『頂上決戦−5』
早織の激しい視線に気付いた裕子であったが、その心の中は妙に穏やかであった。
歌手になりたい一心で、それなりに安定していたOL生活を捨ててのオーデイションチャレンジが総ての始まり
だった。
そこで落選して一旦は諦めながらも敗者復活の形で集められ、そして突きつけられた地下リングへの参戦という
想像もしていなかったデビューへの条件。
岩黒 彩と共に参戦したデビュー戦では、若い頃のヤンキー経験が活かされての圧勝であった。
そして、夢がかなった23歳での遅過ぎるデビューは、10歳以上年下のメンバーと同じ服装,同じ振付けで
あった。
一方、最年長という事で与えられたリーダーの座もまた、それまでマイペースが信条であった彼女には当初
大きなプレッシャーであった。
とは言え、皆の頑張りによりグループは当初の目論見を大きく上回る成功を収める事となった。
その中で、グループの更にはプロジェクトの顔として引っ張り続けてくれたなつみと真希。
一方、グループでは目立たない存在であったが、陰から支えてくれた圭織と圭。
彼女達と共に、地下リングでまた闘える日が来るとは裕子自身も思ってもいなかった。
年齢的にもこれが最後のファイトになる予感が有り、図らずもその場を作ってくれたタプレンジャー達には感謝の
気持ちすら有った。
担架に乗せられて運ばれる圭織を見送った裕子はゆっくりと立上がり、視線を早織に向けた。
その視線はまさに穏やかな物であった。

しかし、その視線の穏やかさに気付いた早織がマイクを取った。
「オバさん! 今日は私達が勝ち越したけど、そんな事は関係無い! この試合が総てよ!
 …
 もし万が一、この試合で私が負けたら『タプレンジャー』は解散するわ!
 だけど勝ったら、この場で土下座して『参りました』と言って頂戴!
 どう、これで!」
その発言と共に、しばらく静かだった観客から激しいブーイングが起こる。
一方、その瞬間裕子はこれまでの総ての疑問が氷解し、そして総てを理解した。
梨華達との試合の事も、自分と闘おうとした事も。
地下リングで良い闘いを見せ、アイドルとしてステップアップしようとする剥き出しのギラギラした彼女達の
思いこそが、かつて自分が或いは自分達が持っていながら、現在は忘れている物である。
そして彼女は自分を本気にさせ、そしてその上で自分を踏み台にしようとしている。
裕子の視線に、そして全身に気迫が甦ってきた。
先程までの穏やかさとは全く違う形相でマイクを取る裕子。
「闘う前に自分が負けた時の話をする奴がいるか!
 何か言いたいなら、勝ってから言え!
 さあ、掛かってこい、この野郎!」
久し振りに出た裕子のタンカに観客からは大声援が起こり、モニプロ勢は恐怖に震えた。
その裕子に対しても、視線を逸らさず睨み付ける早織。

