「暴君復活-1

 

ここはモリ・プロ内のトレーニングジム。

かつて『地下プロレス史上最強の暴君』とまで呼ばれた同プロダクションの看板タレントに敬意を

表し、通称『輪田 アキ子ジム』と呼ばれている場所である。

普段であれば、地下プロレスのトレーニングをする者以外にも、運動不足を解消しようという者,

シェイプアップやダイエットが目的の者,単にストレス解消の者と目的は違ってもプロダクションの

タレントやスタッフで大いに賑わっているのだが、その日ばかりは違っていた。

固く閉ざされたドアには『立入り禁止』の札が貼られ、中の様子を窺うことは出来なくなっていた。

そして今、そのリングには2人の女性が上がっていた。

片コーナーには浜内 順子がリング下に堀腰 のり,西畑 さおりを置き、そして、反対コーナーには

輪田 アキ子が、リング下に伊森 美幸,山勢 まみを従え立っていた。

 

話は2ヶ月前まで遡る。

のり,さおり,順子の三人はモリ・エージェンシーの宮路 真緒,磯野 さやか,三津屋 葉子と

地下リングで形式上は6人タッグマッチを行なったのだが、実際は葉子を中心とした策略により、

朝ドラのヒロインとして彼女達のジェラシーの対象となっていた格闘技素人の真緒に三人で

集中攻撃を加え、1ヶ月以上入院というダメージを与えていた。

試合が終わって数日後、輪田は事務所でのりと会った。試合結果を聞く輪田に対し 勝ったとは

答えるのりであったが、どうも歯切れが悪く、また試合経過についても深く話したがらない様子で

あった。その事を怪訝に思った輪田は、その後さおり,順子とも話をしたが、これまた同様であった。

その内に真緒が交通事故で大怪我をして入院した、という話が伝わってきたが、輪田にはこれが

恐らく試合による物であろうとピンときた。

最近では珠里が地下プロで受けた傷を癒す為、やはり交通事故の名目で入院していたし、輪田自身も

かつて可愛 奈保子に試合で腰に大怪我をさせてしまい、舞台からの転落ということで騙し通した

経験も有った。更に松嶋 とも子の時などはライオンに噛まれたなどという、今から思えば

無茶苦茶とも思える誤魔化しをやったことすらある。あのピート・たけしのバイク事故さえ

輪田がやったとの噂が立ったが、どうやらこれは事実では無いらしい。

それはともかく、試合後一ヶ月程して退院した真緒に対し輪田はねぎらいの言葉を掛ける為、

モリ・エージェンシーの事務所まで赴いた。

珍しい輪田の来場に事務所スタッフが大いに緊張する中、真緒に声を掛ける輪田であったが、

その会話は噛合わなかった。

輪田「宮路,今回は大変だったな。」

真緒「有難うございます。輪田さん。こんな所まで来て戴いて。トラックに変な風にぶつけられた

   らしいんですけど、ともかく事故前後の記憶が飛んじゃったみたいで、気が付いたらベッドの

   上で。でも、おかげさまで顔も手足も元通りになりました。頭はちょっと分かりませんけど。」

輪田「アッ、いいんだよ、宮路。アタシには気にせず本当のこと喋って。分かってるからな。

   地下プロではずいぶん大変な目にあったみたいだな。堀腰か、やったのは?」

真緒「エッ?本当のことと言われても…?

   堀腰って、のりちゃん?私の事故に何か関係有るんですか?

   それに地下プロって何ですか?そう言えば、前に三津屋 葉子ちゃんにプロレスに誘われた事

   有りますけど断りましたよ。トレーニングだって、やったこともないし。私にそんなこと

   絶対無理ですよ。」

輪田「絶対無理って、お前???」

真緒「あの、失礼ですけど輪田さん、どなたかと間違えられているんじゃないんですか?

