受けた真緒は才加に簡単に蹴り倒されながらも、必死にその身体を起こしていく。



「フッ・・・ワタシが狙ってるA−1ってのは半端な事やってたら勝てねえからな・・・まあ、お前らが相手だったら、そんなモン使う必要ねえけどな・・・」


決して万全な身体でないにも関わらず、真緒は挑発の言葉を口にしながら、よろよろと立ち上がっていく。


その真緒の気迫に、強気な表情をみせていた才加も思わずたじろいでしまうが、ここで近くにいた「チームK」のキャプテン柏木雪が「何か」を取り出して、立ち上がりかけていた真緒を殴りつけていく。



 バシイィーーッ!!!


雪が持っていたのは、これまた真緒が得意としている特殊警棒で、真緒はこの一撃で再びマットに崩れ落ちてしまう。


才加だけでなく、他のメンバー達も「護身用」のアイテムを所持しているようである。



「お前ごときにあっちゃんの相手させる訳にはいかないんだよ!!ちょっと南!!あなたもキャプテンならOTKのリングしっかり守りなさいよ!!」


雪にそう怒鳴られた南はムッとした表情を見せながらも、雪と同じく「護身用」で所持している特殊警棒を取り出した。



バシイィーッ!バシイィーッ!バシイィーッ!・・・・


雪に言われたこともあってか、南はちょっと興奮した様子で倒れている真緒を手にした警棒で何発も殴りつけていく。




「さっきも言ったでしょ!ここはOTKのリングです!!部外者は出て行きなさい!!」


南はうずくまってうめき声を上げている真緒に向かって吐き捨てるように言うと、「これでいいでしょ!」とでも言わんばかりに雪をじっと睨み付ける。


キャプテン同士互いに強烈なライバル意識を持ちながらも、OTK38を守りたいという利害は一致しているようである。


しかし南と雪が睨み合う最中、もはや動けまいと思っていた真緒がゆっくりと立ち上がろうとしていた。




「クッ・・・笑わせんなよ・・・そんなに大事なリングだったら、力ずくでワタシを追い出せばいいじゃないか・・・」


南はそう言いながら立ち上がろうとする真緒に恐怖を感じ、思わずその場から後ずさってしまう。


しかし真緒自身はメイサ戦のダメージに加え、スタンガンと特殊警棒の攻撃で、立ったとしてもどうこう出来るような状態では無い。


単なるプライドだけが真緒を立たせたのだが、この状況ではそれはただの「愚かな行為」でしかなかった。



「こんだけウジャウジャいるクセによお!!・・・ただの“腰抜け集団”が大層な口聞いてんじゃねえよ!!」


ボロボロの身体にも関わらず、声を振り絞ってOTKのメンバーを罵倒する真緒。


この真緒の言葉を聞いて南、真里子、才加、雪らが一斉に真緒に襲い掛かった。




「ううっ・・・あうっ・・・」


リング上ではもはやグロッキー状態の真緒が、OTK38の中心メンバー達にストンピングの集中砲火を受けている。


最初に真緒に因縁をつけられていた前田厚子は他のメンバーに下がるように言われ、遠巻きにその様子を見守っている。


人気ナンバーワンの厚子だけはそのイメージを崩さないようにという、メンバー達の配慮なのだろう。


そして大島裕子もその中には加わらず、仲間達の暴走行為を震えながら見守っている。



「よーし、才加!!3D行くぞー!!!」


篠田真里子は才加にそう呼びかけた後、もはやグロッキー状態の真緒を無理矢理起こし、フロントスープレックスのように真緒の小柄な身体を放り投げていく。


すると待ち構えていた才加が宙に浮いた真緒の頭をキャッチして、ダイヤモンドカッターのようにマットに叩き付けていく。




 “ズバアァーーン!!!”




真里子と才加の合体技が炸裂し、真緒はマット上でぐったりと動かなくなってしまう。


しかしそんな状態にも関わらず、技を決めた真里子と才加が再び真緒に近づいていく。



「それじゃあ、お望み通り、力ずくで叩き出してやるよ・・・」


才加はそういいながら真里子と二人がかりで真緒の身体を持ち上げると、何とそのままトップロープ越しに真緒を場外に投げ捨てていった。




 “ドオオォーーーン!!!”




真緒がリング下に落ちた瞬間、さすがに前列の観客からはどよめきが起こったものの、会場全体は真緒に対する「帰れ」コールと、真緒を追い出したメンバーに対する賞賛の歓声に包まれていた。


真里子や才加ら主要メンバー達が、両手を上げてその声援に応える中、裕子はリング下で担架に載せられている真緒の姿を、震えながら見守っていた。









裕子から真相を聞かされた結衣はショックで言葉を失っていた。


真緒の怪我の原因にも驚いたが、それ以上に「自分のVTR」がそんな形で公開されていた事にショックを感じていた。


よく芸能人の「封印したい過去」なんて記事がメディアで取り上げられるが、そのVTRはまさに結衣にとっての「それ」であった。



通常ドラマの制作発表は、初回放映の数日前に行われるので、制作発表と言っても、既に撮影はある程度進んでいるものである。


そのドラマでの撮影中、結衣はNGを連発し、共演していた戸田江里香を激怒させてしまったのだ。


しかしそれは江里香が結衣を毛嫌いしてたという事ではなく、江里香は若手女優の中でも群を抜いた「完璧主義者」で、仕事に対するそのストイックな姿勢がそういった衝突を生んでしまったのであろう。