両者にレフリーからの注意が与えられ、両コーナーへ一旦別れた。
両コーナーから視線をぶつけ合う、真っ赤なスポーツビキニの早織と、黒いワンピース水着の裕子。

「第五試合、山元 早織対仲澤 裕子を行ないます。」
"カーン"
乾いたゴングの音と同時に起こる大きな「ユウコ」コールに後押しされる様に走り込んだ裕子の前蹴りが、
早織のボディに炸裂する。
"ボスッ!"
その威力に早織が一二歩後退する。
年齢的には一回り上で、体格的にも158cmと早織の165cmよりも小柄な裕子であったが、その一撃は早織が過去
経験した事の無い強烈なものであった。
その威力に戸惑う早織に対し、裕子がキックで追討ちを掛ける。
コーナーに詰まりながらも早織が体勢を立て直そうとするが、その左頬へ裕子の平手打ちが炸裂した。
"パッシーーーン!"
動きが止まった早織の今度は右頬に平手打ちが炸裂する。
"パッシーーーン!"
この往復ビンタで早織の腰が落ちる。
そして、裕子はひざまづいた状態の早織のボディにトーキックを叩き込む。
"ボスッ!"
「グエッ!」
早織の胃袋に裕子のつま先がピンポイントで食い込むと、早織の胃液が逆流する。
お腹を押さえ、丸くなった状態でダウンした早織に、裕子がトーキックを連発する。
以前の田仲 れいなとの試合でもトーキック攻撃を受けた早織であったが、その威力も正確さもれいなの比では
無かった。
その激しい攻撃に観客とモニプロ勢は大歓声を上げ、一方のタプレンジャー達は焦りの色を隠せなかった。
「サオ、逃げて!」
明日香達の声が掛かる。
無論、早織もエスケープしたいのだが、裕子のスキの無い攻撃に急所を守るだけで精一杯であった。
それでも裕子の一瞬の間隙を突いて、早織は転がる様にロープから場外へとエスケープに成功する。
全身に赤い蹴り跡がついた早織は、場外で呼吸を整えようとするが裕子もそこへ襲い掛かろうとする。
場外へ降りようとする裕子に対し、早織はリングの周囲を回りエスケープする。
その早織に対し、観客から大きなブーイングが上がる。
『逃げない!』というキャッチフレーズではあるが、ここは体勢を立て直すことが先決と考えるしかなかった。
リングへ上がろうとする早織を裕子が迎え撃とうとするが、早織は再び場外へ降りリングの周囲を回る。
これに対し、観客のブーイングが更に大きくなる。
「掛かって来い、この野郎!」
リング上から叫ぶ裕子に呼応する様に、早織がリングにゆっくりと戻る。
組合おうとする早織に対し『先手必勝』とばかりに裕子が突込み、右手で平手打ちを狙う。
これは交わした早織であったが、次の瞬間右の頬に衝撃が走った。
空振りしたと見えた右腕が素早く切り返され、ちょうど裏拳の要領で早織の顔面に炸裂したのであった。
この一撃でダウンした早織に、裕子がキック攻撃を仕掛ける。
早織は何とか反転して、立ち上がろうと四つんばいの状態になったが、裕子はなんとその右手甲を踏み付けた。
「ギャーー!」
この予想外の攻撃に早織の悲鳴が上がる。
裕子はそのまま手の甲を踏みにじると、足を高く上げ再度踏み付けた。
「ギャーーーー!」
早織の口から更に大きな悲鳴が上がる。
そして次の瞬間、裕子のトーキックが無防備となっていた早織のアゴを蹴り上げた。
"ガスン!"
再び、仰向けにダウンする早織。その口からは先程の裏拳で切ったのか、血が流れ落ちていた。
大歓声をバックに裕子は休まず攻め続ける。
観客やメンバー達の声援に応えることも無く、ただ黙々と早織にダメージを与えようと攻撃し続ける姿勢は、
かつてデビューを勝ち取る為に闘っていた時代の裕子の姿であった。
早織は裕子のキック攻撃をここはひたすら耐え、反撃のチャンスを狙うしかなかった。
「ブレイク!」
早織の身体がロープに触れていた為、レフリーのブレイクが掛かる。
「ファイト」
その声に一旦は立ち上がった早織であったが、再び場外へエスケープすると呼吸を整える。
観客からの激しいブーイングの中、リングに戻った早織はガッチリとガードを固めた格闘技スタイルを取った。
そして突っ込んでくる裕子に対して、掌底を出して牽制する。
掌底が邪魔で飛び込めない裕子は回りながらローキックを狙うが、早織もそれに合わせてキックを出す。
早織の本来のプロレススタイルを捨ててのファイトに裕子は徐々に技を出せなくなるが、早織のキック,掌底は
確実に防ぐ。
お互いに決定打が出せない膠着状態が暫く続いたが、早織の前へ出るプレッシャーに徐々に裕子がコーナーに
追い詰められた。
「クソッ!」
コーナーを背にした裕子が、強引に前に出た所へ早織の左掌底が命中した。
"ドスッ!"
この一撃で再びコーナーに追い込まれた裕子は、握り拳を作ると早織のバストやボディをパンチで狙う。
早織がそれに掌底で応戦し、お互い正面からの打ち合いとなったが、こうなると体力で上回る早織が有利である。
重いキックも交えて裕子のバランスを崩し、一瞬重心を落とすと裕子のアゴ目掛けて右掌底を突き上げる。
寸前裕子が交わそうとした為やや当たりは浅かったとはいえ、この一撃で裕子の身体が浮き上がりコーナー
ポストに叩きつけられる。
"ドッカーーン!"
「イタッ!」
悲鳴を上げたのは早織の方であった。
先程踏まれてダメージを受けていた手で掌底を叩き付けた際に、激痛が走ったのであった。
それでも早織は、右手を気にしながらもコーナーを背負ってダウンした裕子に迫る。
再び重心を落とした早織は裕子のボディにショルダータックルを叩き付ける。
"ドスーーン!"
リングが激しく揺れ、裕子がお腹を押さえて崩れ落ちる。
素早く立上がった早織は裕子を見下ろすと、ロープを両手掴み全体重を掛けてその顔面を踏み付ける。
「ブレイク!」
これにはロープを使った攻撃という事でレフリーのブレイクが入り、一旦離れた早織であったが次の瞬間キックを