   とにかく、私はこの通り元気になりましたよ。次のドラマも決まったし、これからも頑張り

   ますので、よろしくお願いします。今日は、本当に有難うございました。」

一向に噛合わぬ話に、ついに輪田は真緒とこれ以上話すことを諦めた。

当初、この後葉子とさやかにも話を聞こうと思っていた輪田であったが、方針を変更した。

黒服を一人捕まえ、半ば脅迫状態で試合経過を聞き出したのである。通常は絶対に不可能な行為で

あるが、芸能界,そして地下リングに絶対的な力を持つ輪田なればこそであった。

そして輪田は、その試合でモリ・プロの三人が格闘技が全く出来ない真緒を三人掛かりで痛めつけ、

なぶり者,晒し者にした事を知った。そして、試合経過を知った輪田は、続いてエージェンシーの

社長から、試合後真緒に対する洗脳行為を地下プロ医療チームに依頼した事も確認した。

 

総てを聞いた輪田は事務所にのり,さおり,順子の3人を呼出し、問いただした。

そして、本人達から総てが真実である事を聞いた輪田は、まさに烈火の如く怒った。

卑怯なことや策略は輪田が最も嫌う物であったのだ。

葉子から持ち掛けられた事であること,仲直りする為の手段であったこと等必死に言訳をする

三人であったが、輪田の怒りを収めることは出来なかった。そしてついに輪田は三人に対し、

一ヶ月後ジムで自分と試合することを命じた。有無を言わさぬ決定であった。

 

その一ヶ月間、輪田は大好きな酒,タバコも断ち、自らの名が冠せられたジムに閉じこもり

トレーニングを行なった。スパーリングパートナーも当初は男性タレントであったが、次には

女子プロレスラー,そして最終的には男子プロレスラーを呼び寄せた。53歳という年齢の輪田では

有ったが、日一日とその肉体は全盛期の動きを取り戻していた。

また、輪田は伊森 美幸,山勢 まみの二人に試合の立会人を依頼した。

二人ともさおりや順子と同様かつてのスカウトツアーの優勝者であり、アイドルとしてのデビュー

当時は売れなかったが、地下リングでのファイトでチャンスを掴み、バラエティアイドルという

新しいジャンルを開拓し、そこで人気者になったという共通点を持っていた。

しかし、そのいわば彼女達が苦労して築いたジャンルで、現在宿敵 ホワイトキャブ

タレント達が猛威を奮ってるのは、輪田にとって不愉快の種でもあった。

それはともかく二人は選手が危険な状態になった場合の制止役、また同時に卑劣な手段に出た

場合等の監視役も命ぜられた。

 

一方の三人は事務所のジムが輪田の貸切り状態となって使えない為、外部のジムへ仕事の合間を

見ては通っていたが、噂に聞く輪田の恐ろしさに当初精神的に参っていたのは、事情を知らない

事務所の人間から見ても明らかであった。

しかしその後、試合までの一ヶ月の間に三人の間には大きな差が出来ていた。

順子はひたすら恐怖に怯えて徐々に眠れなくなり、食事もまともに喉を通らなくなっていった。

トレーニングにも身が入らなくなり、休む事も度々であった。

さおりは得意技である間接技にひたすら磨きを掛けていた。勝利は無理でも得意技で抵抗し、

せめて一太刀入れる事で、自分を輪田に認めてもらおうという考えであった。

そしてのりには現在のモリ・プロのエースであり、地下リングでも有数の実力者であるという自覚が

甦ってきていた。輪田が過去、いかに強かったとはいえ既に50歳を過ぎており、リングからも

長期間遠ざかっている。しかも、自分の試合順は順子,さおりと闘った後である。

「勝てる。勝てる。」と自分に言い聞かせ、トレーニングに励んでいた。

それがまた、恐怖を忘れる手段でもあった。

 