とはいえ、話にも出ていたようにその時期江里香は結衣との対戦が決まっていただけに、結衣への意識が余計に強かった事も事実である。


結衣はこの江里香との衝突により心労から体調を崩し、初防衛戦を不安視する声が高かったものの、苦戦を強いられながらも見事江里香に勝利し防衛を果たした。


しかし結果的に勝ったとはいえ、本業の女優業では決して褒められた事ではないし、会見で前に出る事が出来なかった自分が何より恥ずかしいと思っていた。


そこにはそのVTRを公開したOTK38への怒りよりも、そういう仕事をしてしまった自分を恥じる気持ちの方が、結衣にとっては大きかった。




「きっと真緒さん、悔しかったんだと思います。自分が目指しているタイトルや・・・“ライバル”である結衣さんを馬鹿にされた事が・・・」


裕子の言葉を聞いて、ふと我に返った結衣は、裕子の目に涙が浮かんでいることに気づいた。



「あんなVTR用意してたなんてワタシ知らなかった・・・確かに、メンバーのみんながやった事は、やり過ぎだと思うけど・・・でもワタシもOTK38の一員だから、やっぱり真緒さんが勝手にリングに上がって、OTK38を馬鹿にしたのは許せないし・・・って、こんなの、いい訳ですよね・・・」


そう話す裕子の目から、大粒の涙が零れ落ちた。



「ワタシは手を出してないけど、みんながやってる事を止めなかった・・・・OTKを馬鹿にした真緒さんにも文句言えなかった・・・・多分ワタシが一番、卑怯者で、一番、弱虫なんです・・・・」


結衣は泣きながら自分を責める裕子を見ていられず、何とか慰めたかったのだが、気の利いた言葉が思い浮かばず、首を左右に振って裕子の言葉を否定するのが精一杯だった。


もし結衣が裕子の立場だったとしても、同じように何もする事が出来なかっただろう。



「こんな弱い自分だから、チャンピオンの結衣さんに会えば、力がもらえると思って・・・それなのに、結衣さんに失礼な事言って・・・何て図々しいコなんだろ・・・ワタシ・・・」


裕子はそう言うと、テーブルに顔を伏せて泣き始めた。


結衣はそんな裕子に声をかける事が出来ず、ただ黙って裕子が泣き止むのを見守っていた。





裕子はひとしきり泣いた後、真っ赤に晴らした目で「ゴメンなさい」と結衣に謝った。


結衣も「ううん」と首を振るのが精一杯で、二人の間に再び沈黙の時間が訪れる。


すると、裕子が突然何か思い出したかのように、持っていたバッグの中身を探り始め、取り出したものを結衣の前に置いた。



「これって・・・」


結衣の目の前に置かれたのは一枚のバンダナだった。



「真緒さんが担架で運ばれた場所に落ちてたんです・・・」


結衣はそのバンダナに見覚えがあった。


それはかつて結衣が真緒と対戦した時、真緒がチョーク攻撃に使っていたバンダナで、その時結衣もそのバンダナで顔を拭っていた。


おそらくそのバンダナは、真緒にとって「ライナスの毛布」のようなものなのだろう。



「あの・・・このバンダナ・・・結衣さんが受け取ってくれませんか?」


「ええっ?!」


突拍子も無い裕子の申し出に結衣は驚いていた。



「真緒さんの事務所に送ろうかと思ったけど、何か失礼な感じがして・・・直接渡すなんて、もっと出来ないし・・・」


「でっ、でも・・・・」


「よくわからないけど・・・だったら、結衣さんに渡せばいいんじゃないかって・・・ふと、そう思ったんです・・・」


「・・・・」


裕子の言い分は理解できるものの、だからと言って結衣が受け取る理由は“もっとない”はずであった。


しかし思いつめた裕子の様子がそうさせたのか、結衣は“なぜか”その申し出を断る事が出来なかった。






裕子と会った翌日。


結衣は“とある”病院を訪れていた。


それは、井上真緒が入院している病院で、結衣は裕子から受け取ったバンダナを持参していた。



『これは真緒さんに渡さなきゃ・・・』


結衣は裕子からバンダナを受け取ったものの、真緒に返す事までは頼まれていなかった。


それでも、やはり持ち主の真緒に返すのが筋だろうと思い、わざわざ病院まで来たのである。


しかしそれこそ、真緒の事務所に送ればよさそうな話だが、結衣は“なぜか”真緒に直接渡すべきだと、この時思っていた。





『真緒さん、どこにいるんだろう・・・』


結衣は病院内に設けられた中庭のようなスペースを歩いていた。


真緒の病室を訪れてみたものの、そこに真緒の姿はなく、通りがかった看護師に尋ねたところ、この場所を教えられたのだ。



『でも、どれくらいの怪我なのかなあ・・・』


1ヵ月後に予定されている真緒との防衛戦は、本当に予定通り行われるのだろうか。


そんな事を考えてながら歩いていた結衣は、ベンチに佇む一人の小柄な女性の姿を発見する。



『あっ・・・・』


ベンチに座っているのは間違いなく井上真緒だった。


首にはコルセットが巻かれ、左足はギプスで固定されていて、見るからに痛々しい姿であった。



『真緒さん・・・』


結衣は一旦その場で深呼吸した後、ベンチに座っている真緒の方に向かってゆっくりと歩き出した。

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