「く‥‥‥、はあぁ‥‥‥、あぁ‥‥‥」


 とある団体のタイトルマッチでライトに照らし出されたリング中央でキャメル
クラッチに捕らえられ、顔が天井を直視できるほどに背骨を折り曲げら れた女
性が喘いだ。
 28歳という年齢にしては体形の崩れを感じさせない、いや、それどころか恵
まれたプロポーションは年が経つごとに深さを増し、まさに円熟してい る大人
の色気を漂わせている。
 大人しげな、町を歩いているだけで周囲の注目を集められそうな美人だが、デ
ビューして10年、団体最強の証明であるWWWAベルトの所有者だ。
 しかし、その栄光も過去のものとなりつつあった。テクニックを駆使し、華や
かなファイトスタイルで人気を集める彼女だが、最近急激に実力を伸ば して台
頭してきたグリズリー金本のパワーに任せたラフファイトに押されつつあった。


「ギブアップ!?」


 レフェリーの問いかけに、顔を大きく振ることで拒絶する。舌打ちして恭子を
解放したグリズリーは、うつぶせに倒れた恭子の髪をつかんで起きあが らせ、
ロープに振った。
 ロープにはね返されて戻ってきた恭子をグリズリーのタックルが襲う。


「ぐほっ!!」


 人とぶつかったとはとても思えない衝撃に、恭子の肺から空気が全て押し出さ
れた。ふわり、と恭子の体が宙に浮かび、そのままマットに受け身もと れずに
落下した。


「がはっ、げほぅっ、げほっ!!」


 ものすごい勢いで咳き込む恭子。きつく閉じられた目尻には涙が浮かんでいる。


「おらぁっ!!こんなもんで終わりかてめぇっ!!」


 咳が止まらないまま無理矢理引きずり起こされた恭子は、再びロープに飛ばさ
れ、帰ってきたところへ今度はパワースラムをかけられた。
 リングを揺るがし、グリズリーの下敷きになって潰された恭子は体を痙攣させ
てダウンしてしまう。


「ゴ、ホッ‥‥‥ゲホゲホッ‥‥‥‥‥‥はぁ、は、あはぁ‥‥‥‥‥‥」


 仰向けにダウンしたまま勢い無く咳き込み、息を荒げる。豊かな胸が大きく上
下し、観客はその様に生唾を飲み込んだ。


「ったく、これで終わりじゃないだろなー」


 グリズリーがごっ、とグロッキー状態の恭子の頭をサッカーボールキックで
けっ飛ばす。連続してのキックに恭子の頭がボールのように弾かれ、立ち 上が
ろうとしてもすぐに転倒してしまう。


「あっ、あっ、あっ!!」


 体を丸めてガードする恭子だが、グリズリーはその抵抗を歯牙にもかけずに
蹴って蹴って蹴りまくる。
 立ち位置を変えながら恭子をリング中央に釘付けにし、延々と蹴り続けるグリ
ズリー。恭子は膝立ちになったところで側頭部を蹴られ、転倒したとこ ろで頭
部を蹴られ、頭を抱えて丸くなれば無防備な背中を蹴られる。
 ようやくロープにすがりついたそのときには恭子の意識は半分飛んでいた。
 しかし、それでもプロレスラーの本能か、ロープにもたれながら立ち上がろう
とする恭子だったが、立ち上がる最中の恭子にグリズリーの体当たりが ぶちか
まされる。グリズリーとロープにサンドイッチにされた恭子はロープの反動で仰
向けに倒れる。
 そして、ダウンした恭子の上に、グリズリーのコーナー最上段からのヒッププ
レスが降ってきた。


「ぐぶっ!!」


 咳き込む余裕も既に無く、恭子は痙攣するように呼吸を吐き出した。ビクビク
と恭子の肢体が痙攣し、瞳が大きく見開かれるが、何も映していない。
 KO寸前の恭子をフォールすることなく、引きずり起こしてグリズリーはとど
めに入った。無防備に立ちつくす恭子の顔面に、1回転して勢いを付け た裏拳
を叩き込もうとする。しかし、あたればKO間違いなしの一撃は、あえなく空を
切った。
 グリズリーが背を向けた瞬間、体勢を崩した恭子がグリズリーの腰にしがみつ
いたのだ。グリズリーの一瞬の空白を身のがさず、朦朧とした意識のま まバッ
クドロップの体勢に入った恭子だが、次に意表をつかれたのは恭子の方だった。
 その巨体からは想像できないほどの軽い身ごなしで、バックドロップの勢いを
利用し、一回転して恭子の背後に回ったグリズリーは掟破りのジャーマ ンスー
プレックスで恭子を後頭部からマットに沈めた。
 恭子の肢体は高く抱え上げられ、そのまま急降下して垂直に近い角度でマット
に沈められた。原爆固めの名にふさわしく、脱力した恭子は大股を広 げ、グリ
ズリーが離れてもエビ固めの体勢のまま動かない。
 このままKOかと思われたが、失神したと思われた恭子がもぞもぞと動き、エ
ビ固めの体勢が崩れ、脱力したままうつぶせに伸びた。
 にやり、と顔を歪めたグリズリーは、自力で立てない恭子をマット中央で立ち
上がらせる。ふらふらと、足下の定まらない恭子はすでに失神している ように
しか見えない。グリズリーがフォールに入ればすぐにカウント3が入るだろう。
しかし、グリズリーはそうしなかった。
 立ちつくす恭子の脇を走りすぎ、ロープにもたれたグリズリーが勢いを付けて
再び恭子をすり抜けた。そして、再度ロープにもたれたグリズリーは、 恭子の
正面から短距離走の勢いで突進する。


 ごしゃぁっ!!!!


 グリズリーの渾身のラリアットが無防備なままの恭子を粉砕した。ラリアット
の直撃を受けた恭子は、1回転半してマットに叩き付けられた。文句の 付けよ
うもない一撃に、レフェリーが慌てて恭子に駆け寄り、そのまま頭上で大きく手
を交差させた。
 TKOにより、ここに新チャンピオンが誕生したのだった。余裕の態で観客に
アピールするグリズリーとは対照的に、王座からたたき落とされた元 チャンピ
オンは白目を剥き、泡を吹いて失神していた。担架に乗せられて退場していく元
女王をマスコミのカメラがフラッシュを焚き、映し出した。




 ‥‥‥こうして、恭子は王座を終われ、グリズリーの時代が訪れた。テクニック
よりも体格、パワーを重視する団体の風潮に、ヒール軍と正規軍の実 力の差は
大きく開き、正規軍の長い冬の時代が訪れようとしていた。
 そして、完膚無きまでの敗北を喫した恭子は病院送りにされてすぐにプロレス
界から姿を消した。こうして、担架に乗せられ退場していく姿が、テレ ビ、グ
ラビアと、マスコミの注目を集め続けたスーパーアイドルレスラーの最後の姿と
なったのだった‥‥‥‥‥‥。

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