そして、ついに当日を迎えた。

輪田はTシャツにジーンズのショートパンツ姿でリングに上がった。対する順子は前回と同じ

セパレーツ水着であったが、下を向いて輪田と目を合わせることは出来なかった。

真青な顔色をした順子の目の下にははっきりとクマが出来ており、心なしか痩せた様でもあった。

伊森 美幸がレフェリー役としてリングに上がり、リング下にいる山勢 まみに合図を送った。

それを受け、山勢がゴングを鳴らした。

カーン

「さあ、来い!」

ジムに響き渡る、かつての『史上最強の暴君』の咆哮。

リング下ののり,さおりだけでなく伊森,山勢も一瞬縮み上がったが、対戦相手の順子はその

程度では済まなかった。

その声にその場で腰が抜けた様になってしまい、ついに座りこんだまま立てなくなってしまった。

更に、その状態で何気なく顔を輪田に向けたことが状況をより悪化させた。

普段と全く違う闘う輪田の眼に、いわば吸込まれてしまった。

順子は『ヘビに睨まれたカエル』そのものであった。

逃げることも出来ず、ゆっくりと自分へ歩を進める輪田をただ呆然と見ているだけの順子に、

再度輪田が吼えた。

「立て!コラ!掛かって来んのか!」

順子の身体が震えたのが、他の四人にはっきり分かった。

口をポカンと開け、まったく動けぬ順子。あたかも幼児退行を起こしているかとも思えた。

失禁していないことがまだ救いだったかもしれない。

一向に掛かってこない順子に業を煮やした輪田がついに手を出した。

座り込んだままの順子の胸倉を掴んで立たせると、大きな右手がうなりを上げた。

顔面に炸裂した張り手で吹っ飛ぶ順子の目は既に死んでいた。

ダウンした順子に数発ストンピングを浴びせた輪田は、再度立たせると順子のボディに膝蹴りを

二発叩き込んだ。

「ゴボッ」

順子の口から胃液がこぼれ出す。

一向に反撃してこない順子に対し、輪田は後の事も考えとどめを狙った。

引き起こすとボディスラムで叩きつける。と言っても、受身が取りづらい様、投げきるまで

しっかりとグリップした、必殺技となり得るボディスラム,かつてローラン・ボックが猪木を

KO寸前まで痛めつけたのと同じ投げ方である。

それにより既に半失神状態の順子の両足を開脚状態に取った輪田は、ジャンプするとその大きな

右足で順子の胸板を踏み付けた。これぞ、かつて何十人或いは何百人もの相手をKOしてきた

モンゴリアン・ストンパーばりの必殺ストンピングである。

「ウッ」

一声うめいた順子だったが、そのまま全く動かなくなった。レフェリー役の伊森が状態を確認して

リング下の山勢に合図を送った。山勢がゴングを鳴らす。

カーン

まさに秒殺であった。

リング下で顔を見合わせるのりとさおり。しかし、さおりはこの秒殺はむしろ自分に有利だと思った。

一瞬の隙を突くしかないであろうさおりにとって、輪田が油断してくれることが望みであったのだ。

ワンピース姿でリングインするさおりは下を向き、輪田と目線を合わさない様にした。

輪田に自分も脅えている様に思わせたかったのだが、それは成功していた。秒殺に自信を持った

輪田はさおりも順子と同様、恐ろしさで目を合わせられないものと思いこんでいた。

立会人も入れ替わり、レフェリー代わりの山勢の合図で伊森がゴングを鳴らした。

 

カーン

二試合目が始まった。

「さあ、来い!」

再び響き渡る輪田の咆哮。

下を向いたまま近づいて行ったさおりは輪田に対し、スッと左腕を伸ばした。一瞬怪訝に思った

輪田であったが、油断も有り握手の要領で左手を出した。

さおりはこの一瞬に賭けていた。

輪田の左手を取ったさおりは、ジャンプしてフライングヘッドシザースの要領で両足を輪田の首に

巻きつけ全体重を掛けた。軽量のさおりとは言え、輪田はそれによりバランスを崩しダウンした。

輪田の左腕を取ったままのさおりは腕ひしぎ逆十字の態勢に入った。

いわゆる飛び付き逆十字という、輪田の現役時代には無かった技である。

油断していた輪田はこの想定外の技を食ってしまった。しかし、それでも筋を完全に伸ばされる前に

さおりにキックを浴びせ、技を解いた。とはいえ、輪田は左腕に大きなダメージを受けてしまった。

「この野郎、やりやがったな!」

左腕を押さえて立ち上がった輪田の目は怒りに燃えていた。

さおりは相変わらず目線を逸らしていたが、しかし今は油断させる作戦ではなく、本当にその目を

見ることが出来ない為の様であった。

真っ直ぐにさおりへ突っ込んで行く輪田。目線を逸らしていた分、さおりの対応が遅れた。

バアーーン

輪田の前蹴りが胸板に炸裂し、さおりはリング下まで吹っ飛んだ。

マットすら敷いていない板床に落とされたさおりは、大きなダメージを受けてしまった。

リング下に降りた輪田は、ダウンしたさおりの全身にストンピングを浴びせる。

さおりも何とかその蹴り足を掴み得意の間接技に持っていこうと狙うが、意外なまでの蹴りの速さに

掴むことが出来ず、蹴られる一方であり次第に大きなダメージを負い、動きが鈍くなっていった。

興奮状態の輪田はさおりを引きずり起こすと、右手一本で床へ投げ付けた

あたかもブルーザー・ブロディのワンハンド・ボディスラムであった。

ドガーン!