裕子のボディへ叩き込む。
"ドスッ!"
観客の大きなブーイングの中、お腹を押さえる裕子に尚も攻撃を加えようとする早織であったが、ここは
レフリーの制止にあう。
レフリーに助けられた形となった裕子は場外へエスケープするかと思われたが、ゆっくりと立上がるとそのまま
ファイティングポーズを取り、早織を真正面から睨み付ける。
その『自分は逃げない!』という無言のメッセージはモニプロのメンバー達にも、そして早織にも伝わった。
前進した早織は右手をかばいながらも左のパンチ,左右のキックで圧力を掛け、裕子をコーナーへ追詰める。
対する裕子は、ダメージと攻め疲れ,そして長いブランクによるスタミナ切れからか技を出す事が出来ない。
コーナーを背にした裕子に対し、早織のローキック,ミドルキックが容赦無く炸裂する。
更に早織はジャンピングニーで裕子をコーナーに叩き付けると、首を押さえ付けた状態で、ボディに膝蹴りを
連発する。
"ドスッ、ドスッ…"
その場に崩れ落ちる裕子の首を取った早織は、首投げでリング中央へ裕子を投げ付ける。
反射的にフラっと立上がった裕子目掛けて助走を取った早織は、ジャンプするとドロップキックをその胸元に
叩き込む。
"バッシーーーン!"
ジャストミートしたドロップキックの威力で、反対コーナーまで裕子が吹っ飛ぶ。
そして素早く立上がった早織は、ダウンした裕子の髪の毛を掴み中腰まで引き摺り起こすと、狙い澄ました
膝蹴りを裕子のアゴに叩き込んだ。
"ガスーーン!"
この強烈な一撃で仰向けに倒れた裕子は脳震盪を起こしたか、ピクリとも動かない。
レフリーが尚も攻撃しようとする早織を制し、裕子の状況を確認した後KOカウントを開始する。
「ワン、ツー、スリー…」
「裕ちゃーん!」
モニプロ勢の悲鳴とも思える声援と観客の「ユウコ」コールに励まされるかの様に、テンカウント寸前に裕子が
ロープを掴み上半身を起こしてKOは免れたが、次の瞬間には再び崩れ落ちる。
四つん這い状態で荒い息をする裕子に近付いた早織は、見下ろしながら叫ぶ。
「オバさん、昔は強かったらしいけど、やっぱりトシには勝てないわね。
 楽にして上げるけど、土下座は忘れないでよ!」
観客からのブーイングとモニプロ勢の声援の中、止めを刺そうとゆっくりと裕子に近付いた早織の右脛に突然
衝撃が走った。
"ガツン!"
動けなかった筈の裕子が、渾身の左肘打ちを早織の右脛に叩き込んだのであった。
"弁慶の泣き所" とも言われる脛に強打を受け、その場にうずくまる早織。
無論この一撃は裕子の肘自身にも大きなダメージを与えていたが、その痛みを堪え鬼の形相で裕子が立上がる。
「何か言いたい事なら勝ってから言え、と言っただろーーー!」
大声を上げ気合いを振り絞った裕子は、早織の右手を取ると手指四本を逆に折り曲げる。
「ギ、ヤーーーーーーーー!」
指二本以内なら反則だが、これは正当な攻撃である。
しかし、先程の踏み付けと自らの掌底により試合後に指の骨折が判明した早織は、まるで断末魔の様な悲鳴を
上げ、脂汗を流して苦しむ。
「山元、ギブアップ?」
「ノーーーーー!」
レフリーの問いには、大きくかぶりを振る早織。
『タプレンジャーは負けない!』
その激痛の中、気合いを入れると眼を大きく見開く。
「ウワーーー!」
気合い一番、左の張り手を裕子の顔面に叩き込むが、裕子も早織の右手を離そうとはしない。
『タプレンジャーは諦めない!』
「クソーーーー!」
早織は大きく振りかぶると頭突きを裕子の頭に叩き付けた。
"ゴツーーン!"
尚も右手を離さぬ裕子に対し、もう一発更に大きく振りかぶって叩き付ける。
"ゴツーーン!"
先程より更に大きな激突音が会場に響き渡り、二人がその場に倒れ込み、流石の裕子もここで早織の右手を
離してしまった。
立上がれない二人に対し、KOカウントが開始される。
「ワン、ツー、スリー…」
「裕ちゃーん!」
「サオー!」
両軍からの声援の中、まず、早織が右手をかばいながら立上がり、その直後に裕子も上半身を起こした。
早織は感覚の無くなった右手をダラっと下げたま裕子に迫ると、右左とミドルでボディを狙い、更に右ハイを
裕子の側頭部に叩き込む。
"ガスッ!"
その一撃でダウンする裕子だが、早織もまた右脛の痛みにその場に座り込む。
「ワン、ツー、スリー…」
レフリーのカウントが進むが、裕子は今回もテン寸前に上半身を起こす。
飛び込んだ早織が、裕子の無防備な胸元に右ミドルを叩き込む。
"パスン!"
「アーーーッ!」
またしても仰向けにダウンする裕子。そして、右足の痛さに思わず泣き叫ぶ早織。
「ワン、ツー、スリー…」
会場全体の「ユウコ」コールの中、まるで条件反射の様にテン寸前身体を起こす裕子。
『攻めるしかない!』
再び裕子に近付く早織。その時裕子の右手が動いた。
裏拳が早織の顔面を狙うが、早織が避けた為ジャストミートとはいかず、かすめただけに終わった。
ならばと張り手が早織の顔面を狙うが、それは早織が左手でガードする。
そして次の瞬間、今度は早織の右手が反射的に動いた。
先日の梨華戦と同様の掌底が裕子の顔面に炸裂する。
"バッシーーーーン!"
コーナーまで吹っ飛ぶ裕子。
右手の激痛にその場にひざまずいた早織であったが、直ぐに立上がる。
止めをノーザンライト・ボムで決めたかった早織であったが、これ以上動かぬ右手と右脛の痛みからそれは無理と
考え、全体重を掛けたヒップドロップを裕子のボディへ落とす。
"ドッスーーーン!"
「ゴッ!」
そして一声だけで動かなくなった裕子に対し、そのままフォールの体勢を取る。
「裕ちゃーん!」
祈る様なモニプロ勢の声援の中、レフリーのカウントが入る。
「ワン、ツー、スリー」
"カーン"
「只今の試合は、フォールで山元 早織選手が勝ちました。本日の対抗戦はタプレンジャーの4勝1敗の結果と
 なりました。」