ジムに大きな音が響き渡る。この一発でさおりも半失神状態となってしまった。

そして、輪田はジャンプすると右足でさおりの胸板を踏み付けた。

山勢は確認する必要も無かった。

カーン

山勢の指示で伊森が試合終了のゴングを鳴らした。

狙い通り一太刀入れることには成功したさおりであったが、結局は必殺のストンピングにより、

これまた秒殺されてしまった。

 

「輪田さん、大丈夫ですか?」

左腕を押さえる輪田の様子に、駆け寄る伊森と山勢。しかし輪田は、

「身体に触るな!まだ、試合中だ!」と二人を一喝した。

震え上がり、輪田から離れようとする二人。

そこへ輪田が、

「済まんが、二人で服を脱がせてくれないか。どうもこの格好では動き難い。」

一瞬躊躇った二人だったが、左手がうまく動かない輪田を手伝い、Tシャツとショートパンツを

脱がせる。その下にはスポーツビキニを着込んでいた。

「今は、いい物が有るんだな。現役の時にもこんな格好をしたかったよ。」

などと言う輪田であったが、伊森,山勢の二人はとても50才を超えているとは思えぬその無駄の

無い筋肉質な身体と、全身に残る傷跡を半ば感動しながら見ていた。

これぞ「史上最強の暴君」の証であり、自分達の会社を築いた礎なのだ。

「オイ、いつまでジロジロ見てるんだ!次の試合やるぞ!」

輪田の声に我に返った二人。リング上に伊森,リング下に山勢が移動した。

そして、リング上ではこちらもスポーツビキニ姿ののりが既に身構えていた。

予想をも越える輪田の強さを見せつけられてはいたが、その闘志は折れていなかった。

二人の仇を取り、そして自身の伸び悩みを突破する為にも勝ちたかった。

いや、モリ・プロのエースとして勝たねばならなかった。

ゆっくりとリングに上がる輪田。その眼は現役時代に戻っていた。しかし、その鋭い視線を

真正面から見返すのり。前の二試合とは違う激しい試合になる予感を伊森,山勢は持った。

 

カーン

伊森の合図で、山勢がゴングを鳴らした。

「さあ、来い!」

三度響き渡る輪田の咆哮。しかし、のりはそれに恐れることはなかった。

正対を避け、輪田の左腕のダメージを考えて輪田の左方向へ廻り込みながら、左足へローキックを

打ち込む。逆に輪田は何とか正対して、右パンチで攻めたいのだが、元気なのりのスピードに

ついていけない。やや焦った輪田が真っ直ぐ突っ込んで行くが、それをかわしたのりが輪田の左腰に

タックルを仕掛ける。

テークダウンしたのりが輪田の上になり、マウントポジションを狙う。輪田も下から足を絡めて

それを許さない。更にスキを見て下からパンチを狙う。

のりは上半身を密着させパンチを防ぐと、輪田の痛めている左腕を狙いにいく。アームロックを

狙うのりのボディに輪田の膝が入る。

「グッ」

ボディに衝撃を受けたのりであったが、尚もアームロックを執拗に狙う。後頭部への右パンチと

ボディへの膝でそれをさせまいとする輪田。後頭部とボディに激しい衝撃を受けながらも、必死に

腕を取りにいくのり。ついにアームロックが完成した。

「グアーーー!この野郎!」

苦痛に顔を歪める輪田。右からのパンチがのりの耳を叩いた。

「ギャーーー!」

今度はのりが悲鳴を上げる。この裏技とも言えるパンチでようやくアームロックから逃げ、

立上がる輪田。

一方、左耳を押さえながら立上がるのり。その眼も怒りに燃えていた。

今度は真っ向から組合おうとするのりであったが、輪田の前蹴りがその突進を止めた。

ニーリフトでのりをダウンさせた輪田は、細かいストンピングを浴びせ掛ける。

十数発のキックを浴びながらもその蹴り足をなんとか掴んだのりは、輪田を再度テークダウンした。

今度は上から顔面パンチを狙う。ガードする輪田だが、左のガードがどうしても甘くなり、パンチを

浴びることとなってしまった。

ダメージも有り、顔面のガードに気持ちが集中する輪田の左腕をのりは取り、逆十字を狙う。

身体を起こし、右手で左手をグリップして堪える輪田。激しい力比べとなる。

しばし続いた膠着状態をのりが嫌った。輪田の左腕を外すと狙いを足に変えた。輪田の右足を取ると

アキレス腱固めを狙う。左足のキックでそれを嫌う輪田。ならばとのりは輪田の身体を反転させ、

ヒールホールドを狙う。身体を回転させ、尚もキックをあびせようとする輪田。

輪田の足を離したのりは、仰向けになっている輪田の身体の上に乗った。右手で首を巻き、

袈裟固めの態勢を狙うが、輪田も全身をバタつかせ、それを許さない。

ここで一旦のりは立上がり、距離を置いた。輪田も立ち上がる。

大きく肩で息をし、左腕を押さえる輪田のスタミナが切れてきているのにのりは気付いた。

ここまでのグラウンドでの消耗戦は、若いのりに明らかに有利に働いていた。

休ませまいとして、のりは直ぐに突っ込んで行く。今度は前蹴りを警戒し左サイドからである。

ボディにタックルするとコーナーへ叩き付ける。ダウンした輪田のボディにさっきのお返しとばかり

キックを連発する。更に引き起こすと膝蹴りを入れるが、輪田ものりの身体に右腕を巻きつけ体を

入れかえる。コーナーを背にしたのりに対し、輪田も膝蹴りから右パンチを狙うが、左が使えない為

攻撃が単調になり、のりのガードにより決定打とはならない。

逆にのりのパンチをボディに食い、輪田の動きが止まる。のりは輪田のボディにタックルを入れ

ダウンさせると馬乗りになり、右肘を輪田の顔面に押し付ける。更にギロチンチョークを狙うが、

輪田も必死に抵抗しそれを許さない。

ならばと、再度左腕への逆十字を狙うのり。右腕でグリップする輪田。先程と同じ力比べの態勢に

なった。まだ無理と見たのりが腕を外し、今度は輪田の後方へ廻りこみスリーパーを狙う。

密着しようとするのりに対し、輪田はなんとか距離を取り肘打ちで逃れる。

試合展開はのりのペースとなっていた。更にスタミナを消耗させられた輪田。

輪田の背中にキックを連発するのり。更に前方へ廻りこみ助走を付けたケンカキックで輪田を

ダウンさせる。

のりは輪田を引き起こし、ボディスラムで叩き付け、間髪入れずギロチンドロップを落とす。

更にロープへ飛んで首筋にニードロップを落とし、そして三度左腕へ逆十字を狙う。ここまでの

ダメージとスタミナ切れが輪田の対応を遅らせた。完璧な形ではないが、逆十字が完成し輪田の

左腕に大きなダメージを与えることとなった。

「アーーーーー!」

輪田の悲鳴がジム内に響き渡る。

勝てる!

のりは勝利を確信した。

左腕を押さえる輪田を立たせるとコーナーへ叩き付けた。

両腕をトップロープに固定し、助走を取ったタックルをぶちかます。

更に再度助走を取ると、渾身のラリアットを輪田の首筋へ叩き込んだ。手応えは充分であった。

そして輪田の両腕を外したのりは、十八番のブレーンバスターの態勢に入った。

長身の輪田を持上げ、そして先日真緒に見舞ったのと同じ、後頭部から叩き付ける 本当の

ブレーンバスターでリングに叩き付けた。

ドォーーーーン

ジムに響き渡る大きな落下音。

中立の立場を忘れ、思わず眼を覆う伊森。そして立ちあがる山勢。

勝った!『史上最強の暴君』を倒した!