そのアナウンスと共にリングへ上がる、4人のタプレンジャー達。
大きなダメージを受けている早織の右手と右脛に冷たいタオルを当てる。
一方のモニプロ勢は闘った選手達がまだ総て医務室にいる為、リング上は意識を失った裕子のみである。
裕子の健闘を称える観客のコールと拍手の中、観客席のモニプロ勢は多くが涙を流して下を向き、リング上の
裕子を直視する事が出来ない。
早織もまた、裕子の闘い振りには感動をおぼえており、痛みからだけでは無い涙がこぼれそうであったが、ここは
ヒールを徹底する覚悟であった。
早織はドクターにより応急処置を受けている裕子が意識を戻したのを確認すると、左手でマイクを取った。
「オバサン、私の勝ちよ!
 さあ、約束通り土下座して頂戴!」
その声と共に、会場の「ユウコ」コールが一斉にタプレンジャーに対するブーイングへと替わる。
そしてモニプロ席から飛び出したひとみや梨華がリングに上がろうとするが、黒服により制止される。
その大混乱の中、覚悟を決めていた裕子が身体をゆっくりと起こし土下座しようとする。

その時、一つの青い影がひとみ達モニプロ勢とは反対側からリングに飛び乗ると早織に体当たりした。
"ドスン!"
不意を突いた一撃に早織がダウンし、そしてその影は裕子の前に両手を上げて立ちはだかった。
「裕ちゃんにそんな事をさせるなんて、許さない。今度は私が相手よ!」
その正体に裕子が驚いた。
「コハルちゃん…」
そう、ジャージ姿で飛び込んで来たのは朝娘。最新メンバーで最年少の九住 小春であった。
あまりに刺激が強いという理由で呼んでいなかった筈が、どこから聞いたのか会場に足を運び隅の方で見ており、
たまらなくなって飛び出してきたのであった。
唇を噛み、身体を震わせながらも必死の表情で睨み付ける小春に対し、立ち上がった早織が語り掛ける。
「分かったわ。あなたとも闘って上げる。
 でも、それはあなたがトレーニングを積んで、私に勝てる自信が付いてからよ。
 そうなったら、何時でも掛かっておいで!」
それだけ話すと、決めポーズも無くリングを降りる早織。
他のメンバーも、慌ててそれに続く。
裕子はそのまま小春に付き添われる様に、医務室へ担架に乗せられて行った。

試合には勝った早織、そしてタプレンジャーであったが、その心の中は敗北感が強かった。
しかし、彼女達に休んでいる余裕は無かった。それぞれに次の闘いが迫っているのであった。

−頂上決戦 (完)−

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