喜びと共にガッツポーズを見せるのりだが、彼女は『史上最強の暴君』の本当の恐ろしさを

まだ知らなかった。そして、この後思い知らされることとなるのだった。

輪田の様子を見に行った伊森の表情が凍りついた。リング下に駆け寄った山勢も同様であった。

そして、輪田の方向を見たのりもまた同様の表情となった。

彼女達の理解を超えることが、そこでは起こっていた。

誰もがKOされたと思った輪田がゆっくりと立ちあがってきたのである。

そして、その顔をのりに向ける。

その眼を見たのりは全身に鳥肌が立った。それはもはや人間の眼ではなかった。すべての束縛から

解き放たれた『史上最強の暴君』がそこに甦っていた。

「ウワーーーーー!」

ゆっくり自分に向かってくる輪田に対し、のりが大声を上げながら突っ込んで行く。先程までの

冷静さは消し飛んでいた。

待ち構えていたのは輪田の巨大な足であった。何とか激突寸前、突進を止めるのり。

そこへ、輪田の右ジャブが炸裂した。グッとダウンは堪えるのりに対し、輪田の蹴りが飛んできた。

右ミドルがボディに、左ハイが側頭部に突き刺さる。尚もダウンを堪えるのりに、態勢を低くした

輪田のタックルが炸裂した。吹っ飛ぶのり。ジャンプした輪田の必殺ストンピングがのりを襲う。

のりは転がって必死に避ける。これまでの地下リングの試合では味わった事の無い、原始的と

言っていい恐怖が彼女の全身を襲っていた。全身が総毛立っていた。

のりは何とか場外へエスケープしたが、輪田も追いすがってきた。必死に逃げるのりだが、ついに

捕まってしまった。その場所は奇しくも輪田自身のパネルの前であった。

のりの髪の毛を掴んだ輪田は、自らのパネルにのりの額を叩き付ける。

ガシャーーーン!

パネルのガラスが割れ、のりの額を、そして輪田の右手を傷つけたが、全く意に介さぬ輪田。

輪田はのりの髪の毛を掴んだままリング内へ連れ戻す。

そして、そのまま膝蹴りをボディに連続して突き刺す。吐き気に襲われるのりだが、鍛えられて

いるだけに嘔吐は無かった。

更に輪田はのりの傷ついた額に真正面からのヘッドバットを連発で叩きこむ。髪の毛はまだ

離していなかった。のりは恐怖が先に立ち、反撃する事が出来ない。

もう一発膝蹴りがボディに炸裂する。のりは嘔吐こそ無いが、弱々しくお腹を押さえるだけだった。

地下リング現役有数の実力者の面影は、もはやそこには無かった。

ようやくのりの髪の毛を離した輪田は、顔面に右フックを叩き込んだ。輪田のもう一つの必殺技で

ある。のりはその場に崩れ落ちた。

そしてダウンしたのりの胸元に、ついに輪田のジャンプしてのストンピングが炸裂した。

「グウッ」

大の字となったのりに、輪田はロープへ飛びジャンプしてとどめのストンピングを決めた。

衝撃で跳ねたのりの身体はその後全く動かなくなった。完全に失神した模様である。

尚も、攻撃を仕掛けようとする輪田に慌てた伊森は、山勢にゴングを合図した。

カン、カン、カン、カン、カン

乱打されるゴングに輪田の動きが止まった。

そして、その眼が徐々に人間味を取り戻してきた。

伊森が輪田に近付き、恐る恐る語り掛ける。

「輪田さん。試合は終わりました。輪田さんの勝ちです。」

そして、輪田の右手を上げる。

「アッ、そう。」

まだ、輪田には現実感が充分には戻っていない様子だった。

「輪田さん、病院行かないと。」

輪田の左腕のダメージと右手の傷を心配する伊森。

「そうだな、こいつらと一緒に行ってくるか。」

リング上で大の字ののりと、リング下でまだ意識の戻らないさおり,順子を見ながら、輪田が呟いた。

 

救急車を呼ぶわけにも行かないので、会社のワゴン車で四人は地下リングの医務室へ移動し、検査,

治療を受けた。幸い四人とも肉体的には後遺症が残る様な大きなダメージは無かった。輪田の左腕も

比較的短期間で回復した。むしろドクター達が「いったいどんな恐ろしい目に会ったらこうまで

なるのか?」と不思議がった、のりの精神的ダメージの修復に一番時間が掛かりそうであった。

ちなみに精神的ダメージがまだ回復しない内に愛の割烹着に出演したのりは、いつも以上に

凄まじい料理を作り、共演者を地獄へと落とし込んだ。竹内アナの額のシワは番組史上最も深く

刻み込まれたという。

 

ともあれ、試合翌日からはまた以前通りの輪田がモリ・プロに帰ってきた。酒,タバコも元へ戻った。

酒が元へ戻ったことは事務所の人間や友人のタレント達には大いに迷惑だったのだが。

また、破壊されたジム内の輪田のパネルも大急ぎで元へ戻された。

しかし『史上最強の暴君』の片鱗を見てしまった伊森と山勢からは暫らくは恐怖が消えず、

夢の中でうなされることも度々であった。

一方輪田は自身の強さを再確認し、出来れば多くの観客に見てもらいたいと、地下リングへの

カムバックを狙い始めていた。

そして、その希望は意外と早く達せられることとなるのであった。

 

―「暴君復活」― ()

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